閑話「アイザックとハリエット姫」
「おじ様は大空洞の秘密を御存じなのでしょう?」
ユーグリット王国へ無事帰還したハリエットが、アイザックに尋ねた。
困った笑みを浮かべるアイザックをハリエットは更に問い詰めた。
「本当は何か知ってるのではございませんの?」
ドラちゃんの背に跨りながら、先ほどの会話をハリエットはずっと噛みしめていた。
そもそもあの場、あの時、あのまま大切な息子を送り出すアイザックの無神経さに内心腹も立てていた。
ルーシェリアの身が心配じゃないの?
私は心配だ。
あのような異形の魔物が棲む魔窟だ。
たしかにルーシェリアの魔術は、北の賢者と呼ばれるエルヴィスの技量も遙かに超越していると感じた。
でも、ルーシェリアとて人の子だ。
もし不覚を取ったらどうするのだろう。
再会を果たしたばかりで悠久の別れになるなんて、まっぴらごめんよ。
そう考えると、無神経なアイザックや自分を制止したフローラが恨めしい。
「おじ様、私の質問に、ちゃんと返答して頂いて、よろしいかしら?」
◆◆◆
アイザックはアイザックでどう返答するべきか悩んでいる。
彼は元々、冒険者気質。
王侯貴族のしがらみに嫌気をさし、日々冒険に明け暮れていた。
大空洞の片隅では正直な話、もう助からない。
そう、覚悟も決めていた。
しかし、夢でも見ていたのだろうか。
気がつくと目の前に息子がいる。
それはある意味、アイザックにしてみれば不思議な光景だった。
あまりの事に気が動転しそうになった。
話を聞くと、火吹き山の主まで従魔として使役していると聞く。
アイザックは冒険者としてはS級である。
S級であるアイザックは様々な実力者を見てきた。
我が息子ながら瞬時にキマイラを屠った実力。
無意識にルーシェリアを息子と言うより、一人の男として見た。
それはS級の冒険者でもあり剣王でもある『俺の実力』すら遠く及ばない。
一人の男として敬意を払い、意志を尊重したのだ。
複雑な気持ちでもあった。
僅か8歳の息子に追い抜かれるとはな。
頼もしくもあり、悔しくもある。
そして何よりも嬉しかった。
姫には思ってる事をありのままに伝えた。
「おじ様のお気持ちは良くわかりましたわ、でも……あの大空洞についての秘密は何一つ返答して頂いてはいませんことよ?」
たしかに答えてない。
息子に対する想いを伝えたまでだ。
ハリエット姫は、大空洞の秘密を俺が知ってると思ってる。
だが、本当に何も知らないのだ。
ただ一つの謎だけを残して。
その謎とは妻のエミリーの事だ。
彼女と出逢ったのは、いつのことだったろうか。
そうだ。
若かりし頃。
このユーグリットの地で彼女と知り合った。
彼女の身体はボロボロだった。
魔物に襲われたのだと思った。
太ももの肉は魔物に食いちぎられたように裂けてもいた。
そして、その傷口からは得体のしれないモノが見え隠れしていた。
彼女はその傷口を恥ずかしそうに、咄嗟に隠した。
ボロボロになった衣服の生地で。
そして――――彼女は自分が何者かも理解してなかった。
俺がエミリーと知り合ったのは16歳の頃。
彼女はその時、既に外見は20歳ぐらいであった。
今でも彼女の外見は、あの日のまま。
俺は成長している。
しかし、彼女は衰えもしなければ、外見的には成長もしていない。
ルーシェリアが生まれて、8年が経つ。
ずっと彼女の外見は変化しないのだ。
今では俺の方が老けてしまっている。
とは言っても、俺もまだ25歳であるのだが。
俺が初めて彼女を抱いた日。
彼女は呟いた。
何も覚えてない彼女であったが、いくつかの奇妙な言葉を吐いた。
――――その時、彼女には内心、失礼だと感じたが得体の知れない無機質な言葉に、悪寒が走っていた。
その言葉は、この国の言葉でもなければ、魔術に使う呪文でもない。
そう感じた。
妻として迎え入れたエミリー。
彼女とは気が合った。
そして、何よりもその美しさにほだされた俺は、身分も顧みず彼女を愛した。
その彼女が紡いだ言葉を書き記した。
書き記しても意味など理解できない。
彼女にも意味は理解できなかった。
――――ジンコウクリチャー
――――シラトリザイバツ
――――ナ・ユ・タ・キノウシュウフクチュウ・サイキドウジュンビ・イコウスル
――――オ・ン・ガ・エ・シ
聞き取れた発音はこれだけだ。
彼女と知り合ったのは大空洞付近であった。
誰もが恐れて近づかない、あの場所。
彼女の出生の秘密はあの大空洞にあると、俺は睨んでいる。
今回の調査隊に加わったのもそれが大きな理由だ。
エミリーを連れていけば、更に何かを思い出すかもしれないと、期待もしていた。
大空洞に辿り着いた時、彼女は何かに恐れを抱いたかのような口調で俺に言った。
「アイザック……わ、わたしは……あなたと長年過ごすことによって知り得ました。どうやら……私は純粋な人族ではないようです……」
俺が長年、感じていた違和感。
彼女も感じ取ったらしい。
彼女は自分が何者か知りたい。
そして知ることを恐れている。
心配することないさ。
エミリーが、何であれ俺達は家族だ。
お前は俺の妻であり、ルーシェリアは俺達の子だ。
「ねぇ、おじ様。聞いていらしゃるの?」
頬を膨らましたハリエット姫がそこにいた。
「姫の質問は俺も知りたいことだ。きっとルーシェリアが答えを導いてくれるさ」
「んもぅ! おじ様ったら、素知らぬフリがお上手なこと。もういいですわ、ルーシェリアが戻ったら彼に尋ねるまでです!」
上目遣いで俺をギッと睨むと、不機嫌そうに去って行った。
ハリエット姫には感謝している。
彼女のおかげで、俺もエミリーも救われた。
そして何よりも俺の息子を本気で好いてくれているようだ。
将来、息子の良い嫁になってくれると俺も嬉しい。
彼女の背を見送りながら、俺は満足げに髭を擦った。
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