第2話 怪我をする

「あ、あのう」

 いつまでもその場所から去らない私に、痺れを切らしたんだろう、拓海君に声をかけられた。

「あ、ごめん。じゃあ。また」

 今度こそ本当に、彼の部屋のドアを閉めて私はその場を立ち去る。

 自分の部屋に入ってドアを閉めて、ひと呼吸。なにを昔のことを思い出して動揺してるんだ。気にすることはない。昔のことだ。終わったことなんだ。

 それに、拓海君も彼と同じだ。ここを去れば私のことなんて、すぐに忘れてしまうんだ。ここは一時の避難場所なんだから。みんなそうだったんだから。


 宿題をしながら冷蔵庫の中身を頭の中でチェックする。もう少しで夏休みがくる。こんな真夏の日差しの中、もう一度外には出たくない。なんとしても、買い物には行きたくない! 夕方になっても暑さは蒸し暑いに変わってるだけだろう。

 三人前だった食材を、やりくりしてメニューを四人前に増量しなきゃ。それに拓海君は体格のいい高三だ。量もきっと食べるだろう。たくさん、そしてリアルタイムにご飯を一緒に食べる人ができて、料理を作る身としては正直そこは嬉しい。両親共に遅いので、食事を作っても毎日一人で食べていた。

 母も父も私のその孤独を気にしているからこそ、いつも誰かを引き取るのかもと勘ぐってみる。それにしては最近誰かを引き取ってくるということはなかった。けれど、それはたまたまだったみたいだね。


 *


 宿題が終わった。冷蔵庫の中身もちゃんとチェックしに行かないと。それに彼の様子も見ないと。何の事件か事故の関係者か私に言ってから去って欲しいよ、母め。というより、先に言っといてよ。触れていい話題がわからないんだけど。

 とにかく制服から着替えて部屋を出る。暑いんで、いつもはすぐに制服を脱いで着替えるのに、いろんなことが気にかかかって、制服を着たままだった。

 部屋を出るとすぐに彼の部屋のドアも開いた。拓海君、もう荷ほどき終わったの? 母はどれだけ邪魔してたんだろう。

「なんか困った事あった?」

「いいや。晩飯って……」

「私が作るから、拓海君は荷物に集中してていいよ」

 拓海君の部屋が見えたがまだダンボールがあった。拓海君を部屋の中に戻して、晩ご飯を作りにキッチンへと向かう。


 *


 しばらくして、拓海君が来た。

「何か足りない?」

「ああ、いや。あの……困ってたわりには割り切ってる? 俺のこと」

 気にしてたんだ、私のこと。まあ、そうだよね、普通は。

「ああ。うーん。そう言うんじゃなくて最近なかったの、こういうこと、二年ほど。それにいつもは小学生が多いから、大きいとね……年が近いから、というか同い年だから、それに学校も一緒みたいだし。だから、その、ちょっと戸惑ったの。でも、大丈夫。慣れてるから気にしないで」

 晩ご飯を作ってるから、彼を見ない言い訳になると思いながら、そう言い切った。気にしない。そう、気にしない。

「慣れてるって……いちいち引き取ってたの? 事件とかの度に?」

「まあ、引き取り手がいないケースってそんなにないし、次の引き取り手は小学生なら別に親戚にこだわる必要もないから、すぐに引き取り手が見つかるしね」

 あ、しまった。触れてはいけなかったかも。まだ夏、高三の夏だ。うちに来たんだ。親戚で引き取り手がすぐにいなかったケースだろう。彼は小学生でもない。引き取り手が現れない場合の方が大きい。親戚も難しい状況だろう。いるなら、もうすでに引き取られてる。自立するならば、高校を卒業するまでかかるのは確実だ。高校卒業までだ、長丁場になること確定ってことを本人が自覚してるんだから、かなり気を使うだろう。そういう場合は家賃はかからないが、その他諸々の費用もうちが出してる場合が多い。高校生ならばそれもわかってる。気にしないわけない。そう、彼のように。

「ああ。そう」

「あ、でも、前は……一年以上いたよ。大学生だったし。私も一人でご飯を食べなくてすむから。父も母もワザとしてるんじゃない?」

 んー。フォローになったのか? そして、自分で昔の話題を出して自滅してる。あー、また思い出す、彼を。

「痛っ!」

 案の定、料理に集中してなかった私は、指を包丁で切ってしまった。

「大丈夫?」

 彼、拓海君は近づいて私の手を取り指を見る。結構、思い切りやってしまった。左手の親指。痛いよー。えっ?

 拓海君は私の指を、親指を口の中へ。いやいや。確かに、出血すごいしてたけど。

「ティッシュで押さえるから、その……いいよ」

 恥ずかしい。そんなこと、この年でされると。しかもさっき会ったばかりの男の子にされるなんて。

 慌ててティッシュの元に行きたいのに手を押さえられてる、その上、親指は彼の口の中……。

「うーん。ざっくりいってるから押さえたほうがいいね」

 あ! やっと離してくれた。うわ、血がなくなったのは一瞬で後からドンドン出てくる。あー、やばい気分が悪い。フラッとした瞬間に、拓海君に抱きかかえられた。

「大丈夫?」

「ああ、大丈夫。ただ血が苦手なの」

 拓海君は、そばにあったキッチンペーパーで指の出血を押さえてくれる。

「ティッシュは?」

「あっち」

 と、ティッシュの置いてある場所を私は指差す。拓海君は、私を椅子に座らせてから、ティッシュを箱ごととって来た。箱ごといるよね、これ。ティッシュを数枚取り、血が出ている部分に当てて握ってくれる。

「あの、自分でできるから」

 これじゃ完全に子供扱いだよ。

「じゃあ。俺が作るな。晩飯」

「え? あ……うん。お願い」

 とてもじゃないが、私が作ると言って、血だらけになりそうな食卓を押す気にはなれなかった。絆創膏で何とかなりそうな傷でもないような……。拓海君が料理するって……料理を作れるのかな? まあ、包丁で指を切って血だらけの私が料理できるの? なんて、聞くのはなんだか恥ずかしくって、言えそうもなかったので、素直にお願いした。


 *


 そういえば……彼……上手に作ってくれたな。メニューは限定されたけど。よく作って食べさせてくれたな……ああ、ダメだ。年が、拓海君に近いから彼を思い出す。嫌な思い出。

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