第20話 初デート
待望の日曜日。
昨夜は、私が家庭教師をしているところの加代子ちゃんが、「先生、がんばれ!」と言って、さらに帰りにお迎えにきた啓一くんに向かって「先生をよろしくお願いします」と言ってくれた。
啓一くんが微妙な笑顔で、「あ、ああっと。こちらこそよろしくお願いします」と頭を下げたのがおかしくって、加代子ちゃんと二人で笑ったっけ。
電車の車内で一人で笑いをこらえながら、待ち合わせ場所である乃木坂の駅に到着するのを待つ。
「乃木坂~。乃木坂~」
というアナウンスとともに地下鉄が駅のホームに入っていく。
他の人々と一緒の流れに乗ってホームに降り立ち、人々の流れから外れたところでメールを打った。
――今、乃木坂に着いたよ。
ややあって、返信が届く。
――国立新美術館のところの改札で待ってる。
――わかったわ。すぐ行くね。
そんな短いメールをやり取りしながら、はたして啓一くんは今日の私の服装を見てどう思うかなと、ドキドキしながら私はエスカレーターに乗った。もう季節は11月。寒くなっていく季節だけれど、今の私には丁度いい。
今日の私の服は、上はピンクのフリルブラウスの上から、太めの白のニットカーディガンに、グレーのマフラー。下は暗めの赤を主体としたタータンチェックの膝丈のスカートに、ミドルカットのダークブラウンのブーツ。その上には、例の濃いワイン色のスエードコートを羽織っている。
下は重めに上は軽め。そして、ブラウスとタータンチェックのスカートが学生っぽいの印象を与えるというコーディネートだ。
さて問題は、どこが家庭的な印象を与えるのかということだけど。その秘密は私のマフラーにある。
いくつかのエスカレーターを乗り継いで改札口に出ると、その向こうには啓一くんがこちらをじっと見ながら待っていた。その首元を見て内心で「良し!」と叫ぶ。
目が合ってうれしくなって手を挙げると、啓一くんも同じように手を挙げてくれた。
少し急ぎ足になって、改札を通り抜けてまっすぐに啓一くんのもとへ行く。
手前で立ち止まってにっこり微笑みかけて、
「お待たせ」
というと、啓一くんはちょっと照れたように、
「そんなに待ってないよ。それに、今日の服、すごく似合ってるな」
やったぁ! ほめられたよ。
有頂天になりながら、私はさっそく鞄の中から持ってきたプレゼントのマフラーを取り出した。
「これは?」という啓一くんに、「プレゼント! ここがお揃いなんだよ」と説明すると嬉しそうに私の施した銀糸の刺繍を見つめている。
ちゃんと男性でも女性でも似合うように、ユニセックス・デザインに仕上げた桜の花びらの刺繍が、光を浴びてキラキラと輝いている。
啓一くんの指がかけがえのない宝物に触れるように、その刺繍を優しく撫でる。その表情に胸が一杯になった私は、調子に乗って、
「私がかけてあげる」
といって、そのマフラーを持って背伸びをして啓一くんの首にかけてあげた。
照れた啓一くんが、
「まさか、いきなりこんなプレゼントを用意してくれていたなんてな」といいながら、私の耳元で、
「ありがとう」
とささやく。その声が、私に幸せをもたらしてくれる。
さっそく、国立新美術館の館内へとつづく回廊を二人で手をつなぎながら歩いて行った。
美術館の館内は、思いのほか暖かくて、私たちはコートを脱いで腕にかけた。
ガラス張りの曲面でデザインされた壁から、柔らかい光が降り注いでいる。
あっ、そういえばチケットは……、と思った時、
「今日はさ、ボストン美術館収蔵の作品が来ているんだ。……2階みたいだね」
