第10話 ベネロング
突然地面が揺れ、奇妙な蝶の図柄の壁画が描かれた洞穴の上から、パラパラと小石が落ちてきた。
「とにかく、携帯がつながるところまで行って警察に連絡しましょう」
洞穴の外に急ぎ出て、田島が言った。
「その必要はないべ」
田島たちの目の前には、携帯電話で連絡を取ると言い洞穴の外に出て行ったきり戻って来なかったジョーが立っていた。その傍らにはジョーの友人でアボリジニのデービッドと中年の日本人風の男もいた。
「JJ! 今までどこに行ってたの? それにデービッドがなぜここに?」
「あなたは、村田さん!」
中年の日本人風の男を見た須藤が田島の言葉に続けて言った。
「デービッド! ミスター・ムラタがなぜここにいる?」
平松が少し語気を強めて英語で言った。
「ヤスさんもデービッドを知っているんですか!?」
「トシさん。オラたちの本当の目的はジュラシック・ツリーじゃなかったことは、もう須藤さんから聞いたかもしれないけど、実はデービッドも彼らの協力者だったんだ。トシさんと須藤さんがデービッドの家の外で待っている時、すべてを打ち明けられたべさ。そして、そこのべっぴんさんもね」。ジョーの答えに田島はただ唖然とするだけだった。
「ただですむと思っているのかデービッド!」
ジョーの答えに、平松が大きな声を上げた。
「平松さん。デービッドも覚悟の上だべ。確かに先住民の土地を荒らしてしまったヤツらへの恨みもあって、あんたたち組織にいったんは協力した。あの家も良くしてくれて感謝してるべさ」
「なるほど、道理でデービッドの家がやけに小奇麗にリフォームされていたというわけか…」。ジョーの言葉に須藤がつぶやくように言った。
「しかし計画は遂行されたんじゃないのか? 今の地震とピンク色の光線、これはトリウムにスカラー波を当てて起こした核融合実験じゃなかったのか? 村田さんよ」
平松が傍らに立つ日本人に向かって尋ねた。
「すまない平松さん。ここのトリウムを使うにはスカラー波エネルギー装置の出力が低すぎるのは分かっていた。僕はまだ組織の核融合実験場には行っていない。あのカミナリに打たれた時、この人に連れていかれたんです」。村田が口を真一文字に閉じ、どこかハワイ出身の力士を思わせる風貌のデービッドを横目で見て言った。
「ミキくんまで、裏切ったのか?」
「平松さん、ごめんなさい。私も最初にお断りすればよかったんですが、組織に関わっていた友人に頼まれて、ほんの軽い気持ちで通訳として来たんです。オーストラリアにも行きたかったし…。でも、ブルー・マウンテンズのホテルに泊まっていた時、ジョーさんから声をかけられ、すべてを聞いて、怖くなってしまったんです」
「じゃあ食事の後、車を見てくると言い出て行った時、ミキさんに会っていたの?」
「いやあ。あの時のピノ・ノワールで酔っ払って、ついついべっぴんさんと話がしたくなったべさ。抜けがけしてゴメンなトシさん」
変な訛りのある日本語でジョーが答えた。
「じゃあ組織の皆はどうなったんだ?」
「この先にあるSCR (Spritual Cleansing & Rebirth)の実験場とシドニー市内の拠点は今ごろ警察が捜索に入っているべ」
「常温核融合による小型水素爆弾を開発して世界の終末を演出。その後主要国の政治家をそそのかして世界に革命を起こそうとした組織の企てもこれで明るみになるってわけだ。でも、僕のスクープは消えちゃったけどね」
ジョーに続けて、須藤が自虐的なジョークを交えて言った。
「デービッドも組織に関わったことで罪に問われるかもしれないが、警察に協力し、未然に組織の陰謀を防いだから、たぶん司法取引で大した罪には問われないだろう。平松さん、これがデービッドのお世話になったせめてもの罪滅ぼしというわけさ」
「何てこった! お前もこの社会を変えたいと思ったんじゃないのか? デービッド! もともとこの土地はお前たち先住民のものじゃなかったのか? お前たちはここでまるでケモノのように扱われ、モノのように取引され恥ずかし目を受けてきたんだろう」
「Sorry Yasu..」。平松がまるで自分自身に言い聞かせるように英語でまくし立てると、デービッドが目を伏せ低く太い声で答えた。
「何がSorryだ! ちょっと前にこの国の白人の首相が”sorry”と口先だけで謝ったが、政治家の言うことなんて信じられるのか? マジョリティーの代表はマジョリティーの利益を優先するんだ。いいか、お前たちの先祖ベネロングのことを思い出せ! 植民地時代の初代総督フィリップに気に入られ、イギリスに招待された奴の末路を見たか! 結局帰国したベネロングは白人になびいたことで、自分の部族から追い出され、白人が与えた酒に溺れ、のたれ死んだんだ。日本では差別され、祖国に帰れば半日本人と呼ばれる、まさに俺たちと同じなんだ…」
平松はそこまで言うと、顔を歪め痛む足を押さえた。
「クカヵヵヵヵ…」
ワライカワセミのけたましい鳴き声が、ユーカリの森の中に響いた。空は白み始め、お互いの顔もはっきり見えるようになってきた。
「Come on! Yasu」。屈強な身体つきのデービッドが歩み寄り、大きな背中を平松に向けてかがみ、おぶさるよう促した。
「助かったぁ、これからこの人を運ばなくてすむべ」
デービッドに背負われた平松の背中をポンと叩きながらジョーが言い、一行は朝露で湿った道を歩き出した。ワライカワセミに先を越されたとばかり、さまざまな鳥たちが目を覚まし、賑やかな森の朝のBGMを奏で始めた。
途中、切り立った崖の細道にさしかかると、それまで無言だった平松が「トイレに行かせてくれ」と声を発し、デービッドが支えようとするのを断り、ユーカリの森が一望できる岩場の崖の端に足を引きずりながらゆっくりと向かった。
「じゃあぼくも一緒に」。田島も平松の後をついて行った。
それを見たミキが少し頬を赤らめて顔を反対側にそらした。
眼前にはユーカリの森が作る地平線から朝日が昇ろうとしていた。
2人は並んで岩の上に立ち、燃えるような朝焼けの中心に浮かび上がる金色の光をまともに受け、田島は思わず目を細めた。
「トシちゃん。”光あるうちに光の中を歩め“と息子とカミさんに伝えてくれ」
平松はひと言つぶやくと、おもむろに崖の先端に進み出て身を投じた。瞬間的に差し伸べた田島の手はが届かず、平松は崖の下に真っ逆さまに転落していった。
「ヤスさん!!」
「ガガガガー」
「トシさん危ない!」
平松の名前を叫び崖の端で呆然とひざまずく田島の背後の斜面から、突然大きな岩が落下してくるのに気付いた須藤が大声で叫んだ。
平松の様子に気を取られ、ものすごい勢いで落ちてくる岩に気付くのが遅れた田島は、一瞬のうちに岩の下敷きになった。
「キャー!!」
ミキのつんざくような悲鳴が、辺り一帯に響き渡った。(つづく)
注)べネロング(1764−1813)。豪植民地時代の初代総督フィリップに気に入られ、英国に招待された先住民アボリジニ。帰国後、属していた部族から追放され、晩年は酒に溺れ非業の死を遂げる。現在のシドニー・オペラ・ハウスがある場所は、かつてべネロングの住居が建っていた。
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