Down Under

世木羅々

第1話

私は縁あって南半球のある小さな町に住んでいる。そして縁あって地元の公立中高一貫校の職員となって2年目。この学校には日本人生徒が十数人留学しているが、端的にいうと私は彼らのお世話係だ。


「朝5時にタクシーが迎えに行くから」

ボスはこともなげにその仕事を頼んできた。苦笑いでOKしたけれど、私自身がやはり引き受けるべきだと思っていることを彼も知っているのだ。


Tは異色だった。声が大きい。授業中であろうが私と1対1であろうが、必要以上の大声と大げさな身振りで自分のことを話し続けた。13歳らしい小柄だが元気そうな体は1秒たりともじっとしていられない。テニスの腕は相当のものらしく、日本から持参したラケットを値踏みした1こ上の生徒は感嘆を込めて私に耳打ちした。


“Hi” と掌と掌を高く合わせてTは誰にでも挨拶した。初日からクラスの不良グループに誘われてマクドナルドに行ったと言う。あれよあれよという間に現地の生徒達の人気者になった。インターナショナルルームにたむろしている日本人生徒達は「こんなに早く友達つくるなんて!」と舌を巻いた。拙い英語力でも現地の子の輪に入るTを皆羨ましそうに遠巻きに見ていた。それこそがほとんどの日本人留学生に欠けている能力だったから。


数学の新米女教師は明らかに当惑していた。アジア圏の転入生は数学の進み具合が1~2年早い。しかし英語の数学用語や文章題は解けないから、電子辞書を使わせてこの辺りのワークブックをやらせておくのが常套手段だと私は示唆してみたが、Tには通用しなかった。じっと座ってワークブックなどできない。教師がホワイトボードに書いたのが、自分の分かる問題と見るや否や前に出てボードにどんどん解いていく。クラスの生徒からは拍手喝采を浴び教師も私も止めようがない。


最初彼女は私のボスに「私のクラスにはTはスマートすぎます」とクレームしてきた。しかしほどなくしてTが彼女のクラスでFワードを叫んだとして、数学主任が怒鳴り込んできた。これが如何に悪いことかTに説明するのは私の役目である。


週明けには金曜日に行った理科の日帰り旅行で、Tが同級生に怪我を負わせたという話を聞かされ、お昼ごろにはTのホストペアレンツが乳飲み子と3歳児を抱えて苦情の山を持ち込んだ。それは暴力的かつ性的な異常言動の数々で私達を驚かせた。


この後のボスの行動は早かった。校長と協議の上、Tは至急日本に送り返すことになった。ボスは翌日の航空券を取り、タクシーを予約し、東京のエージェントにメールをした。そして私に通訳させて君は日本のご両親の元に一旦帰るのだと言いきかせた。Tはもう一度この学校に戻って来れるのかと何度も私に聞いた。父親が暴力を振るうらしくそれを恐れてもいた。

「君のエッチな気持ちはね、煩悩というんだよ、お寺に行って修行しておいで。そしたらきっと戻って来れるよ」

私の言葉に彼は照れたようにちょっと笑った。


翌朝5時5分にタクシーはTを助手席に乗せてやって来た。ホームステイコーディネーターの機転で、Tは昨晩この人のよさそうな初老のタクシー運転手の家に泊まったそうだ。まだ夜の明けない暗がりでTは私を認めると早口にしゃべり出した。私は空港に着いたら起こすから安心して眠りなさいと促して、自分も小一時間休もうと目を閉じてみたが、この不憫な子どもの行く末を案じて心はちっとも安まらなかった。


空港でチェックインの手続きが終わると、Tは母親とコンタクトを取ろうと無料のWi-Fiで躍起になってSkypeを繋げようとしていた。母さんは迎えに来ないと繰り返すから、「いくら君がクソババアなんて言ったってお母さんは絶対に来るよ」と言うと「何で俺が母さんのことクソババアって呼んでるって分かるの?」と目をくりくりさせる。

「1週間も君を見てたからね。クソジジイとかクソオヤジとか言ってるじゃない?」「そっか。でも母さんも母さんだよ。クソババアって呼んだらハーイって返事するんだ」


私は朝ごはんを食べていないというTを売店に連れて行き、ハンバーガーと菓子を買い、子どもの一人旅の担当者の横に座らせてから、じゃあ元気でねと彼の手を無理やり掴んで派手に握手をし、急いでその場を立ち去った。引かれる後ろ髪を断ち切る思いで。


学校ではTの転校の正式発表はなかった。しばらくの間、何人もの日本人生徒にTはどうしたのかと聞かれた。その子達はまた現地の生徒にTはどうしたのと聞かれ続けていたらしい。

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