05 剣と魔法と幸せと
男は床一面に張られた板を突き破らんばかりに力を込め、後方へと身を翻す。
もう一方はそれを、相手が自分から離れていくよりも遥かに速い速度で追随する。
それは目を見張るほどの速度で、常人ならば反応することすらも難しい。
だが、受け手の男もそんなことは百も承知。自らの懐へと飛び込んでくる影に、まるで狙っていたかのようなタイミングで剣を合わせる。それはまるで首筋へと剣を添えるかのような自然さで、無駄がなく、狙いへのぶれも感じさせない見事な剣筋だ。これも常人では反応できない速度、一刀のもとに断ち切られるのが喰らった者の運命だ。――が、一方の攻め手も相当なやり手だ。これはそんなに簡単に決着が着くような闘いではない。
上昇した動体視力が身体の動きを読み取り、それに持ち前の戦闘センスが合わさった結果、片手に持った剣がそれを見事に弾き返す。
そのまま畳み込もうかという選択肢も浮かぶが、今の攻防で体勢が崩れた。
互いに剣を引くことなく距離をとる。
殺風景という言葉が非常に良く似合うこの室内道場は、コールがお金に物を言わせて作った彼のお気に入り空間だ。
そこでは、まだ昼前だというにもかかわらず、コールとコーウェンが互いの木剣をぶつけ合っていた。一方は目に見える手加減を、もう一方はその小さな身体からは想像もできないほどの膂力を駆使し、相手の本気を少しでも引き出そうと。
「はあ、はあ、はあ――」
コーウェンは構えを崩すことなく、乱れる呼吸を整えることに全力を尽くす。
「――終わりだ。今日はもう終わり。よく頑張ったな」
そんな臨戦態勢のコーウェンとは裏腹に、コールは優しく声をかけながらその木剣を下ろした。
それを確認したコーウェンも構えを解き、その場へと倒れるように座り込む。
「おいおい、大丈夫か? まあ、確かに今日は少しハードだったけどよ」
自らの息切れの間を縫うように耳に届く、そんな優しい声。だが、それがコーウェンのプライドに小さな傷をつける。
五歳になったコーウェンは、一年ほど前から剣術の練習をしていた。
元々名の通った冒険者であるコールに誘われるままに始めたのだが、それに全力を尽くすようになったのは、メリファによる勉強会でこの世界に魔物と呼ばれる生命体の存在を知った時からだ。地球にいた頃、コーウェンがまだ隼人として生きていた頃、彼は少なげながらもゲームや漫画に手を出していた。その時に培った魔物への印象やイメージと重なる存在、それが実在する。
だからこそ、コーウェンは強さを望んだ。魔物という未知の存在が闊歩するこの世界で生きるのに、魔法だけでは心もとなかったからだ。
この世界には魔法が存在するからか、はたまた人類の歴史が浅いのか、科学技術の発達はあまり感じられない。それに加えての魔法、剣術、冒険者。コーウェンの知識にある所謂“ファンタジー世界”だ。前世で海外旅行の経験がなかったコーウェンにとって、この世界に対する好奇心は生半可なものではない。だから、強くなった暁にはこの世界を見て回りたかった。
――だから、コールに勝てないのが悔しい。
「ふぅ、父さんは強いね」
「ん、そうだろ? はは、ウェンに言われると嬉しいな」
照れたように返すコールに、コーウェンは微笑む。
「ねえ、父さんみたいな人って、結構いっぱいいたりするの?」
「さあなー、けどなんでだ?」
「……いや、この強さが当たり前の世界なら、少し自信なくしちゃうな」
それを聞き、コールは大きく目を見開く。――そして笑った。
「あはははっ! ウェン、お前は凄いよ」
「え……? どうして?」
「はあ、お前な、今何歳だ? 五歳だろ? それでその強さだ。才能は類を見ないよ。それに――」
コールは、座り込むコーウェンの前へと膝をつき、優しく頭を撫でる。
乱れる前髪の向こうで、コールが「お前は魔法使いだ」と呟いた。
確かにその通りなのだが、前世で『器用貧乏』だった自分を思い出したコーウェンには、素直に自分の才能を認められなかった。この世界を冒険したい、それ以上の感情がコーウェンの胸の内にあるようにも感じられる。
