第4話 謝罪

黒いステンレス製網戸のスクリーン・ドアと二重戸になっている一軒家の玄関を入ると、古びた外見とは違い、家の中は小ぎれいにリフォームされていた。レンガの壁にはドット・ペインティングと呼ばれる点描画が飾られ、バンブー・フローリングの床の隅には、空洞のユーカリの木で作るアボリジニの伝統楽器ディジュリドゥが、まだ色の塗られていない状態で2〜3本立てかけられていた。

ジョーの友人デービッドの妻リンジーは、田島たちをラウンジに招き入れ、茶色の布製のソファーに腰掛けるよう促した。

「Would you like to have some tea or coffee?」

「コーヒーかお茶はいかが? と言ってるべ」

ジョーがすかさず通訳した。

「JJ 、そのくらいの英語は僕にも分かるよ。コーフィー、プリーズ」

須藤が英会話教室で習った通り下唇をおおげさに前歯でかんでFの音を出しながら言った。

「White?」

「白いコーヒーもあるの? 」須藤がジョーの耳もとでささやいた。

「須藤さん、ホワイトというのは、ミルクも入れる?ってことだべさ」

「あっそうか。じゃホワイト・プリーズ」と、今度はコテコテのカタカナ英語で須藤が言うと、リンジーはクスッと笑い、奥のキッチンに入っていった。

「この写真、何だか知ってるけ?」

暖炉の横の棚に置いてあった写真を見つけてジョーが言った。

「青空に『Sorry』と飛行機雲で描かれてるね。何か謝ってるの?」

B5サイズの写真を手にとって須藤が答えた。

「トシさんは知ってるべナ?」

「ええ。これは数年前、当時のケビン・ラッド首相が、オーストラリア政府が過去に先住民アボリジニに対して行った隔離政策を公式に謝罪して、その時に空に描かれた文字の写真ですね」

「そう。100年くらい前のオーストラリア政府が、イギリス人がアボリジニの女性に産ませたハーフの子どもは、白人社会で育てるべきだと勝手に決めて、子どもたちを母親から無理やり奪って教育を受けさせたんだべ」

「1970年代まで続いたこの隔離政策により、母親や自分のアイデンティティーを失ったいわゆるstolen generation、『盗まれた世代』と呼ばれる人たちは、オーストラリアに10万人以上いるそうですが、この人たちにオーストラリア政府として初めて謝罪したんです」

須藤から手渡された写真を見ながら田島が説明した。

「そうかぁ。ちょっと前まで白豪主義だったオーストラリアは、先住民に公式に謝っているんだね。アメリカはインディアンや黒人に未だ謝罪してないから、その点ではましなのかもね」

「リンジーのおばあさんもstolen generationだべさ。それに日本政府だってアイヌや沖縄の人たちにまだ謝ってないよ」

須藤の言葉にジョーがちょっとムッとした表情で言った。


         ◇

「ザザザー」

家の外でディーゼル・エンジン車の止まる音がした。

「デービッドが帰ってきたわ」。白いマグカップに注いだコーヒーをトレーの上に乗せ、キッチンから戻ってきたリンジーが言った。

レンジャーと呼ばれる国立公園保護官の濃い緑色の制服をまとった背の高い男が勢いよくドアを開けた。息子のダニエルと痩せた犬のカーターも後について入ってきた。太く黒い眉毛にはっきりした顔立ちのデービッドは、どこかハワイ出身の力士を思わせる風貌だった。

「悪いが、今回は協力できないね」

デービッドはソファーにドッカと座ると単刀直入に切り出した。

「ヘイ、デイブ。まあ話を聞けよ」

ジョーがなだめるように言った。

「そうよ。帰ってくるなりいきなり過ぎるわ。コーヒーでも飲む?」

デービッドの隣でリンジーが呆れたように言った。

「いやいらない。それに最近国立公園の中で変な東洋人がうろちょろしてるんだ。さっきもビジネスマン風の日本人を連れた男を見かけたんだ」

「変な東洋人!?」。ホテルで偶然出くわしたドライバー・ガイドの平松のことが頭に浮かんだ田島が声を出した。

「ああ、地図を広げてキョロキョロしてたんで、声をかけたら、大丈夫だと言って車で走り去ったんだ」

「まあまあ、あんまり無理しなくても…」

須藤もその場の空気を理解してジョーに言った。

「ちょっとデービッドと2人だけで話させてくれないべか?」

そうジョーが言い、須藤と田島は家の外に出ることにした。

「Sorry guys…」。リンジーが申し訳なさそうに声をかけた。


         ◇

白いマグカップを持って家の外に出た2人は、デッキ・チェアに腰掛けた。

「トシさんご家族は?」

「オーストラリア人の妻と小学生の息子がいますが、今は別居中なんです」

「そうだったんだ… 。実は僕もバツイチ。さっきの写真じゃないけど、”ソーリー“のひと言がなかなか言えなくて、とうとう相方に愛想を尽かれちゃいました」

「心から ”ソーリー“って言葉に出すのは、ほんと難しいですよね…」

まだ少し温かいマグカップを両手で握り、田島は目の前に広がるユーカリの森をぼんやり見つめた。

そこへ犬のカーターと一緒に外へ飛び出して来たデービッドの息子のダニエルが、田島たちに話しかけた。

「Are you Japanese?」

「イエース! イエース!」

切れ長の目を見開いた須藤が、笑顔でクリクリした大きな目のダニエルに答えた。

出会った当初は少しとっつきにくい感じがした須藤だったが「子どもっぽいところもある人なんだな」と田島は思った。

ダニエルは、ズボンのポケットからユーカリの林の中で拾ったというモノを須藤に見せた。

「なんて書いてあるか? 知りたいようですね」

ダニエルが見せたのは神社のお守りのようで、細かい線で描かれた蝶の図柄に十字架が重ねられ、その上に漢字で「浄魂」と縦書きで書かれていた。

「ジョウコン…? 訳すとセービング・ソウルかなあ?」

田島はうまく英訳できなかったが、ダニエルはふーんとうなずき、そのお守りのようなものを再びズボンのポケットにしまいこんだ。

「神社のお守りにしてはちょっと変だね。日本人観光客が落としていったものかなぁ」

須藤が少し首をかしげながら言った。透けるような青空には、まるで申し合わせたように一筋の飛行機雲が描かれていた。(つづく)

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