と啓一くんが私の手を引きながらエスカレーターへと引っ張っていく。
うん。どうやら啓一くんが用意してくれているみたいだね。
エスカレーターを挙がると、2階の展望デッキのような回廊に出た。右側には広い空間が広がっていて、そこにぽっかり浮かぶ島のようなカフェスペースがいくつか見える。
――芸術を堪能するには、それ相応の空間が必要。私はそう思っている。これは広ければ良いというわけではないんだよ。
例えば、上野公園の西洋美術館前にロダンの『地獄門』がある。屋外展示にしたことで広々と開放感はあるのだけれど、その作品の持つ迫力はまったく伝わってこなくなっている。
かつて知り合いに誘われて静岡県立美術館のロダン館に行った時、同じ『地獄門』のあり得ないほどの迫力に寒気を感じたほどだった。静謐な広い空間に適度なスペースを取って展示してあるロダンのブロンズ像たち。そのどれもが名状しがたい迫力を湛えていたのよ。
ロダン館では贅沢に空間を使っているため、建築する際には多くの非難も出ただろうけど、大正解だったと思う。
それほどに、芸術作品を展示する空間というのはセンスが求められるもの。そして、これは楽器も同じ。
いけない! デート中だというのにまた余計なことを……。私ったら。
展示室の入り口でチケットを切ってもらって、中に進む。
すぐに啓一くんが、
「うっわぁ。……混みすぎてる」
と残念そうにつぶやいた。
確かにこれでは作品を鑑賞するのは厳しいかもしれない。……でもね。
「でも、デートには丁度良いんじゃない」
と啓一くんにささやいて、私は啓一くんの腕にぎゅっとしがみついた。
とたんに顔が赤くなる啓一くん。
「ね? 今日の私たちにはぴったりの混雑だよ」
というと照れくさそうに、嬉しそうに「そうだね」とうなづいている。
人々の流れに身を任せるように作品を順番に眺めていく。光と陰影の鮮やかな『ナポリ湾』など新古典主義、ロマン主義、バルビゾン派――、そして印象派の画家の傑作と続いていた。
中でも心を引かれたのは2点。まず一つ目は、クロード・モネの『アンティーブの古城(Ⅱ)』だ。
うららかな陽光に照らされた、アンティーブの岬に立つ古城とその街並み。まるで女子カメラ風のパステルの柔らかい色で空も海も色が置かれ、よく見ると計算されていることがわかる構図との見事な調和が、私の目には春を表しているように見える。
そして、オーギュスト・ルノワールの『日傘の婦人と子供』。草むらに日傘を差して座る女性と幼子の絵で、まるで草が二人の周りの風になびくような筆致。日傘の下の婦人のほのかな陰影は、まるでポートレート写真を見ているような気になる。
アルジャントゥイユにあるモネの家で描いた、カミーユ・モネ婦人と息子のジャン。柔らかくのびのびとしたこの絵を見ていると、不思議な温かさと愛情が伝わってくる。
混雑のために落ち着いて見ることはかなわなかったけれど、温かさを感じるこの二枚は、啓一くんへの私の思いと共鳴するようで深く深く心に残った。
出口から出て、すぐに黒いソファに二人で座る。
「今度は人が少ないときに来てみたいな」という啓一くんに、私もうなづいて「同感。でも行くなら私も誘ってよ」と言うと、啓一くんは「もちろん」といいつつ私の手を握る。
その時、啓一くんが思い出したように、
「あ、後で京子に聞いてもらいたい話があるんだ。……俺の家族のこと。夕飯の時にでも」
という。
その言葉を聞いて、もしかしてと期待に胸の鼓動が早くなる。まだつきあい始めたばかりなのに、ちょっと早い気もするけど。でも、期待していいの?
