第14話 手づくりのお夕食

 とうとう、発表の一週間前になった。

 今日の夜にでも、レジュメのPDFデータを吉見先生に送信しようと思う。


 アパートの自分の部屋で、今、私は緊張している。

 目の前には啓一くん一人だけ。

 これから私の発表を聞いてもらうわけで、啓一くんの表情は、最近見せてくれるようになった柔らかいものではなく、前の無表情のような顔をしている。

 でも今ならわかる。あの無表情は真剣な時の表情で、その顔の向こうには優しい心があるって。


 できたばかりのレジュメを渡して、

「じゃあ、始めていい?」というと、啓一くんは、

「あ、ちょっと待って。今、ストップウォッチで計測するから」

と、テーブルの上にある自分のスマホのロックを解除し、ストップウォッチアプリを起動した。

 私と目を合わせてうなづいて、計測を始める。

「それでは、私の発表を始めさせていただきます――」



 「――――以上です。諸先輩方のご指導とご鞭撻べんたつをよろしくお願いします」

と言って、啓一くんに深くお辞儀をした。

 緊張から解放されてほっと一息をつくと、啓一くんが拍手をしてくれた。

「うん。時間もぴったりだ。……よくやりました」

 そんな素直な評価に、思わず右手の握り拳を振り上げて、

「やったー!」

と叫ぶと、啓一くんも自然な笑顔で笑い出した。


 少し落ちついたところで、啓一くんがレジュメで気になったところを指摘してくれた。

「ここの言葉はこっちの方がいいな。それと、註はこっちじゃなくてこっちがいい」

 その指摘一つ一つを、自分のレジュメに書き込んでいく。

 すべての指摘が終わり、奇妙な沈黙が訪れる。気まずいのじゃなく、どことなくやりきった充足感のある沈黙。


「……ねえ。啓一くん」と啓一くんの顔を見る。

「本当に、ありがとうございました」といって頭を下げると、啓一くんがあわてたように、

「やめろって。そんなんじゃない。俺がやりたいからやっただけだって」


 私は微笑みながら頭を上げる。

「でも、お礼を言わせて。私なんか手伝っても、啓一くんに何のメリットもないのに」

と言いかけると、照れた啓一くんがそっぽを向きながら、

「――見たくなかったんだよ」

とぼそりと言った。


 え? 何を? といいかけた言葉を飲み込む。


 赤らんだ啓一くんが私を正面から見つめた。

「泣きそうな京子を見たくなかったんだよ。……それに京子の笑顔が見られたから、それでいいさ」

といいながら鼻の頭をかいている。


 ――泣きそうな私を見たくなかった? 私の笑顔?


 啓一くんの言葉が私の胸の中で何度も何度も響く。

 かぁーっと顔に血が上っていくのがわかる。

「あ、ああ、ありがとう」

と言いながらあわてて立ち上がると、お尻がカラーボックスにぶつかって、その上に置いていた女性誌が落っこちた。


「落ち着けよ」といいながら啓一くんが拾ったその雑誌の表紙には、

 ――あこがれの人の胃袋をつかむ料理一〇選!

とデカデカと書いてある。

「あわわわ」と余計にあわてながらもその雑誌をひったくって本棚に戻すが、啓一くんは気がついていなかったようで、きょとんとしている。


 気を落ち着けながら、

 うん。そうね。もう午後の6時だし……。

と考えて、

「ね、啓一くん。お礼に今日はお夕飯をご馳走するよ」

というと、「おっ。京子のおごりか?」とうれしそうな顔をする。

 私は人差し指を立てて、ちっちっちっと言いながら、

「違うんだなぁ。これが。……私の手料理をご馳走してあげましょう」

というと、「お、おお?」と微妙な表情をする。


 私はテーブルの上のレジュメ類を片付けて、すぐにキッチンに向かった。


――――。

 よし! 本気を出すぞ! 今宵の私はひと味違うのだ!

 決意も新たに戦衣装エプロンを身につける。いざ出陣だ!


 さて諸君は、男心と胃袋をガシッと握る料理といったら何を思い浮かべるかな?

 ……え? 口調が変わったって? 今は戦時中だからね。


 肉じゃが、カレー、生姜焼き、ハンバーグ。よく名前の出るのはこのくらいかな?

 しかぁし! この情報はすでに男性諸君も知っている情報。つ、ま、り、敵に筒抜けなのである!


 そもそも、カレーやハンバーグは色んな味が社会にあふれすぎているし、生姜焼きなんて誰が作ったってそんなに変わらないよ。肉じゃがだって、今の男子がそんなに味の違いがわかるかというと、すっごく疑問だし、ジャガイモの品種によって味の印象が変わりすぎる料理なのだ。


 そこで、今日、私が用意するのは、……炊き込みご飯!