そんな心中を知ってか知らずか、コールは何かを考えるような素振りを見せると、立ち上がり口を開いた。
「そうだな、ウェンは魔法使いだ。マイナーすぎて考えてなかったけど、これからは翠伝流を学ぶといい」
この世界の剣術にも当然流派がある。むしろ、剣術の発達したこの世界だからこそ、か。
「実は俺も翠伝流を少しかじっていてな。だから教えることは不可能じゃない」
現在までコーウェンがコールに教わっていた剣術は“一心流”というもので、この世界で最も使い手が多く、最も強いとされる流派だ。
全ての動作に魂を込め、一撃の威力を極める剣術。そしてこの時の『動作』とは、剣を振るう時に限ったものではなく、剣を引き、体勢を整え、その呼吸一つ一つにまで及ぶ。よって、達人の動きは終始洗練されたものであり、剣術の理想とまで言われている。
それに対し翠伝流とは、この世界で最も使い手が少なく、最も修得が難しいと言われている流派だ。
そもそも翠伝流は魔法使いのために作られた剣術で、元々は魔法使いの護身用だと言われている。
それを改良し、現在では“魔法を組み合わせて戦う剣術”として名が広まっている。ただ、その知名度の割に使い手が少ない理由として、魔法使いが剣術を練習すること自体が珍しいという現実、そしてなにより、魔法と剣術を組み合わせて戦うということの難しさがある。
だが、魔法適正が高く、無詠唱の練度が上がっているコーウェンには合っているかもしれない。
それにしても魔法を使えないコールがどうして翠伝流をかじっているのだろうか、とコーウェンは少し疑問を抱いたが、それを心の内に仕舞う。
「そっか、じゃあ父さん、明日からはそっちを教えてよ」
「わかった。――ほら、立て。もうそろそろ飯だぞ」
コールの言葉に、すっかり息を整え終わったコーウェンは頷き、立ち上がる。
体重が軽く、前世での身体能力を引き継いでいるコーウェンの身軽さは、先ほどまでの試合で消耗していることを感じさせないものだ。だが、それでも勝てなかった相手が目の前にいる。そんな人物に剣術を教えてもらえるのは幸せだ、と考え方をポジティブなものへと変える。
「父さん、ありがとう、明日からもよろしくお願いします」
急にかしこまったコーウェンの態度にコールは驚いたといった表情を浮かべる。
「ああ、とりあえず試合は終わりだけどな」
◆◇
道場を出たコールは、コーウェンと別れて一人階段を上がる。向かう先は自室。昼飯の時間まで少し身体を休めておきたかったからだ。
やがて部屋の前へと辿り着いたコールは、扉を勢いよく開け放ち、アメリアと二人で使っているそこそこ豪華なベッドへと身を沈めた。
「なんなんだあいつ……」
思わず笑みがこぼれる。
コーウェンの強さ、それは常識外れもいいとこだ。呑み込みの早さに戦闘センス、単純な腕力は一般的な成人男性よりも遥かに強いだろう。冒険者達と比較してもいいくらいだ。
だが、問題はそんなことではなかった。
恐れるべきはあのスピードだ。まるで風に乗っているかのような、流れるような動き。
試合中、まるで本気を出していなかったコールだが、コーウェンの踏み込みの際に限り、どうしても全力で身を護る必要があった。それほどのスピード。
「ふふ、ふふふ……」
右手を見る。少しだけ痺れが残っている。
その事実に嬉しさが止まらない。笑いが止まらない。
しばらく笑い続けたコールは埋めていた顔を横に向けると、なにかのスイッチが落ちたかのように突然真剣な顔つきに変わった。
「魔法使い、か……」
そうだ。
凄まじい身体能力を持ち、たった一年間、恐ろしいほどの速度で剣術を修得していく自らの子供、そんなコーウェンが得意とするのは魔法なのだ。その事実にどれだけ心を震わしたことだろうか。
嫉妬はあった。だが、それ以上にコーウェンの強さの可能性を見てみたいという気持ちの方が強い。
少しの間そのままの体勢で強さについて思考を巡らせていたコールは、やがて体を起こし部屋を眺める。
