とある一日の出来事

風呂

夜行バスでの出来事

 有り体に言えば、この状況は非日常と言えるのだろう。

 夜、夜行バスに乗る私は目の前の光景を眺めながらそう思った。

 走行中の大型バス、運転席のすぐ横で男が拳銃を振り回しながら何かを喚わめき散らしている。

 バスジャックが起きたのだ。

 騒然そうぜんとする車内。パニックに陥る乗客。緊張の所為か運転手がハンドル操作を誤り、一瞬車体が不自然に揺れる。

 ……お願いだから運転ミスで乗客全員死亡とかはやめてほしいかな。

 そんな混乱した事態だがしかし、大きく鳴り響いた拳銃の発砲音により強制的に静かにさせられた。

 本物だったのか、もしくはエアガンとかを改造したものか、ともかくその一発によって割れた照明がその威力を物語っていた。人を傷つけるには十分なものだ、と。

 視線を横に向けると、隣に座っていたこの間なったばかりの彼氏君が、緊張した面持ちでバスジャック犯を注視していた。

 無理もない、というより当たり前の反応だろう。だって怖いのだから。命の危険があるなら、その原因に注意が向くのは仕方のないことだから。

 その間に私はSNSのダイレクトメールを通じて親友に、“バスジャックなう☆”とだけメッセージを素早く送り、あとは流れに身を任せることにした。

 ある程度余裕を取り戻したのか、それとも心を落ち着かせる為か、彼氏君がこちらに“心配ないさ”とか、“俺がいるから大丈夫だよ”とか言ってきてくれるが、肩の震えが止まっていないのを見るに、まずは自分が落ち着かないといけないんじゃないかな?

 その後、乗客全員のスマホや携帯が取り上げられ、犯人が目的を告げたりしてたが、全く興味が無いので無視して聞き流し、毛布に包くるまって静かに眠った。

 それから数時間たっただろうか、ふと目が覚めると彼氏君が妙にそわそわした様子を見せたので「どうしたの?」と尋ねた。すると、「犯人あいつを捕まえてやる」と言い始めた。

 危ないよと言って止めようとするも、聞く耳を持ってくれなかった。

 ……これは、駄目なんじゃないかなぁ。

 どうにも私に良いところを見せたいようだが、果てしなく失敗して返り討ちにあう未来しか想像できない。

 “本物”を知っている身をとしては、彼氏君にはそういうものの“格”が足りていないとしか思えなかった。

 だから必死で止めるも、やはり言うことを聞いてくれなかった。

 暫しばらく犯人の様子を窺うかがっていた彼氏君はチャンスと見たのか、犯人を取り押さえようと突撃した。

 けどやっぱり、思った通り、ある意味当然の結果として、彼氏君は返り討ちにあい、あまつさえ脳天を撃たれて死んでしまった。

 今までで一番の悲鳴、一番の騒がしさが起こる。しかしそれも最初の焼き回しのように犯人が威嚇射撃をして静かにさせた。

 私にできたのは、死んだ彼氏君に彼の上着を被せてあげることくらいだった。

 彼氏君が死んで悲しいし、寂しい。彼氏になったばかりの彼ではあるが、そういう気持ちはちゃんとある。

 けど、悲しいからと言って、この事態を引き起こした犯人に対して、怒りや憎しみがあるのかと問われれば、少なくともどうこうしようと思うほどには、ない。

 昔からそうだ。喜怒哀楽のはっきりした子だと言われてきたが、他人に対する悪感情だけはあまり湧く性質たちではなかった。

 だからだろうか、無くなったもの、手に入らない事に対して拘るということがあまりない。彼氏君が死んだのも、犯人の所為ではあるが、仕方ないことだとも思っている。

 人は出来る事しか出来ない。人事尽くして天命を待つ、ではないが、彼氏君は彼氏君の出来る事をやろうとして、しかし運にも恵まれずにこういう結果になってしまった。

 出来る事出来ない事を見誤ったのか、そうではなくとも天に見放されたのか、それは分からない。

 分からないけど、……やめよう。悲しいことを考え続けても良いことは一つもない。

 だから私は、再び毛布に包まって目を閉じた。意識を手放す直前、流れた涙は彼氏君の為のモノだったのかは、自分でも分からなかった。



 周りの騒がしさに眠りを妨げられ、寝ぼけ眼まなこを擦りながら目を覚ますと、既に事件は収まっていた。

「う~ん、あふぁれぇ?」

 伸びをして周りを見渡すと、バスは停まっていて私以外の乗客の殆どが車内からいなくなっていた。

 犯人も、車内にあったものや乗客が持っていたものであろうタオルやら何やらでキツく拘束されて、気絶したまま床に転がっていた。

「──こんな時でも暢気だな、お前は」

 すぐ横に、見知った女性の顔があった。

 一緒に夜行バスに乗っていた乗客ではない。私の、大事な親友の姿がそこにあった。

「おはよう。今日も良い天気かな?」

「何を言ってるんだ、全く」

 えへへ、と笑って返すしかない。性分なのだから。

 どうやらあのメッセージに応えてくれて、いつものようになんとかして事件を解決してくれたようだった。

 彼女こそは、目の前で何が起きても解決に導く、“本物”だった。

 たとえどんな悲劇があろうとも、人事を尽くし、天命を味方につける、物語の主人公のような存在だ。

 彼女が関わればどんな形であれ、全ては収束に向かう。

 その彼女がこうしてここにいるのなら、もう安心だ。何も心配することはない。

「あ、髪型乱れてるよ」

 と、犯人と格闘でもしたのだろう、彼女の乱れた髪を手櫛で軽く整えた。

「も、もう良いだろ。ほら、お前だって涙の跡が付いてるぞ」

 そう言いつつ、彼女はこちらの頬を指で拭う。

 それは寝る直前に流した涙の跡だった。

「…………」

 席を立ち、倒れたまま放置されている彼氏君をちらりと見る。

「お前の連れだったか」

「うん」

 感傷はもうない。と言えば嘘になる。だけどもう引きずる程気になる事ではなくなっていた。

 だから最後に、『ごめんね、ありがと』とだけ呟いて、彼氏君の横を抜けた。

 そしてそのまま、私は親友の後に続いてバスを降りたのだった。

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