第6話 再びの演習

「――以上のように、天文年間の法華一揆ののち、京都に再び戻ってきている法華宗の姿が描かれているわけですが、必ずしも寺院のすべてが描かれているわけではないことがわかりました。

 裏を返せば、描かれている寺院には描かれている理由があると考えられます。

 この意味を現在調査しているところです。以上で、中間報告を終わります」


 次の演習の時間に、みんなの前で中間報告を行う。

 啓一くんは腕を組みながら相変わらずの無表情で聞いていて、キッコは感心したようにうなづいている。

 報告が終わるとすぐに吉見先生が拍手をしてくれた。みんなもつられて拍手をしてくれる。


 促されて席に戻ると、教壇の先生が、

「前回よりも数段よくなりましたね。着眼点がおもしろい。戦国時代のこの頃――」

と講義を続いていった。


 隣のキッコが、「すごいじゃん、京子」とささやくのを笑顔でうなづき返すと、視界の端で啓一くんが私に向かってサムズアップしているのが見えた。

 小さくガッツをしてやると、無表情だった啓一くんの顔が微笑んだ。


「あれれ? なんかいつの間にか急接近してない?」

とキッコに突っ込まれる。

 そう言われると、なぜか胸がドキドキしてきた。……いや、まさかね。

 ちょっと戸惑いながらも、

「そんなことないよ。ちょっと発見があってさ」

とキッコに言いわけをして誤魔化す。


 不意に先生が、

「京子さんの視点は今までなかったものです。……今度、うちの大学の史学会の例会がありますから、それまでにこの内容をもっと推し進めて、発表したらいいと思いますよ」

と私に話を振った。

 一瞬、「え?」と間抜けな声を上げながらも、すぐに、

「はい! やらせてください!」

と立ち上がると、周りからクスクスと笑い声がわき起こった。

 見ると先生もにこやかにほほえんでいる。


 講義が終わり、

「ね。この後、南風堂に行かない?」

とキッコを誘うと、申しわけなさそうに、

「ごめん。今日、このあとで卒論指導なの。また今度で」

と両手を合わせて私を見る。


「そうなんだ。じゃあ、また今度だね」

「ところで、こないだの図書館デートの詳しい報告を受けてないから、夜にでも電話ちょうだいね。……いろいろと詳しく聞きたいことできたし」

とからかうようなキッコに、あせりながら「え、ええっと何もないよ」と言うが、ふふふっと笑われた。


 教室から出て行くキッコを見送ると、どうやら啓一くんも用事があってどこかに行ったみたいだ。

 ……ふう。これからどうしようかな。

と思いつつも、とりあえず教室を出てエレベーターに乗り込んだ。


――――。

 一人で大学の構内を出る。

 駅へ向かう道路脇の桜並木も葉っぱが色づいてきていて、もうすぐで散り始めるだろう。

 秋晴れの高い空に、気持ちも軽く商店街を歩いて行く。

 通り過ぎる自転車のチャリンチャリンという音、お店の音楽や電車の通る音。街の生きる音を聞きながら、一人で喫茶店『南風堂』の扉をくぐった。


「いらっしゃい」

 おや? 今日は珍しく厨房にいるはずの男性がフロアに出ている。

「お一人ですか?」

と訪ねられてうなづく。

 店内は空いている様子だったが、いつもの奥のテーブル席に案内してもらった。


 相変わらず落ち着いた店内。

 注文を取りに来た男性に、モカ・マタリとピスタチオのムースのセットをお願いした。

 鞄から『国宝 上杉本 洛中洛外図屏風』の図録を取り出して、図像を眺める。


 いつの間にかそれなりに時間がたっていたみたいで、男性がお盆を持って、

「はい。どうぞ」と珈琲とケーキを持ってきてくれた。

 私の手元の図録を見て、

「ほお。『上杉本』ですか?」

と尋ねられた。

 実際に話すのは初めてなので、ちょっと緊張しながらも、

「ええ。卒論のテーマなんです」

と言うと、男性はうなづいて指を一本だけ立てた。

「一つだけアドバイスさせてください」


 思わぬ申し出に目を丸くしながら、黙ってうなづくと、

「私の専門は考古学ですが、一つの遺跡から出土する遺物を分析する際に、近くの遺跡から出土した遺物との比較を行い年代や遺物の分布、そして文化の地域的特性を検討します。――洛中洛外図もいくつかありますよね?」

