長時間労働に対する環境改善の必要性に異を唱える訳ではないが撲滅するとなると疑問も生じてくる
長時間労働に関しては以前にも何度か書いてきたが、どうしても疑問が拭えないので再度、書きたいと思う。
私は何事も一方的に悪だと定義付けしたものを排除して問題解決を図る事には強い疑問がある。
長時間労働もそう。
確かに長時間労働が過労死を招く要因の一つにはなっているだろうし、一番、影響は大きいのかもしれない。
でも、長時間労働が負担になるかどうかは個人差も大きいと思うんだよね。
そんな中で負担になっている者に労働を強いる様な状況は改善しなければならないだろう。
しかし、だからといって負担になっていない者まで規制してしまっては、理不尽を反対側に押し付けるだけになっちゃうと思うのです。
出来ない者に、する事を強いるのは問題。
だからと言って出来る者に、しない事を強いたら同じだよね!?
勿論、手段がそれしか無いのであれば、人命がかかっている以上、規制も仕方がないのかもしれない。
でも、時間を規制する事によって長時間労働を無くす様な手段は最終手段であるべきと私は考えます。
そして、まだその最終手段を講じる前に出来る事はあるのではないか、と。
一つの例として私が考えているのは、企業が労働者に長時間労働を課す場合には、短期で定期的な健康診断を義務付ける。
月一とか三ヶ月に一度とか、ね。
そして肉体だけでなく精神の健康も含めての診断を。
そうする事で事前に過労死を防ぐ事が出来るのではないか。
更に人命を考えるなら、そうした方が確実でもあると思うんだよね。
勿論、そうするとコストが嵩む事にはなる。
でも、それだけのコストをかけてでもやる価値はあると思うんだよね。
企業にとっても過労で貴重な戦力を失う事を防げる訳だから。
更に、そうやって真摯に過労死問題に向き合う姿勢は企業のイメージアップにもなるだろう。
それが将来、どれ程の利益になるのか。
私は結構、大きいと思うんだよね。
そしてもし企業判断でそのコストが見合わないというのであれば、時間による規制を受け入れればいい。
企業にその選択をさせる事が大切だと思うのです。
選択肢を奪った上での押し付ける様な規制は機能不全に陥るのではないか。
現実に長時間労働をしなければならなくなる様な仕事(需要)はあるのです。
にも関わらずに強引に規制を強める事は、企業を益々ブラックにさせかねないのではなかろうか。
企業を規制逃れに走らせてしまう危険性がある様に思う。
そして規制逃れの為の負担が労働者に降りかかる。
結局、犠牲になるのは労働者になってしまうだろう。
それでは何の為の改善だったのか。
いや、本当に改善したと言えるのだろうか。
理不尽を反対側に押し付けるだけでは、そういう事態を招く様に思うのです。
無理が生じている者に休息して貰う為にも無理が生じていない者にはどんどん働いて貰った方がいいよね。
それを選択出来る余地は残しておくべきだと思うのです。
更に人生の一時期と限定して考えた場合、無理しない程度には長時間労働をしてみる事も悪い事じゃないとも思う。
一つの視点で悪いものだからと言って、全てを排除してしまったら、そこから学ぶ機会すら排除してしまうんだよね。
だから、きちんと問題を見極めて、ピンポイントの対策をする努力が先ずは必要なのではないでしょうか。
過労しているかどうかを診断し、過労している者には適切な休息を与える。
それは例え、当人が休みたがらなくとも、ね。
当人の意思を優先すると無理をする者が出てきちゃうだろう。
一方、過労していない者は働くか休むか、当人の意思を尊重する。
要するに健康である事で自分自身による選択が出来る様に。
それは健康である事の付加価値を高めもするのではないか。
そして健康である事の付加価値を高める事が出来れば、将来的に社会で必要となる医療費の抑制も出来る様に思うのです。
勿論、そこまで考える必要はないのかもしれません。
ただ、一律な上限を決めて、労働時間を制限する。
果たして、その様な対策で本当に労働者を守る事が出来るのか。
過労死を減らす為に長時間労働に対する環境改善の必要性に異を唱える訳ではないが撲滅となると疑問も生じてくるのです。
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