第六十話「花咲く氷の女王」

「ル、ルーシェ様……さ、寒くてたまりません」


 メアリーは俺の背中にぺったりと張り付いている。

 ガクガクと寒さで震えてるのが、ありありと伝わってくる。

 

 そういやメアリーって人一倍、寒さが苦手だったんだ……。

 周囲の空気を魔術で温めてもみたのだが、ドラちゃんの高速飛行だと温めてもキリがない。

 温かい空気は直ぐに後ろに流れてしまう。


 はぁ……っと溜息をついてると、山頂を雪で隠す白竜山脈が視界に入った。

 近づくに連れ、寒さは急激に増していくようだ。


 各自、リュックサックから防寒具を取出す。

 ミッドガル地方は春先だと言うのに、ユーグリット地方へ向かうほど冷たい空気が肌に突き刺さる。


 メアリーのリュックサックには、ちゃんと俺の分も用意されていた。

 それとは別に、俺はこっそり持ってきていた。

 誕生日にメアリーからプレゼントされた手編みの手袋。

 俺が身につけるとメアリーは嬉しそうに微笑んだ。

 その微笑みを見て俺は満足した。


「ルーくん、白竜山脈を抜けると、ユーグリットだよ」


 ユーグリットは永久凍土の極寒の地、前にソーニャがそう語っていた。

 

「王子知ってますか? 白竜山脈は花咲く氷の女王の棲みかでもあるのですよ」

「氷の女王?」


 ドロシーはメアリーの後ろにいる。

 俺は後方に振りかえり、詳しいことを尋ねた。

 

 氷の女王とは、竜のことのようだ。

 火吹き山の王と対を成すように存在する、ホワイトドラゴンのことであった。


『白竜山脈を抜けるには、花咲く氷の女王の許可がいる』


 ドラちゃんがドロシーとの会話に割り込んで来た。

 どうやら通行するには、許可とやらが必要らしい。

 勿論、北東より迂回すれば白竜山脈を通る必要もない。

 しかし、そうなると更に二日ほど余分に日数がかかる。


 俺はドラちゃんに質問する前に、シャーロットにも尋ねる。

 今度はどう答えるのだろうか。


「火吹き山の王に聞くとよろしいわよ。ルーシェリア王子」


 涼しげな笑みでシャーロットが髪をなびかせた。

 ドラゴンのことだしドラちゃんに聞けってことなん?

 ちょいと拍子抜けたが……。

 まっ、いっか。


「ドラちゃん、許可してもらうのに必要な条件ってあるの?」

『花咲く氷の女王は気分屋だ。特に条件のようなものはない』


 ご機嫌斜めだと許可が下りない可能性もあるじゃないか。

 大丈夫なんかな……。


『あれが、花咲く氷の女王の神殿だ』

「わあ、綺麗~」


 後ろからメアリーの感嘆の声が聞こえた。

 見下ろすとキラキラと輝く神殿が目に入る。

 氷で建造されているようだ。

 このまま素通りできそうな気がしないでもないが……。


 ドラちゃんの話によると、花咲く氷の女王は温和で優しいとのことだ。

 間違っても戦闘になることはないだろう。

 それに立ちよることを、しきりに勧めてくる。

 ならば、さくっと許可を貰っていくとするか。


 ドラちゃんが旋回しながら、下降していく。

 俺達は神殿の床を踏んだ。


 途端、ドロシーが前のめりに転んだ。

 氷の床だった。 

 ドロシーが滑るように転がっていった。

 一同がそれを眺め見るように見送った。


「つ、つめたいのです……」

「ほんと、ドロシーはドジだなぁ」


 やれやれと、声をかけながら彼女の手を取る。

 彼女が恥ずかしそうに上目遣いで俺を見る。

 今までドロシーが転ぶのを俺は何度見たことだろうか。

 氷の床は滑々で慎重に歩かないと、ドロシーじゃなくても転びそうだ。

 全員が慎重に一歩一歩、強く踏みしめながら歩く。


「王子は氷の上でも、へっちゃらなんですね!」


 普段通り歩く俺を見て、ドロシーが微笑む。

 実は俺……歩いてない。

 床、擦れ擦れに宙に浮き、歩いてるフリをしているだけだ。


 よくよく見れば、本当に苦労してるのはドロシーとメアリーだけであった。

 シャーロットは風の精霊を操り、ソーニャは器用に風魔法を使っていた。


 手を貸してやるか。


 いつもはメアリーに手を引いてもらうのだが、今回は俺からメアリーの手を取った。


「ルーシェ様、ありがとうございます」


 右手にドロシー、左手にメアリー。

 両手に花とはこのことだ。


 神殿の内部に入る。

 床も壁も柱も全てが氷だった。


 魔力を感じる。

 感じるが弱い。

 この魔力の主が、白竜なのか?