とにっこり微笑んだ。


 私と同じくらいの年齢に見えるけれど、まるで父親と話をしているようだ。

「ありがとうございます。なるほど。……検討してみますね」

とお礼を言うと、男性は「では」と一礼して厨房に戻っていった。


 男性が厨房に戻った頃、お店の入り口から彼女さんらしきいつもの女性スタッフが入ってきた。今度から彼女さんスタッフと呼ぼう。

「ただいま戻りました」というその手にはビニール袋が提げられている。

 なるほどね。買い物に行っていたのね。

 いいなぁ。恋人か……。


 幸せな甘い空気が漂いだした厨房から視線をそらして、ふと手元のカップをのぞく。モカ・マタリの深い色の上に自分の顔がゆらゆらとゆがんで映っていた。


 中学も高校も好きな人がいたけれど、告白する勇気が無かった。友達からは、「ほら、がんばれ」とか背中を押されたけど、いざ本人の前に出ると……。


 結局のところ、自分に自信がないのよね。顔も十人並みだし胸だってそんなに大きくない。ウエストこそ気をつけているからほっそりして見えると思うけど。


 そういえば啓一くんは、なんで私にアドバイスをくれるんだろう。

 いつも一人でいるところしか見たことがないけれど、よく教授たちとも議論をしているようだ。なぜメリットもないのに、私に色々とアドバイスをくれるのかよくわからない。


 ――彼女はいるのかな?


 啓一くんの顔を思い浮かべていると、突然、そんな考えが頭をよぎった。

 ……違う違う! 私は別にそんなこと気にしてない、はず。


 口にしたモカのほどよい苦みが口に広がる。


 その時、カランカランっとドアにつけたベルが鳴った。

 彼女さんスタッフが「いらっしゃいませ」と案内をしにいき、入ってきたのはなんと啓一くんだった。

 私を見つけた啓一くんは、彼女さんスタッフに一言いってから私の所へやってきて、勝手に向かい側にストンと座る。


「よっ」

と私に軽く手を挙げた啓一くんは、すぐに、

「モカ・マタリに、同じピスタチオのムースを頼みます」と注文した。


 ……なんでこんなタイミングでやってくるのよ? なんだか、ずるいよ。


 向かいの啓一くんを見ていると、まるで夢の中にいるような気がしてきた。

「どうした?」と言う声に、頭を横に振って「ううん。なんでもない」と言う。

 わざと口を尖らせて、

「勝手に座ると勘違いされるよ」

と文句を言うと、啓一くんは知らん顔して「俺は気にしない。っていうか、むしろ喜べよ。俺に会えて」と言った。

 ため息をついて、

「まあ、いいけど。……それで今日は何の御用?」

「ああ。今日の報告良かったと思ってさ。それで今度はどうやるのかなって思っただけさ」


 別に期待していたわけじゃないけど。……期待してたわけじゃないんだけどね。


 再びため息をついて、両ひじをテーブルについて手を組んで、顎を添える。

「今、検討中だけど、他の洛中洛外図との比較をしようと思ってる。それと宗教史を調べるかな」

「――なるほど、比較か。確かに『上杉本』の特徴を洗い出すにはいいかもしれない」

 感心している啓一くんには、男性スタッフからアドバイスをもらったことは言わないでおこう。


 啓一くんの分の珈琲とケーキも届き、しばらく他愛もない話をしていると、突然、啓一くんが、

「先生から大学史学会の例会の話を受けたろ? ……しばらく協力するよ」

と言い出した。

「え? なんで?」と目を丸くしていると、

「例会ていったって、そんなに甘いところじゃない。おそらく比較だけじゃたりないぜ。比較して、その先が問題になる」


 いや、それは協力してくれる理由になってないでしょ?

 そう問いかけたいけれど、なぜか口が開かなかった。

 目の前で啓一くんが、ケーキを一口食べてにっこりと笑った。


「というわけで、ここ、お前のおごりね」

 ……私の純情を返してほしい。

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