第7話 義賊
「あっあの人は」 田島は、増水して橋が流された川の向こう岸で助けを求めている女が、ブルー・マウンテンズのホテルでドライバー・ガイドの平松と一緒にいた人物ではないかと思った。
「やれやれ、また日本語が上手なガイジンか…」
流暢な日本語で向こう岸から叫んだ女を見て須藤がつぶやいた。
「このロープを投げるから、そっちの木にくくりつけてくれ!」
ジョーはそう日本語で叫ぶと、頑丈なロープを向こう岸に投げ込んだ。
サファリ・スーツ姿のその女は、特にケガなどはしていないようで、ロープを川岸の大きなユーカリの木に巻き付けた。
「JJ、大丈夫か?」
ロープにハーネスを装着し、登山用のブーツを履いたまま川の中に入っていくジョーを見て、須藤がちょっと心配そうに尋ねた。
「学生のころ軍隊のキャンプに参加したことがあるから、このくらい平気サ。それよりこのロープをしっかり握っていてくれナ」
みるみるうちに胸の辺りまで川の水に浸かったジョーは、途中濁流に押し流されそうになりながらも、なんとか対岸まで渡りきった。
「OK!」
ジョーが向こう岸からそう叫ぶと、女が指し示す場所へと倒れた木をかきわけながら入っていった。
「JJは、頼りになりますね」
田島が隣に立ち様子を見守るディレクターの須藤に言った。
「ホテルでも話したけど、震災後オーストラリア政府が避難勧告を出したのに、しばらく福島の被災地に残り、救援物資の運搬などを手伝ってくれたんだ。地元の人も彼にとても感謝して、僕もその様子を取材したんだ」
「立派ですよね。JJには家族がいるんですか?」
「うん。奥さんが福島出身の日本人なんだけど、震災後ちょっとうまくいかなくなっちゃてね」
「別れたんですか?」
「いや、そういうわけでもないんだけど…」
「オーイ! ロープを引っ張ってくれ!」
1人の小柄な男を背負ったジョーが、向こう岸に姿を現した。その男はケガをしているようだった。ジョーは、川の水の勢いが収まってきたところを見計らい川を渡って来た。
「あっヤスさん!」
ジョーが背負ってきた男を見て田島が叫んだ。倒木に挟まりケガをした男は、空港とブルー・マウンテンズのホテルで偶然出会ったドライバー・ガイドの平松康弘だった。
(これぞまさしくシンクロニシティ、共時性だ!)と、平松が繰り返して使う言葉が頭に浮かんだが、平松の苦痛に満ちた顔を見ると、田島はそれを口に出せなかった。
「グッド・ニュースとバッド・ニュースだべ。この人の足の骨は幸い折れていないようだ。ちょっと歩くのは大変だろうけど」
平松の右足は、応急処置で巻いたシャツの切れ端から血が滲み、顔にはいくつものかすり傷、頭からも少し血が流れた跡があった。
「バッド・ニュースは、もう1人の連れの男性が、鉄砲水に流されてしまったことだべ」
「ええっ!」
ジョーの言葉に、田島と須藤は驚きの声を上げた。
田島は、ホテルのビュッフェで平松と一緒に食事をしていた日本人男性のことを想い浮かべた。顔はよく思い出せなかったが、白髪交じりの企業の幹部風の男だった。
「さて、今度はあのべっぴんさんをヘルプするべ」
ジョーは再び川に入り、ジョーより少し背の高い女の肩を支えながらロープをつたって戻って来た。
「ありがとうございます。マイヤー・ミキと申します」
少しハスキーで低い声だったが、しっかりとした丁寧な日本語で女が挨拶した。少し緑がかったグレーの瞳が印象的なひと目で東洋人とのハーフだと分かる美女だった。
「もう暗くなるからもう1人の捜索は無理だべ。ここは携帯もつながらないから、さっきの洞穴の辺まで戻ることにしよう」
まるで疲れを知らないランボーのようなジョーが立ち上がって言った。
田島たち5人は、大雨で足場が悪くなった山道を引き返した。途中、何度も警察やジョーの友人のデービッドに携帯で連絡を試みたが、大雨のせいで何かトラブルがあったのか、電話は全く通じなかった。ジョーに背負われた平松は、自分がケガを負った以上にクライアントを見失ったことが相当ショックだったのか、終始無言で、田島もあえて話しかけなかった。ミキもうつむき加減に後をついて歩いた。
燃えるような夕日が西の山影に沈むと、急激に暗くなった。夕焼けの赤がうっすら残る空には、闇の森の夜会に向かうフライング・フォックスと呼ばれる大コウモリの群れが、田島たちをあざ笑うように飛んでいった。
「なんとか着いたべ」
ジョーが懐中電灯を照らすと、蝶の図柄の壁画がある洞穴の入り口だった。ほんの数時間前に後にした場所なのに、田島は何か懐かしい感覚を覚えた。
「デービッドには、アボリジニの聖地で火を起こしたなんて言っちゃダメだべ。まあすぐバレちまうけどナ」
ジョーは洞穴の周りに落ちていた木や枝をかき集め、ライターで火をつけながら言った。
とりあえず平松を洞穴の隅に横たわらせた後、ミキは濡れたサファリ・スーツを脱ぎ、ジョーが持参していたLサイズのTシャツをまとった。Tシャツからのぞくミキの白く長い足が、色が失せた洞穴の中に、淡い蛍光色の光を放ち、ゆらめき燃える焚き火の炎に照らされた壁画の蝶が、今にも動き出すかのように見えた。
ジョーは、洞穴の外に出れば携帯の電波がつながるだろうと、松明を1本持ち出て行った。
「ミキさん、いったい何があったんですか?」
田島が満を持したように尋ねた。
「はい。ジョーさんには少し話しましたが、私たちレアアース鉱床の調査で来たんです。流されてしまったのは東京の貿易商社の村田部長で、私は秘書兼通訳として来ました。平松さんの案内であの場所まで行ったんですが、天候が崩れたので引き返そうとしたところ鉄砲水に襲われ、流された部長を助けようとした平松さんが、落雷で倒れてきた大木の下敷きになってしまったんです」
「トシちゃん。ネッド・ケリーって知ってるかい?」
それまで無言だった平松が突然口を開き田島に声をかけた。
「えっ? オーストラリアの開拓時代の盗賊で、日本の鼠小僧次郎吉みたいに義賊としてヒーロー扱いされているあのネッド・ケリーですか?」
田島が言うと、焚き火の明かりでカメラの映像をチェックしていた須藤が、これまで見せなかったような鋭い視線を平松に向けた…。
(つづく)
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