恋するシェイクスピア 十二夜 ─身代わり小姓と不機嫌な公爵─

吉村りりか/ビーズログ文庫

ためし読み①

「どうしてお前は、男なんだろうな……」

 くたびれたように言って、オーシーノーがそっとヴァイオラの頬を撫でる。

 その優しい眼差しに、ヴァイオラは雷に打たれたような衝撃を受けて硬直した。

 どうして男なのか。

 つまりオーシーノーは、自分が女なら良かったと言っているのだ。

(そんな、まさか――)

 様々な憶測が頭を巡り、一気に顔が赤くなる。

 頭が真っ白になり、ヴァイオラはうまく返答することが出来なかった。返事をしなければと思えば思うほどに、なにを言えばいいのか分からなくなっていく。

「……シザーリオ?」

 硬直したままのヴァイオラに、オーシーノーが怪訝そうな顔をする。いつも人前では不機嫌そうな顔をしてばかりいるのに、どうしてこの時に限って、こんなにも無防備な表情を浮かべるのだろう。

 そしてそれを独占しているのは、自分ひとりなのだ。そう気づいたヴァイオラは、いてもたってもいられなくなって、慌ててオーシーノーから視線をそらすように俯いた。

「ご、ごめんなさい。オーシーノー様の顔が、あんまりにもお綺麗だったから」

 本音と嘘が入り交じった言い訳を口にすると、オーシーノーは一拍置いた後に笑った。

「本当にお前は、面白い奴だな」

 生まれたての雪と形容したいような、甘く柔らかい声だった。

 それまでの表情が薄かっただけに、浮かんだ笑みは雲間から差した陽光のように見える。微笑むと、オーシーノーの顔はこんなにも柔和な印象になるのだ。

 くすくす、と柔らかい笑い声が耳朶をくすぐる。寛いだようなその眼差しを見た瞬間、先ほどとは違う痛みが胸を貫いた。

(どうしよう、私……)

 心臓がうるさく、体中が熱くなる。

(私、オーシーノー様を好きになってしまったかもしれない――)



 翌朝、ヴァイオラは眠たい目をこすりながら、懸命にあくびを噛み殺していた。昨晩は、ろくに眠れなかったのだ。

 それでも、ヴァイオラは必死に起き出して食堂へと向かっていた。だが、今日向かうのはいつもの召使い用の食堂ではない。

 オーシーノーのために用意された場所だ。

 昨晩嵐が止んだ後、遅くに部屋へ戻ったヴァイオラに、オーシーノーは言ったのだ。『予行練習として一緒に食べてやってもいい』と。

 だから、今朝の朝食に遅れるわけにはいかなかった。初めてオーシーノーと一緒に食事をするのだ。

 主人のための食堂へと足を運ぶと、そこにはすでにオーシーノーの姿があった。広々とした部屋の真ん中に、白い布をかけたテーブルが置かれている。その端に一人で腰を掛けるオーシーノーの姿は何故か、居場所を失った人のように見えた。

「お待たせしてしまってごめんなさい」

 すぐに駆け寄って席につくと、オーシーノーは微笑んだ。目を細めただけのぎこちない笑みだったが、今までろくに笑顔を見せてこなかったオーシーノーなのだ。そんな笑顔でさえも貴重で、ヴァイオラは見逃さないようにじっとオーシーノーの顔を見つめた。

「どうした」

 熱心なヴァイオラの視線に、オーシーノーが苦笑する。

「ううん。なんでもないです」

 にっこりと笑って、机の上にすでに載せられていた食事に手を伸ばす。

「いただきます」

 そう言ってヴァイオラがパンにぱくつくと、オーシーノーは不思議なものを見るように――それでいてどこか眩しそうに、ヴァイオラのことを見ていた。

「? どうしました?」

 もぐもぐと咀嚼しながら首を傾げる。

「久しぶりに聞いたな、と思ってな」

「なにをですか?」

「いただきますという言葉だ」

 照れくさそうに言うオーシーノーに、ヴァイオラは胸を打たれて思わず食べる手を止めてしまった。彼は、そんな当たり前のことさえ、遠い昔に失ってしまったのだ。

「オーシーノー様。これからは毎日、一緒にお食事しましょうね。結婚なさる前にぼくが、いろんなこと教えて差し上げますから!」

 得意げに胸を張るヴァイオラに、オーシーノーが返事の代わりに嬉しそうに目を細める。子供か、家族かを見るような穏やかな眼差しだ。

 自分のなにが、どのように作用してこうなったのかは分からない。それでも、オーシーノーが少しずつ寛いだ様子を見せるようになったことは、どうしようもなく嬉しかった。

 けれど、ふとその目に陰りが走る。なにかを思案するように、彼は瞳を伏せた。

「シザーリオ。その――」

 オーシーノーは、一瞬言いよどみながらも言った。

「――伯爵令嬢の家に、使いに行ってもらえるか」

「伯爵令嬢って、オリヴィア様の?」

 目をぱちくりさせると、オーシーノーは嫌そうな顔で頷いた。

「本当は乗り気じゃないんだがな。お前にも言われたし、実は今朝、ヴァレンタインにも言われたんだ。それで、いい加減放っておくのもどうかと思ってな」

 つまりは、オリヴィアに再び求婚することにしたというのだ。がつんと頭を殴られたような気がして、ヴァイオラは言葉もなく固まった。なによりも皮肉なのが、自分のせいでオーシーノーがその気になったらしいということだ。

「つまり……私が、お嬢様を口説いてくる、ってことですか?」

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