Blood stained Booy ~チマミレ ノ ショウネン~

鏡水むい

夜明け

よく晴れた秋の日の午後のこと。

広い庭では見事に楓が色付き、鮮やかに過ぎた夏の気配はもう面影もない。

息をつく間もなくじきにこの大地も純白に覆われるだろう。

本当に時が過ぎるのは早いものだ。

あの日から、もう季節が五回巡った。

赤子だった息子も、もうあちらこちらを走り回っている。



不思議…と、彼女は微笑んだ。

元気に育ってくれている息子、そして、自分もこうして生きている。

それがこんなにも幸福で、有難いことであるとは……。



―――だけど…。



「私は悲運を背負わされたあの子を守るどころか、抱きしめてあげることさえできない…この残された生命で、あの子に何をしてあげられるの……」




かつて、人知を超える神の力を欲した若者がいた。

ヒトの手をもって世界を破滅させ、再創造を成す。

結果として、終わらない罰を受け続けることとなろうとは思いもせずに。


禁忌とされた道を歩んだ彼に負わされた代償は大きかった。

神の力は螺旋となり、その後も彼の子孫に引き継がれることとなる。

この世に生を受ける際に母親の持てるすべての生命力を己に取り込み、その命と引き換えに生まれおちる。

そして途切れることなく受け継がれ続けた呪いの力によって再度この世界の破滅を導くという宿命を、共にしながら。


彼女、温嬌(おんきょう)の血筋はかつてより神によるヒトの業を一身に背負い続けてきたのだ。

その系譜には元来、女児一人しか産まれてこなかった。

世代を重ねる毎にこの能力値は底上げされてきたのである。

現世を破壊し、新たに創生するに十分な力を得られた時にようやく男児の誕生をもってその悲しい螺旋に終止符が打たれる、その時まで続く呪縛。



…まさにその終止符たる男児こそが彼、玄奘(げんじょう)。



創造主の系譜最後の子を産み落とした温嬌は、その生命力のほぼ全てを奪われながらも異例的に命をとりとめた。

しかし、その日よりほぼ寝たきりの状態から一向に回復することはなかった。

床に伏せながら、息子の成長を見守ることしかできない。

今も広い部屋にひとり、溜息がちにうつむく。



「…ばか、ポジティブ全開のお前らしくねー!」

不意に後ろから降ってきた声に振り返れば、またどこかで駆け回って疲れてしまったのであろう、ぐっすりと眠る我が子と、それを軽々おぶった男の姿をみとめる。

広い背中で安心しきった顔をして、穏やかな寝息を立てている玄奘。

やがて世界から驚異と、絶望と、畏怖される存在になる…そんなことなどこの子は知らない。

「弱気になっている暇があったらさ…見ろよ。憎いほど幸せそうな面して寝てやがるぜ…」


…ああ、このまま何も変わらず平和に幸せに、時がすぎて行けばいいのに…。

叶わない願いを、ただただ胸にしまって微笑む。

『今』がある、それだけが彼女にとって生きる意味、希望なのだ…と。


***



五年前のある冬の朝。

都に程近い小さな町のはずれ、広大な敷地を有する屋敷の一室から、この物語は始まる。



「男児だ…男児が産まれた………」


静寂を切り裂く産声とともに場の空気が、変わった。

本来ならば祝福に包まれるべき場に似つかわしくない、重々しい空気。


出産を終えた母親と、たった今この世に生まれおちた、運命の子。

悲痛な未来を背負う血の連鎖は、来るべき時を迎えたのである。



「ついに、現世が再生の時を迎えるのか」

「不吉なこった…でも、俺たちは安全なんだろう?」

「そうだ、この屋敷に仕えている限り身は安泰の筈だ、しかも新世界の第一人者になれるんだぜ…」

付き人達は不安や安堵に次々と表情を変えつつ、各々勝手なことを呟いている。




―――時代の節目が、訪れた。



幾千幾百の年を経て、この世界はまた終結と再生の時を迎える。

前創造主が先の世を破滅させ、現世を成立させてからの長い長い時間、その系譜はただひたすらに『今』を待ち続けていたのである。

単なる螺旋の断片、と、宿命に切り捨てられ死にゆくしかなかった母親たち…。

その幾千幾百もの思いをひとつ身に背負って『彼』は産まれ、そして、悲しみの螺旋は途絶えた。

…しかし、この先起こり得る更なる悲劇苦しみをも、ただ独りその小さな身体に纏うことになる。

そんなことなど知る由もなく、祝福されることもないこの幼子は、それでも確かに今…しっかりと命の炎を灯し始めた。



「生きている?温嬌は存命なのか……!?」

そこへ。

わらわらと群れる付き人をかきわけ、血相を変えて駆け込んできた黒髪の男。

名をリエンという。

一見すれば容姿は全く人間そのものであるが、その実はひとの想いが創り上げた、式。

命あれども人ならぬ存在である。

彼をこの世に呼び起こした主である温嬌の最も近くで守ってきた。

先代たちと同じように子をなしたらそれで役目を終え、後の命の繋ぎとなるだけの温嬌。

その運命を知りつつも彼女を守ることが彼の使命であり、存在意義だった。

避けられない別れは、この世界が始まった時から決められていたこと。


だが、しかし…。


どうして素直に納得できよう。

…何故、彼女でなければならない?

