犬とハサミは使いよう Second Story
更伊俊介(個人用)
第1話 犬は忘れた頃にやって来る
「ねえ、アナタって本当に犬なのかしら?」
『いきなりどうした!?』
いつも通り、寝床の中で本を読んでいた俺、春海和人に対し、
飼い主である夏野霧姫は、突然とんでもない疑問を語り始めた。
「だって、急に気になっちゃったんだから仕方ないじゃない。冷静になって考えたら、いくら本が読みたいからとはいえ、死んだ人間が犬の姿になって復活するって、おかしいわよね?」
『お、おう。それは確かにその通りなんだけど、どうして今そんなことを言うの? 今更だろ。今更過ぎるだろ!?』
「でも、アナタ、復活するのが犬の姿で良かったわよね」
『まあそうだな。犬なら、ペットとして考えても一般的だから。飼う為の道具も簡単に手に入るし、外を歩いててもそこまで気にされることもないもんな』
「ええ。触手が全身から生えまくってて、皮膚が常にヌメヌメしている、グチャグチャビチャビチャ系の生物じゃなくて良かったわね」
『そんな生物はいねぇよ!?』
「もしも触手系生物だったら、流石の私も見殺しにしたかも知れないわ。だって家に上げたくないもの」
『なんか素直に喜べないんだけど、それは良かったのか……?』
「あら、このエロ犬ってば。ヌメヌメ触手で私の全身を弄んでいる姿を妄想しているのかしら? あんまり調子に乗ってると、こっちはハサ次郎で全身弄ぶわよ」
『ダメージの格差が酷いな!?』
太ももに付いたホルスターからハサミを引き抜きながら宣告する夏野。
相変わらず、こいつの殺る気スイッチは何処にあるのか分かりませんね。
「まあ、触手生命体はともかくとして。犬以外の動物になっていた可能性はある訳じゃない」
『まあな。別に自分で選んで犬になった訳じゃないし、その可能性は十分にある』
「鈴虫とか」
『なんで虫!? しかもなんか寿命が短そうな奴だし!?』
「何言ってるのよ、一寸の虫にも五分の魂と言うでしょ。アナタみたいな矮小な魂の持ち主には、虫でも勿体ないぐらいよ」
『え、何で喧嘩売られてるの? 何か悪いことしたっけ?』
「それで鈴虫」
『だから犬だよ! 虫扱いするんじゃねえ!』
「分かったわよ。犬虫」
『い・ぬ! 虫を付けるなって言ってるんだよ!』
「うるさいわね。別に良いじゃない。たとえ周りからなんと呼ばれようとも、魂に刻まれた名前は決して変わらないのよ」
『……お前、俺が名前を間違えて呼んだらどうするんだ?』
「勿論斬り刻むわ」
『理不尽だな!!』
今日も絶好調で傲岸不遜、傍若無人、国士無双な夏野霧姫である。
王様か何かなんだろうか、こいつ。
「じゃあ、他に何かなりたかった動物はないの?」
『……はぁ?』
「だから、犬にならなかったとして、他に何かなりたかった動物はなかったのかって聞いているのよ」
『ああ、そういうことか。犬以外、ねえ……』
「カブトムシなんてどうかしら?」
『なんでまた虫!? やっぱり寿命が短いし!!』
「たとえどんなに矮小な生物に生まれ変わったとしても、その生物本来の生を全うすることこそ、生きるということじゃないかしら。無理矢理長く生きるよりも、与えられた生をあるがままに生き抜くことこそが本来の在り方。それなのに、寿命の長短で価値を判断するなんて、全くおこがましいわよね」
『何を大真面目にまとめようとしてるんだよ! 俺はカブトムシなんて嫌だからな!』
「あら、どうして?」
『決まってるだろ! 本が読めないからだ!』
「……じゃあ、本が読めるのならカブトムシでも良いって言うの?」
『勿論だ!』
「鈴虫でも?」
『ドンと来い!』
「触手生物は?」
『むしろ一度に何冊も読めていいよな! でもヌメヌメしてたら本を濡らしちゃうかもなぁ。いや、防水カバーさえしっかりしていれば……』
「相変わらずのバカ犬ね、アナタは……」
何故か呆れた視線で見下ろして来る夏野。
何だよ、何もおかしなことは言っていないだろ。いつもの俺だろうが。
「じゃあ、人間以外のほ乳類になるとしたら?」
『突然限定的になったな』
「ええ。アナタが脱線してばかりだからね」
『それ100%こっちの台詞なんだけれど!?』
「うるさいわね。そのツッコミ以外に能のない口を閉じて、真面目に考えてみなさい。何になりたいの?」
『だから何にって言われても……でもそうだな。俺の実家、猫を飼ってたからさ。猫になってみたいってのはあるかもなぁ』
「猫、ねえ」
『ああ。タマって名前なんだけどさ……』
「犬の次は猫って、発想が貧弱過ぎないかしら」