 お出汁のうまみがぎゅっと詰まったつややかなご飯。お釜の底のちょっと焦げたところもおいしくいける!

 これぞ、簡単にして、相手の度肝を抜き、「こいつ! できるな!」と思わせる料理なのであるとここに宣言したい!


 私は内心で仁王立ち笑いしながら、お米を洗ってお釜に水と一緒に浸しておく。

 つづいて、冷蔵庫からにんじんを取り出して洗い、適当な大きさに切る。ツナ缶を開けて油を切り、にんじん、塩昆布とともにお米の上に散らして、お釜をセットする。

 ふっふっふっ。これで秘密兵器の準備は完了だ。次に移ろう。


 つづいて、炊き込みご飯の繊細な味わいを生かすおかずは、何といっても焼き魚だろう。ここにハンバーグだの味の濃いおかずを合わせてはいけない。食事全体の調和を乱して、おいしさが半減してしまう。

 ちなみに、お魚のおいしい料理の順番は知ってるかな? ずばり、1焼く、2煮る、3刺し身だ。知っておくといいよ。

 というわけで、冷蔵庫から取り出したのは、秋鮭の切り身。コンロの網にセットして火にかける。


 それと同時に、お鍋に水を張ってお味噌汁の準備に入る。

 まずは乾燥わかめをお椀に入れて水で戻し、アルミホイルの上に油揚げを置いて焦げ目がつくくらいにトースターにかける。

 お鍋が温まってきたころに、顆粒の昆布だしを投入。鍋底から気泡が出てきたくらいのタイミングで一気に鰹節を投入して、いったん火を切る。

 その間にお魚の様子を見てひっくり返し、お鍋も3分ほどして鰹節が沈んだら網で取り除く。

 水で戻したわかめを入れて、お味噌を溶き、豆腐を手の上で切って投入して、弱火で温め直す。

 すぐに大根を取り出しておろし金ですり、少し絞って水気を切ってからお魚のお皿にのせた。

 焦げ目のついた油揚げを細長く切って用意し、焼き上がった秋鮭をお皿にのせる。

 お味噌汁の火を止めて油揚げを投入したところで、お釜はピピー、ピピーと炊きあがりを知らせた。


 ふふふ。まだまだ私のターンは終わらない!

 冷蔵庫から昨日作っておいた煮物を取り出してレンジでチンをする。昨日はまだちょっと味が若かったから、たぶん今がちょうどいい頃。

 ついでお漬け物を用意しつつ、お好みだけど、レモンを切って鮭のお皿に添えた。


 すばやくお釜のご飯をかき混ぜてから、また蓋をし、お味噌汁をよそってお盆にのせる。

「できたわよ~」

と言いながら、リビングのテーブルに焼き鮭とお味噌汁を先に持って行く。

 興味津々の目で私の料理を見つめる啓一くん。とはいっても、実際は魚は焼いただけなんだけどね。

 きれいな焦げ目のついた鮭に、こんもりとした大根おろしに、黄色いレモン。

 お味噌汁は定番中の定番である豆腐とわかめの味噌汁。これはお出汁が勝負の一品だ。


 キッチンにとって返して炊き込みご飯を盛り付けて、煮物、たくあんと一緒に持って行く。

 最終兵器炊き込みご飯を一目見て、啓一くんが歓声を上げた。


「おお~! 炊き込みご飯だ! すげえ!」

 啓一くんの驚く顔を愛でながらも、すぐにとって返し、急須にお茶を入れて湯飲みと一緒に持って行く。


 啓一くんの向かい側に座ると、子供のようにキラキラした目で料理を見つめる啓一くんが、無性にかわいらしく見えた。

「さ、冷めないうちに食べましょ?」と言うと、うなづいて、二人で一緒に、

「「いただきます!」」

といった。


 早速、啓一くんが味噌汁に箸をつけてからご飯を一口食べる。

「うまい! おいこれ、うまいぞ!」と興奮しながら食べてくれるのを見ていると、ふしぎな幸福感で胸が満たされる。

 微笑みながら、啓一くんにお茶を出し、私も炊き込みご飯を食べた。


 ……よかった。いつもより上手にできたみたい。


 このお出汁と具材とお米の繊細な甘さがおり混ざって、表現することができないようなハーモニーとなって、旨みが口に染み渡っていく。

「この煮物も京子が作ったのか?」と言いながら、一つ一つを味わうように食べる啓一くんを見て、ものすごくうれしくなった。

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