温嬌の子が産まれる。

彼はそれを複雑な気持ちで見守りながら過ごしてきた。

しかし、逃げもせず目を背けることもなく、その運命に向かい合おうと望んだのは他ならぬ彼女なのだ。

その意思を酌むのもまた、彼女を支えるということ…そう、無理に納得しなければならない現実。



「温嬌!」

勢いよく襖を開ければ、衰弱しきってはいるものの、床に伏せながら弱々しく微笑む主が確かにこの目の前で………生きている…!

「………温嬌…!」

駆け寄って、手を握る。

……驚くほどに冷たい…。

本来ならば、産まれおちる我が子に全ての生命力を奪われてしまうところ、奇跡的に繋がった命の儚さを示すかのようだ。

「……っ…。……!…。………。」

瀕死状態にあり、言葉を発することさえままならない彼女であったが、横に眠る我が子に向ける眼差しは慈愛に満ちた幸せに溢れていた。

その幸せを、動かない身体で必死に伝えようとする姿。

それにただ頷いて応えるだけで、涙が零れる。




よかったな、本当に…よかった………。





幸福の夜は、静かにふける。


…時よ止まれ。

未来など、来なければ良い。

永劫に続く今を望む二人を、無言で包みながら……。



***


―――あれから、五年…。


瀕死の状態だった温嬌は一週間ほどで回復したものの、自力で立ち上がることもままならない身体となり、いまだ床に伏せたままだ。

一方の玄奘は健康すぎるほど健康にすくすくと成長し、連日お目付け役のリエンを汗だくにさせながら振り回している。


全く、困ったものである。

自分たちの心配などよそに毎日泣いたり、笑ったり、怒ったり、笑ったり…笑ったり……。


「この先に起こること、起こさなければならないこと…まるで、嘘みたいだね。」

背中から降ろされ、自分の横に眠る息子。

この無防備な寝顔を見ていると、毎日投げかけられる無邪気な笑顔を見ていると、創世の血筋のことなどなかったように思えてしまう。

「今は難しいことは何も考える必要なんてないさ。この瞬間瞬間を大事にすればいい」

目の前の幸せを噛み締める、それが今やるべきことだと、リエンは微笑む。

与えられた命、生かされている命…それを幸せなものだととらえなければ。




「そういえば、最近劉洪(りゅうこう)様がみえないのだけど…」

劉洪というのは、温嬌の夫、つまりは玄奘の父である。

寝たきりの温嬌の身の回りを助けたり、玄奘のお守りをしたりしているのはリエンで、実質は彼が父親のようなものなのだが…。

いつもなら最低でも週に二度三度は顔を見せに来ていたが、このところ姿がみえない。

「また自室に籠っているよ…」

大きな溜息混じりに、眉間にしわをよせるリエン。


温嬌によってこの世に呼び起こされたその時から彼は全てを知っていた。

かつての最愛の相手を失った温嬌の計り知れない悲しみ、本来それを支えるべき劉洪が自分の地位身分のことしか頭にないこと…そこに愛はなかった。




光蕊(こうずい)、温嬌の婚約者…正確には、婚約者“だった”男がいた。

心から愛し合っていた二人は六年前、彼の死によって永遠の別れを遂げることとなる。

突然屋敷に攻め入ってきた暴徒から身を呈して温嬌を守り、彼女の眼の前で光蕊は殺された。

彼が亡くなった時、たった独り取り残された温嬌には絶望しか残っていなかった。

…何度自らの命を絶とうとしたか知れない。

その後間を空けずしてすぐに、光蕊の弟にあたる劉洪との縁談があがったのだ。

しかし、それが彼女の傷を癒す術になるどころか、彼から有り体の優しささえ投げかけられることは一度たりとなかった。



そんな絶望の淵にあった彼女を支えたのが、胎内に宿った命の灯。


それが劉洪ではなく、光蕊の子であることは、本人である玄奘ですら知らされていない事実である。

二度とは還らない彼が遺した忘れ形見を、温嬌は必至で守り続けてきたのだ。




あの時、現実から目をそらさずにきたからこそ、今この幸せを噛み締めることができる。



生きていて、良かった…―――。



悲運な未来を背負わされたこの子には、自分よりよっぽど辛い試練が待ち受けているだろう。

しかし、いつかそれを乗り越えた末のこの気持ちを彼にも味わってほしい。

世界の再生や血筋のことなどよりもよっぽど大事な『母』としての彼女の望みは、ただそれだけだった。

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