『うるせえな! 良いだろ別に!』
「まあ良いわ。それじゃあ……」
『え、何だ? いきなり窓を開けて何をするつもりなんだ?』
疑問を浮かべる俺の身体を夏野は軽々と持ち上げると、リビングの向こう、ズラリと並んだ窓ガラスの方へと向かって行く。
そのまま外のバルコニーに出たかと思うと、俺の尻尾だけを掴んで、手すりの外へと手を伸ばし……。
「お、おおおお!? 何これ!? どういうこと!? イミワカンナイ!?」
夏野の住んでいるのは、高層マンションの最上階。
地上数百メートルはあろうかというその場所で、俺は宙吊りになっている。
『待て! さてはお前、ここから俺を落とすつもりだな!? それで「猫になりたいんだったら、特訓しましょう。まずは、この高さから落とされても無傷で着地出来る特訓ね」とか言うつもりなんだろ! 分かってるぞ!』
「あら、ただちょっと空気の入れ換えをしたかっただけなんだけど。そうね、確かにそれもアリよね」
『盛大なる自爆!? 神は俺を見放した!?』
「そのつもりはなかったけど、そこまで言われちゃあ仕方がないわよね」
『やめろよ? 絶対にやめろよ?』
「ええ大丈夫よ。絶対に落とさないから。絶対に!」
『あ、ダメだこれ。絶対に落とす奴だ。そうだ! 猫はやめよう。猫はやめて鳥にしよう。ほら、重力に縛られずに大空を飛んで……ってダメだな! 今一番ダメな奴だな! 待って、今考えるから! 決してその手を放さないで!』
「ちょっと、そんなに動かないでよ。あんまり暴れられると……あ!?」
『え!?』
次の瞬間。
夏野の手から放された俺の身体は、大空へと投げ出されたのだった。
「…………危ないわね。落ちるところだったじゃない」
『いや落ちたよ!? 実際リアルに落ちたからね!? つーか何で放すんだよ。放すなって言ったじゃんか!』
「あらアナタ、泣いているの?」
『誰でも泣くわ! 死にかけたんだぞ!』
夏野の手から放された俺の身体は、重力に引かれて落下。
しかし、ギリギリでバルコニーに前足を引っ掛けることに成功したのだ。
夏野に引っ張り上げられてバルコニーの上に立たせて貰い、無事にこちら側へと戻ることが出来たけど、正直かなりヤバかったぞ。
幾度となく死にそうな目に遭ってきた経験はあるが、その中でもランキング上位に食い込むヤバさだったぞ。
いや、良く考えたら、どうしてランキングを作れるぐらい死にそうな目に遭ってるんだよ。
泣くぞ。泣いてるぞ。
「まあでも、これでハッキリしたわね」
『何が?』
「本を読むのに必要なのは2本の前足、今アナタの命を救ったのも2本の前足。つまりアナタは、2本の前足さえあれば大丈夫ということよ」
『……言っていることの意味が全く分からないが、続けてくれ』
「つまり、後ろの2本は必要ないということよね?」
『オーケー、分かった、この話はおしまいだ!』
「放っておくと勝手に何処かへ行ったりするし、余計な泥棒猫に引っ掛かったりするものね。だから、この部屋から出られないように、必要のないものは斬ってあげるわ」
『ハ、ハハハハ、ビビらせようったって、そうは行かないぞ。どうせ冗談なんだろ、分かってるぞ!』
「あら、今までに私が冗談を言ったことがあるのかしら?」
『そ、そりゃあるだろ。冗談ぐらい……』
夏野は太もものホルスターから銀色のハサミを引き抜くと、それを逆手持ちに構える。ハサミの刃の先にあるのは、バルコニーの上の、俺の後ろ足。
夏野の赤みがかった大きな瞳も、俺の後ろ足をじっくり睨め付けている。
『ちょっと待て……お前、まさか本気で……!?』
「ええ本気よ。私はいつだって本気なのだから……」
バルコニーの上に立たされている状態の俺。
その身体は夏野の手によって押さえられていて、逃げようもない。
ちょっと待て。マジか。マジなのか。
「私は本気。今までも……」
『や、やめ!?』
「そして、これからも!!」
『やめてえええええええええええええええ!!!!』
瞬間。
夏野の手によって振りかぶられたハサミ。
陽光に当たって銀色に光輝くその刃は。
一瞬の静止を経て。
俺の後ろ足に向けて振り下ろされたのであった。
◆ ◆ ◆
「……足の爪が伸びてるの。気になっていたのよね」
結局、斬られたのは、俺の後ろ足の爪だった。
夏野が振り下ろしたハサミは、爪の先だけを器用に刈り取ったのである。
「はい、終わり。アナタ、爪が伸びたらちゃんと言いなさいよね。歩く時、何処かに引っ掛けたらどうするのよ」
確かに、伸びていたかも知れないが、ハサミなんかで攻めて来ないで、口で言えば良いことだったんじゃないかな?