アメリアの化粧台に衣服箪笥、コールの書斎、本棚――やがて、視線はある一点で止まった。
――炎龍の牙
人間の腕ほどはあるだろうか、それは棚に立てかけられ、とても神々しい雰囲気を纏っている。
これこそが、コールが冒険者を引退し、これほど大きな家を建てられるほどの資金を得たきっかけになったものだ。
当時のアルトリコ王国――ディスタート家が属する国――の軍隊が大敗した魔物で、最終的に冒険者組合へと討伐依頼が出されることとなったほどの相手だ。その討伐隊にコールは参加していた。
『父さんみたいな人って、結構いっぱいいたりするの?』
そんな、コーウェンの言葉がよみがえる。あの時の目はまるで「いても結局は追い抜かすけど」とでも言っているような、否、そう確信している目だった。
コールの口角がまたまた緩む。
『滅多にいるものじゃないよ』
それが彼の本音だった。
再び笑い出しそうになるのを意味もなく意思の力でねじ伏せ、ベッドから立ち上がったコールは、そのまま棚へと近づき、炎龍の牙を優しく撫でる。
思い出すのは熾烈を極めたあの日の戦いと、当時の仲間たち。
様々な冒険者パーティから選りすぐり集められた少数精鋭の彼らの中で、おそらく一番弱かったのはコールだろう。だがそれも仕方がない。彼らは皆化け物だった。
中でも、犠牲者ゼロでの勝利に大きく貢献した
的確な判断と無駄のない攻撃で炎龍に最もダメージを蓄積し続け、最後に止めを刺した
今思い出しても鳥肌が立ってくるほどだ。だが、コールは断言できる。
――そんな彼らよりもコーウェンの方がずっと化け物だ、と……。
必ずいつかは追い抜かれる。だが、意味もきっかけもなく、気付いたら負けているなんてことはコールのプライドが許さない。
その時は、直接ぶつかり合ってでも自分が背中を押してやるんだ、そうコールは強く願う。
「あー、今度試合する時がくれば、その時は本気出さないとなー。――もちろん翠伝流で」
コールは使い慣れない一心流を封印し、自らの分野で闘うことを決意した。
◆◇
昼飯を食べ終えたコーウェンは、早速自室にて魔力を練り始める。
午前に剣術、午後に魔法というのがここ一年でのコーウェンの日課だ。
コーウェンが初めて魔法を使った日から約二年半。彼は毎日怠ることなく魔法を磨き続けてきた。それでわかったこと――それは、コーウェンの得意属性が火属性だということ。
他にも何種類かの派生属性の修得にも成功し、魔法の腕は上がり続ける一方だった。その中でも一番の収穫は、火魔法、風魔法、氷魔法を同時に発動させる必要がある“雷魔法”を修得したことだった。派生魔法の派生魔法である雷魔法は、それを使えるだけでも周りからの評価は『天才魔法使い』だ。
そしてコーウェンは、氷魔法を無詠唱で発動することができ、雷魔法の発動にも長い詠唱は必要ない。
「だけど、まだまだ上はいる」
コーウェンはそんな自分に天狗になることはない。それは、メリファからとある魔法の存在を聞いていたからだ。
――特殊魔法
生まれつきで能力が決まっていて、選ばれし者にしか発現できない個別の魔法。現在生きている人間で修得を確認されている人数は、僅かに三人。歴史上でも多くは確認されていない、そんな魔法。
メリファでさえ詳しいことはわかっておらず、修得方法も不明のままだ。だが、それでも確実に三人は使えるというのだ。
コーウェンの当分の目標は決まっている。
コーウェンはそんな存在に一刻でも早く近づけるよう、努力する。
彼が取り組むのは、“魔法の上質化”だ。
火魔法ならば、より熱く。
水魔法ならば、より清く。
風魔法ならば、より強く。
土魔法ならば、より固く。
魔法の上質化とは、このように魔法自体の質を上げるためのもので、魔法使いが行う一般的な修練だ。
これにも得意属性の影響はあり、コーウェンも火魔法に至ってはかなり凶悪なものへと進化した。
――コンコン
どれほど時間が経っただろうか。
