第10話 哀來怒る

「柏野どういうこと!? 婚約者なんて聞いていないわよ! 説明して!」


 屋敷に帰り玄関で柏野さんに会った途端、哀來は怒りながら質問してきた。


 突然怒ってきた哀來に柏野さんは少し困惑していた。


「じ、実は前々から旦那様が哀來様の許婚を決めておられていたのです」


「前々っていつよ!」


「今年の初めです」


「わたくしは大学に行くのよ! 学生結婚しろっていうの!?」


「いつご婚約なされるかわかりませんが……婚約発表は近々行われるかと」


「お父様はどうしてわたくしに一言申さないで勝手に進めるのかしら!」


 こりゃあさっきよりご立腹だぞ。


 哀來は顔を真っ赤にして柏野さんを責め立てている。


 大人しいお嬢様にもこんな姿もあるんだな。


「今日は先生とご一緒にミュージカルを鑑賞して素敵な一日になると思ったのに……」


 お、今にも泣きそうな顔をしているぞ。


「お、お嬢様どうか……」


 柏野さんも慰めようと必死だ。


 さて俺はどうしようかな。


 仇の娘が苦しがっているのを見ているのは少々気分がいい。


 サドな発言は承知の上だ。


「もう……我慢ならないわ」


 お、どうする気だ?


 家出でもするのか?


「わたくし決めました」


「婚約の事ですか?」


「違うわ」


 家出か? お前みたいなお嬢様が家出なんてできる訳ないだろ。


 ……って何で俺の所に近づいて来るんだ? おい!


 哀來は俺の目の前に立ち止まった途端。


「ぬわっ! な、何を!」


 俺に抱きついてきたのだ!


「わたくし先せ……青龍小夜様と結婚しますわ!!」


「はい!?」


「な、何と!」


 俺は一瞬何が起こっているのか状況がよくわからなくなった。


 哀來が俺と結婚なんてそんな……。


「冗談じゃない!」


 俺は哀來を突き放した。


「どうしてですか? 小夜様はわたくしの事が嫌いなのですか?」


 馴れ馴れしく下の名前で呼んできやがった。


「そ、それは……」


「お嬢様! そのような事ではありません。お嬢様の立場をお考えになった上での発言です」


「そ、そうです! 哀來さんは私みたいな一般市民とは似合っていませんよ。周りからも反対されそうですし」


 柏野さんの助け舟でなんとか言葉が見つかった。


「わたくしはお父様の事が前々から嫌いになっていました。それでも家族だからという事で気持ちを抑えていましたが、もう我慢の限界です! 燕家から抜け出したいです!」


 哀來は怒っているせいかいつもより沢山しゃべっていてまるで別人だ。


 怒っているお袋を思い出す。女って怒ると誰でもこうなるんだな。


 俺は必死で訴えてくる哀來に厳しい言葉をぶつけてやろうと思った。


 もちろん恨みを込めて。


「哀來さん。私は『一般市民』の先生です。生徒を助けてやりたい気持ちはあります。しかし一般人の私がどうやってこの縁談を止めたらいいのですか?」


「そ、それは……その」


「答えられませんね。無理もありません。縁談なんて簡単に止められるものではありません。相手が断れば話は別ですが」


 先生らしく最後にアドバイスしてやると哀來は落ち着いた。


 今まで女には縁がなったため抱きつかれるのはこれが初めてだ。


 そしてプロポーズも。


 本当は飛び上がるほどスゲェ嬉しい。


 女を抱きしめるチャンスなんてもう無いと思うので、できればあの大きくて軟らかい二つの胸の感触をずっと味わっていたい。


 しかし柏野さんが見ているのでとてもできない。


「小夜様……どうしてもわたくしはあんな大勢の人の前で歌うような男と結婚しなくてはならないのですか?」


「ハーイ! 僕の未来のマイス……」


 いきなり空気が読めないホストみたいな男が出てきた。

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