  

「白竜様は、ユーグリット王国の守護竜とも呼ばれてるんだよ」


 ソーニャが自慢げに「えっへん」と語る。


 白竜は竜の中でも光属性が強く、千年前の魔神戦争時も邪神に支配されることはなかったそうだ。

 

『我は千年前、花咲く氷の女王と一戦を交えた』

「おいおい、それって今はちゃんと仲直りはしてるんだろうな?」

『無論だ』


 のっし、のっしと、ドラちゃんも神殿の中を歩いている。

 竜の神殿だけあって、天井も高い。

 ドラちゃんの巨体でも難なく進める。


 通路の先、天井から射し込んでいるのか、新たな光が漏れている。

 その先に、花咲く氷の女王がいるのかもしれない。


 わくわくしてきた。

 シャーロットとドラちゃん以外は緊張しているようだ。


 大広間にでた。

 だが、その大広間は朱に染まっていた。

 それは体内からドクドクと流れ出たかのような血だ。

 血で床が真っ赤に染まっていた。

 またその血は凍りついてもいた。


 花咲く氷の女王……。

 白竜……いや、ホワイトドラゴン。


 小ぶりの身体を猫のようにまるめ、静かに瞼を閉じていた。


 ドラちゃんが悲しみの咆哮をあげた。

 魔力を帯びた咆哮は、悲しみで溢れ返っていた。

 

 俺は花咲く氷の女王に触れた。

 氷のように冷たい。

 その胴体、血痕の流れを目で追う。

 剣で負った傷だ。

 花咲く氷の女王は何者かの手によって、刺し貫かれ絶命していた。 


「誰がこんな酷いことを……」


 ドラちゃんに涙腺があるのだろうか。

 丸い瞳が濡れているように感じた。

 この場にいる全員が意気消沈する想いだった。


「お、王子!」


 ドロシーが叫んだ。

 全員がドロシーに近づく。

 

 ドロシーが何かを優しく拾い上げた。


 卵だ。


 花咲く氷の女王の産んだ卵に違いない。


 弱い魔力を感じていた。

 だからまだ息があると思っていた。


 ソーニャは床にひれ伏し泣いていた。

 いつも明るいソーニャが泣き崩れる姿を俺は初めて見た。

 ソーニャだけではなかった。


 メアリーもドロシーも涙いっぱいに浮かべていた。

 シャーロットだけは涙を振り払うかのように、周囲を警戒している。


 もしかしたら花咲く氷の女王を殺った何者かが、まだ近辺にいるかもしれないのだ。

 こんな酷いことをするのは、法王庁か?

 召喚勇者の中の誰かなのか? それとも……見知らぬ誰かなのか?


 俺も周囲の魔力探知に努めた。

 しかし、もうここには誰もいないようだった。


 ドロシーが大切そうに卵を抱いている。

 

「ドロシー、転んで割ったりしたらダメよ?」

「はい、なのです」


 シャーロットがドロシーに注意を促す。

 心配になった俺はドロシーが抱く卵の殻を軽く指先で叩く。

 思った通りだ。

 ダチョウの卵のように殻は厚く硬い。


 俺は花咲く氷の女王の身体を氷結させた。

 安らかに眠る、花咲く氷の女王。

 いつしか優しげに瞼をそっと開き、復活するような想いに駆られた。

 

 そんな日が永遠に来ないとは言い切れない。


 この氷の棺は永久氷壁。

 もう決して誰にも、君を傷つけさせない――――。


『主よ、感謝する』


 花咲く氷の女王はドラちゃんの妻であった。


 俺達は静かに追悼し、一晩ここで過ごした。


 明日にはユーグリット王国へ到着するだろう。

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