毎日のように魔法の上質化へと勤しんでいたコーウェンの耳に、そんなノックをする音が届く。
その音で我に返ったコーウェンは、激しくのどが渇いていることに気付いた。そういえばずっと何も飲んでいない。
とりあえず魔法の上質化はこれで終わりにし、気分転換に何をしようか考えながら扉を開く。
「失礼します。飲み物を持ってきました」
「ありがとう!」
ノックの主はメリファだった。そしてタイミングよく、メリファは両手で飲み物を載せたお盆を持っているではないか。薄く黄色がかった半透明の水は、コーウェンお気に入りの柑橘ジュースだ。甘酸っぱい匂いが漂ってくる。
だが、それを見て二つの疑問を抱く。
どうしてコップが三つもあるのだろうか。
両手がふさがっているメリファはどうやって扉をノックしたのだろうか。
だが、その疑問は次の瞬間には解消することとなった。
「――ウェン、遊びにきちゃった」
ひたすら幸せそうな顔をしながら廊下の陰から顔だけを覗かせるアメリア。
人生でも幸せ絶頂期にしか出てこないような笑顔を浮かべた彼女は、そのまま部屋の中へと侵入してきた。背後に回した両手に、まるで図鑑ほどに大きな本が見えたのは気のせいではないだろう。
「えーと、どうしたの? 母さん」
「うふふ、三人で一緒に読書をしようと思って」
「じゃーん」と、まるで宝物を親に見せびらかす子供のように、両手に持った恐ろしく分厚い本を前方に掲げるアメリア。
こんなものを今から読むというのだろうか。
隣を見ると、メリファも満更でもなさそうでコーウェンは辟易とする。
「あ、うん、でも、今は疲れてるし、また今度お願いしよう――」
言いかけたその時、アメリアはとても悲しい目をした。それは、この世のすべてに絶望したかのような、断ろうとしたコーウェンが罪悪感を覚えてしまうほどの顔だ。
そんなのを見せられて心が折れないほど自らの精神力に自信がないコーウェン。だからもちろん――
「――そうだね! 久しぶりに読んでもらいたいな!」
「ふふ、さあ、こっちへおいで」
後悔先に立たず。
ああ、日本のことわざはどうしてこうも素晴らしいものなのだろうか。
アメリアとメリファに挟まれるような形でベッドの端へと座り込んだコーウェンは、開かれたページを見て、今更ながら日本語の尊大さに気付いたようである。
「あら、ウェンったら寝ちゃったみたいね」
「そうですね、可愛い……」
本を大体中間ほどまで読み進めたところで、コーウェンの睡眠に気が付いた。
まだまだ一緒に読書をしたかったアメリアだが、眠っているコーウェンも可愛らしいので残念な気持ちはとても小さなものだ。
それに、アメリアとメリファは知っている。
コーウェンが剣術の練習をし、昼食を食べてからはずっと魔法の練習に精を出していることを。元々は自分たち大人が期待しすぎて、それがコーウェンのプレッシャーになっているのかもしれないと、そんな思いから気分転換のために読書を持ち掛けたのだ。だから、眠ってしまったのであればそれもいい。夕食をまだ食べていないなんてことは小さな問題だ。
「さあ、このまま寝かせてあげましょう」
「はい」
優しく身体を倒してあげたところに、メリファが布団をかけた。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
それぞれがコーウェンの頭を順番に撫で、部屋を出ていく。
コーウェンの中身が大人だということを二人は知らない。だが、もし知ったとしても、二人のコーウェンに対する愛情が変わることはないだろう。
愛されているのを実感する。それは、まるで母親が二人いるかのよう。
前世で母親の愛に触れる機会がなかったコーウェンにとって、それはむずがゆくもあり、初めての温かさだ。
ああ、なんて幸せなんだろうか。
二人が出ていったことを確認したコーウェンは寝た振りを止めると、小さくそう呟いた。
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