その節穴に指を入れてはいけない
青樹加奈
第1話
私が通っていた小学校は木造の二階建てだった。築百年になる校舎には妙な威圧感があって、正門に立っただけで体が萎縮した。
当時、学校には七つの怪談話があって、その一つに節穴に指をいれると指が無くなるという話があった。
誰それのお爺さんの人差し指がないのも、商店街の奥の奥にある店の、年老いた職人の人指し指がないのも、節穴に指を突っ込んだからに違いないという話が、まことしやかに流れてきて私達を恐怖に陥れた。
その節穴は、六年一組にあった。教室の正面、向って左、黒板の斜め下の壁に小さな黒い影を作っていた。
当時、その節穴の向かいに座っていた私は、何かの拍子に節穴に指をいれたくなるという衝動にかられた。そして、指がなくなるという恐ろしさに体をがくがくと振るわせたのだった。
何故、指をいれたくなるのだろう? 指をいれたらいけないとわかっていても、何故指をいれたくなるのだろう? 落ちるかもしれないとわかっていて、高い場所から身を乗り出し下を覗き込みたくなる衝動と一緒なのだろうか?
「おい、どうした? 気分でも悪いのか? 真っ青だぞ」
授業中、体を震わせている私を見つけた先生が心配して声をかけてくれた。だが、節穴に指をいれたい衝動と戦っていたのですと言うわけにはいかず、口の中でもごもごと「だ、大丈夫です」と言って平静を装った。私は節穴への恐怖と奇妙な衝動を隠した。
私は毎日、節穴の恐怖と戦って過した。要は見なければいいのだと思って、授業中は先生の話に集中した。おかげで、成績は良くなったし授業中に節穴の恐怖に震えることもなくなった。
問題は休み時間だった。何かの拍子に節穴と目が合うのだ。いけないと思ってさっと顔をそむけ、手を拳に握ってお腹にあて体を丸めた。手が開いていて指がむき出しになっていたら、節穴にいれなくても、もっていかれるかもしれない。
大抵は幼馴染みのケイちゃんが声をかけてくれた。ケイちゃんの「大丈夫?」の一言で、私は節穴の恐怖から解放されたのである。
ある時、節穴から目が離せなくなった。
本を片手に窓から校庭を眺めていた私は、振り返った瞬間、節穴と目があってしまい、目が離せなくなったのだ。見てはいけないと思うのに、目が離せない。節穴はどんどん大きくなる。どんどん迫って来る。だめ、そんなことをしてはいけない。指を突っ込んではいけない。指がなくなる。だけど、節穴が呼ぶのだ。指をいれろと誘うのだ。私は抑えきれなくなって……。
指を、右手の人差し指をびゅっと突き出した。同時に目をぎゅっとつぶって下をむいた。
指が無くなる、どうしよう、どうしよう。
「おまえ、何やってんの?」
頓狂な声がすぐそばでした。はっとして目を開けた。クラス一のお調子者、丸木だ。丸木が私の指をしげしげと眺めている。指先を、指の指し示す方をじっと見た。
「はーん、おまえ、あの節穴が怖いんだろう? おおい、みんな、冴木が節穴怖いんだってよ」
この一言で集まってきたクラスメイトは私を囃し立てて、笑い者にした。私は指が無くなってない事に安堵し、恐怖の反動で叫んでいた。
「違うわよ。怖いんじゃなくて、今読んでる本の登場人物になりきってたのよ」
丸木は私が読んでいた本をちらっとみた。もし、指を突き出す仕草がある筈のない本だったら突っ込むつもりだったのだろう。幸い読んでいたのは「十五少年漂流記」。本の表紙に船を指差す少年の挿絵がある。
「へえ、なりきるだと! おまえ、女優にでもなるつもりかよ!」
クラスの皆がどっと笑った。
「わ、悪い! 私、芸能界に入って有名になってやるんだから!」
私は大ボラをふいて、節穴への恐怖を隠した。結局、卒業するまでこの嘘でからかわれることになるのだが、節穴を怖がっていると思われるよりはましだった。
それからしばらくして先生が節穴のある壁にポスターを貼った。「一日一善」という標語が書かれたポスターだ。そんな下の方に貼っても見えないのにと思ったけれど、おかげで私は節穴の恐怖から解放されたのである。節穴がポスターに隠れて見えなくなった途端、私はその存在を忘れた。
小学校を卒業して数年が経った。私は故郷を離れて都会の大学に通うようになっていた。
幼馴染みのケイちゃんが何年振りかに電話してきた。廃校になった小学校の校舎で同窓会をするから来ないかというのだ。
「最近少子化で、生徒が減ってるんだって。そのうえ、隣町の小学校が鉄筋コンクリートで建て替えられたでしょう? 子供達はみんな、そっちに行ってるんだって。あんた成人式にも帰って来なかったじゃない? だから、来ないかなと思って」
「だって、成人式の次の日が絶対落とせない試験だったのよ。それで仕方なく。私だって振り袖着てみんなに会いたかったわよ」
「それは仕方なかったわね、じゃあ、今度は帰ってくる?」
私はケイ子に参加すると言って携帯を切った。
突然、あの節穴が目の前にまざまざとよみがえった。ぞっとして、携帯を放り出すや拳を固く握りしめた。指が持って行かれる恐怖に体が震える。
「ただの妄想よ」
私はがくがくと体を振るわせながらつぶやいた。その場にしゃがみこむ。怖くて立っていられない。あの節穴が追いかけて来たような錯覚に陥った。真っ黒な節穴が巨大化して私を飲み込むのだ。
「怖くない、怖くない」
膝をかかえて、私は自分に言い聞かせた。
携帯が鳴った。
私は飛び上がった。息がつまるかと思った。が、宇宙戦艦ヤマトの着信音に丸木だとわかった。私は、ほーっと息を吐き同時に恐怖も吐き出していた。
「もしもし?」
私は携帯を取った
あのお調子者の丸木と私は何故か大学が一緒だったのだ。キャンパスで丸木と出くわした時は、本当にびっくりした。以来、たまにお茶したりしている。
「おまえ、同窓会に行くんか?」
「うん、行くよ。丸木は?」
丸木は行くという。それから、私達は誰が来るのか、先生達はどうしているだろうといった話をした。
「そういえばさ、おまえ、あの……」
「え、なに?」
ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。宅配便だろう。通販で買った商品が今日届く予定になっていた。
「はーい、今行きます」
私は丸木に「ごめん、宅配が来たみたい。じゃあ、同窓会でね」と言って携帯を切った。
同窓会は小学校の教室で開かれた。あの節穴のある教室で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます