アイノハテ
瀧本一哉
アイノハテ
これで何人目になるだろうか。10人を超えたくらいから私は数えるのをやめ、自らで造り上げた“彼女”の
これではもはや、彼女を殺したあの彼と何も変わらないではないか。
彼女はあの日、私が待ち合わせに遅れたせいで無差別殺人の、“誰でもよかった”の餌食となった。いや、彼にとって殺す相手に意味があったのかどうか、今となっては誰にもわからない。彼は8人をナイフで続けざまに刺した後、警官に取り囲まれた。そして何の躊躇いもなくニタリと笑って、何人もの血を吸ったナイフで自らの頸動脈を掻っ切ったという。
9人全員が的確に頸動脈を切られたことによる失血死、またはショック死。その死に様はあまりに壮絶で、多くの人の心に深い傷を残した。史上最悪の無差別殺人だ。
まるで殺し屋のような命の奪い方、そして死に際の笑顔。「彼はまさに狂人だった。」と目の前でそれを目撃し、職を辞したという元警官がテレビの特番で話していた。
生物学、それもクローン技術を専門に研究していた私は事件の後、残された“彼女”の身体の一部を採取し、一人秘密裏にクローン人間の研究と作製を進めた。生命倫理の問題だとか、生まれるのはクローンであり本当の意味で“彼女”が生き返るわけではないことだとか、もう私には関係なかった。彼女は私のすべてだった。研究室にこもりきりだった私を、その研究内容も含めて、“彼女”は愛してくれた。この研究を成功させることは私の夢であり、同時に彼女の夢だったのだ。二人で交わした約束を果たすため、私はこうして研究を続け、今では比較的容易に生命を生み出せるようになった。
しかし、生まれてくる(といっても私と知り合った時の年齢の姿なのだが)“
こんな研究をして、何十人もの“
もはや「生」も「死」も、「人間」も「
『ビーッ!ビーッ!ビーッ!』
不意にアラームが鳴る。また、失敗か。
いや、この値は。
不気味に光る培養槽から“彼女”が出てくる。その一糸纏わぬ姿は、私がずっと追い求めていた“彼女”そのものだった。思考が停止する。そして私は彼女の名を呼んでいた。
「マリ・・・」
彼女はしっかりと光のともった瞳でこちらを振り返り、そしてすべてを理解したように微笑んだ。
「トオル・・・」
ああ、やっとか。記憶まで残した完全な彼女が、ついに。
彼女がすぐそこまで近づいてくる。そのやわらかく垂れる髪も、何かを見据えたような瞳も、雪のように白い肌も、そのままだった。
私は手を伸ばして彼女に触れる――――ことはできない。
彼女が私の思いを読み取ったように言う。
「本当に、成功させちゃったんだね。記憶を残したクローンも、人の意識の電子化も。」
「あぁ。」
私は静かに肯定する。そう、クローン人間の研究には時間がかかりすぎる。だから私は、自らを人体からコンピュータに移植した。
完全なクローンの作成と人間の頭脳のコンピュータ移植。その二つを、例えどちらかが死んでも成し遂げること。それが私たちの約束。ある意味ではもう、二人とも生きてはいないのだが。
そして
「約束通り。よろしく頼む。」
合成音声に彼女は意を決したようにゆっくりと頷き、外部デバイスを操作する。
「でもさぁ、もうちょっとだけでも一緒にいたかったよ。」
彼女は少しうつむく。私は淡々と言葉を紡ぐ。
「仕方ないだろう。ある意味では素晴らしい技術進歩だが、やはりこれは罪だ。
無機質な声と、デバイスの操作音が響いた。
「これも、約束だったもんね。」
彼女は寂しそうに笑った。
「「そして、私たちの夢」」
二人のつぶやきが重なる。
「ちょっと、やめてよ。決心が揺らぐじゃない。」
彼女の瞳に涙が溜まる。昔からこういう変なところで気が合った。でも。
「でも、マリはちゃんとやってくれるだろう?」
我ながら随分と人間臭い、意地悪な質問だ。
「やるわよ。他人が何と言おうとこれは私たちの夢だもの。」
私が生身の人間だったら彼女を力いっぱい抱きしめ、泣いていたかもしれない。でも今となっては感情もこもらない、イントネーションもない、ただの音を出すことしかできない。
「それじゃあ・・・」
その言葉にまたゆっくりと頷いて、彼女は私の削除プログラムを起動する。
「こんなことをさせてすまない。」
無機質な声。
「やった後に言わないでよ。」
涙が頬を伝っている。
「ありがとう、愛してる。それと、君の着るものはそこのクローゼッt・・・」
音声出力が切断される。
「馬鹿。もっと言うことあったでしょ。」
もう涙は止まらない。その姿が揺らぎ始める。彼女は涙を拭き、私が入っている筐体に口づけをした。見計らったように映像入力が途絶える。
「私も、大好き。」
音声入力切断。
そう、これでいいんだ。これで。
演算停止。
私は電子の海に消え去った。
アイノハテ 瀧本一哉 @kazuya-t
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