私はそう思いながらも「わかったわ」と返事をしながら、啓一くんの手をぎゅっと握った。
――少し休憩してから、今度は六本木・麻生十番方面に向かって、散歩をするようにゆっくりと歩く。
途中のイタリアンのお店でお昼を済ませ。啓一くんの案内するままに路地に入っていった。
啓一くんが歩きながら、
「実はさ。この先のお店で、京子へのプレゼントを買おうと思って」
という。
「本当?」
といいながらも、どんなお店なのかなってワクワクしてくる。
「ほら、あそこ」
と啓一くんが指さした先にはこじんまりしたお店が見えた。
ショーウインドウには、たくさんの額が飾られていて、入り口の看板には、「KALEIDOSCOPE MUKASHI―KAN」と書いてあった。
カレイドスコープ? 万華鏡専門店? へえ、こんなお店があったんだ。
感心しながら、啓一くんの後に続いて中に入ると、まるで別世界のような店内に心がときめく。
こじんまりとした明るい店内に、所狭しと並べられた万華鏡。私の知っている筒タイプのものばかりじゃなくて、まるで顕微鏡のようなものや天体望遠鏡のような大きなもの。先っちょにステンドグラスの円盤のようなものがついているものなど様々だ。
――ふふふ。まるでファンタジーの錬金術師のお店みたいね。
そんなことを思いながらも、キラキラと輝く宝物であるかのように眺めていると、
「どうぞ、お手にとってご覧になってかまいませんよ」
と柔らかな女性の声がした。
そっと振り向くと優しげな笑顔の女性がにっこりと微笑んでいる。
「ありがとうございます」とお礼をいいながら、テーブルの上の万華鏡を一つ一つ手にとっては覗いてみた。
キラキラと輝く不思議な世界。少しずつ変化していく模様。そして、蕩けるような煌めきの世界を見せてくれるテレイドスコープ。
次々に目の前に現れる美の世界に、心が蕩けるように魅せられる。
ふととなりを見ると、啓一くんも万華鏡を手にとってゆっくりと楽しんでいた。こうしてみると、科学者みたいにも見えるのは、私の目の錯覚かしら?
「一口に万華鏡といっても、いくつか種類がありまして――」と先ほどの女性が説明をしてくれる。
私たちがよく知っているのは、先端にビーズなどの入ったタイプ。ここにはオイルタイプや、付け替えのできるもの、オルゴールになっているものなどがある。
……ただ、お値段もお手頃のものから、内心で「うひゃー」と思うものも。でも、覗いたらそのお値段に納得してしまうわ。
そんな中で、私が気に入ったのは、シルバーの鏡筒のテレイドスコープだった。テレイドスコープは、先端にクリスタルの玉がはまっていて、いわば筒から覗く外の景色を万華鏡の模様にしてしまう構造のもの。
特に私の気に入ったものは、模様が光り輝く満開のお花のように見えてうっとりとしてしまう逸品だった。……ただ、値段が一本1万円ほど。
どうしようかとためらっていると、啓一くんが気がついて、
「おっ。それ、俺にも見せて」
という。早速、のぞき込んだ瞬間に、ほうっと息をしている。
「……きれいだ。もうそれしか言いようがない」
そう言いながら、目を離した啓一くんは、私にアイコンタクトをとる。
――これでいい?
――いや、でも値段が。
――それは気にしなくていい。
――でも悪いわ。
――俺にプレゼントさせて。ね?
「わかったわ。ありがとう」
というと、啓一くんはうれしそうに女の人に、
「これを彼女にプレゼントで」
と手渡してお会計をすませていた。
お店の女性は笑顔でうなづいて、
「はい。かしこまりました。ラッピングしますからちょっとお待ちを」
と奥に歩いて行く。
「啓一くん。ありがとう」
というと、
「いいって。それにお前が持っていると、俺も好きなときに眺められるし」
という。
……ええっと、それってすごく遠回しのぷ、プロポーズじゃないわよね?
思わずドキンとしてしまうのは、この恋心のせいなのかな?
啓一くんの顔を見ると、満足げに私を見つめている。
「そんなに見つめられたら、……照れちゃうな」とつぶやくと、啓一くんの頬が赤くなっていく。
あれ? なんで?
小さい声で「なんだこの可愛さ。反則だろ……」とつぶやく啓一くんの声が聞こえた気がする。
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