折角言葉が通じるんだから、ちゃんとコミュニケーションを取ろうよ。
バーサーカーとかじゃないんだからさ。
危うく後ろ足にサヨナラバイバイするところでしたよ。
「じゃあ話を続けるんだけど……」
『え、まだ続けるの!?』
「当たり前でしょ。まだ終わってないんだから」
『いや終わっただろ! お前が無茶苦茶なこと言って、俺が振り回されて、結果酷い目に遭って。それで一区切り。あー終わった終わった、今日のノルマは終わったから、後は本を読もう、ってなのが、いつもの流れなんじゃないの?』
「ノルマ? 流れ? 何を訳の分からないことを言っているの?」
いや、そう冷静に言われるとこっちも困ってしまうんだけど。
だって、今までいつもそうだったじゃないか。
『つーか、続けるってこれ以上何を続けるって言うんだよ』
「……『お前は、人間じゃなかったら何になりたいんだ?』と聞きなさい」
『はぁ?』
「聞こえなかったの? アナタが私に、『お前は、人間じゃなかったら何になりたいんだ?』って聞くのよ。ほら早く」
『お前、いきなり何を言って……』
「……今度は少し深爪になるかも知れないわね?」
『分かった! 言う! 言うから待って! ハサミしまって!?』
銀色のハサミを掲げ、直接的に脅してくる夏野。
一体何だって言うんだよチクショウ!
『え、えーと? お前は、人間じゃなかったら何になりたいんだ?』
「あら聞きたいの?」
『いや別に?』
「……深爪」
『聞きたい! 超聞きたい!』
「しょうがないわねぇ。もし人間じゃなかったら……」
『人間じゃなかった?』
「私は、犬になりたいわ」
『え?』
「そう、私は犬になりたいの。犬種も決まってるわ、ミニチュアダックスフントよ。アナタと同じ、ミニチュアダックスフント」
夏野は、心の中でずっと決めていたかのように言い放つ。
人の身を捨ててまで。
犬に、なりたい。
俺と同じ、ミニチュアダックスフントになりたい、と。
それは、つまり……。
「ちょっと、何を黙っているのよ、駄犬」
『え、あ……』
「何か、言うことがあるんじゃないの?」
俺を値踏みするかのように、真っ直ぐに向けられる夏野の視線。
その瞳の奥で、何か、大事な想いが揺れているように見えて。
俺は、その想いに応えなければならないと、顔を上げる。
『夏野、あのさ……』
「何かしら?」
『なんつーか、上手く言えないかも知れないんだけど……』
胸の中、震える想いを込めて。
俺は、ただ目の前の夏野に向けて言う。
『バッカじゃねえの?』
「…………はぁ?」
そう。
バカじゃねえの、と。
『お前なあ。頭おかしいんじゃねえの? 何で犬なんかになるんだよ。俺の犬生活が羨ましくて、そんなことを考えてるのかも知れないけどな。言っておくが、この生活だって、そこまで快適じゃないんだぞ。確かに衣食住は保証されてるが、一緒に住んでいるのは何かあると、すぐにハサミ持って襲い掛かって来る、妖怪ドSハサミ女なんだからな。地雷原の中で過ごしているみたいなもんだ。本当、この部屋の本棚さえなければ、こんなところすぐに出て行くんだけどなぁ』
そして。
『第一お前、犬になんかなったら本を書けねえじゃねえか。本を書かないお前なんて、ただの貧乳でしかないんだぞ? いや犬だから貧乳犬か。犬に貧乳の概念があるのかどうかは知らないけどな、まあ、限りなく貧しい存在になることは間違いないだろう。いいか、お前は本を書くからこそ夏野霧姫で秋山忍なんだ。世界中の読者は、お前が書く本を待っているんだよ。だから、犬になりたいだなんて世迷事を言っていないで…………って、どうしたの? 何をそんなに怒っているの?』
目の前、夏野の顔が変わっている。
それは、一見して無表情にすら見える、激怒の表情。
ちょっとシャレにならないぐらいキレている時の顔だ。
以前、この顔を見た時のことは思い出したくない。
あの時は、七日七晚に渡って逃げ回るという、デンジャラスでバイオレンスにまみれた、地獄のパーリーナイトが繰り広げられた。
あ、つまり今日もこれからパーリーナイトってことか。
『いや何でだよ! 俺は、お前が犬になりたいだなんて言って、自分を見失いそうになっていたから。きちんと道を説いてあげようとしただけで……って、ちょっと待て! 尻尾を踏むんじゃない! 逃げられないだろ! あ、いや、別に逃げる気はないけど、一応ね! あ、ダメだよ。やめて。そこは爪じゃないから! 爪じゃない! だからそこはダメだって! 爪じゃないんだから!』
そうして。
平和な新稲葉の街に、今日も犬の悲鳴が響き渡る。
『だからそこは爪じゃないってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!』
おわり
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます