第8話「ごめんねとありがとうと」④

――『はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ』


 門兵が既に気を失っており、そして息を切らすトリアリスのすぐ前、そこにも今まさに崩れ落ちる男が一人。


『……なっ……ぜ?』


――息を切らしてその場に立ち尽くすトリアリス。その表情には勝利の余韻がよぎり、次の瞬間には左手をしっかりと握りしめ高々と天に掲げていた――。



 ※ ※ ※ ※



 トロイアート城は山の地形を利用した天然のバリケードを有する要塞城だ。故に平地に建てられた城のように外堀を囲う外壁を有していない。


 城の内部に続く正門と西門の外側はそれぞれ斜頸を持った橋に加工されており、有事の際は橋ごと破壊して外敵の侵入を拒む仕掛けが打ってあるとされている。


 そしてその最終判断は現場に委ねられている。

 故にトロイアート城門兵のお役目を担う重責は重く、ニ人制ニ交代、計八人はいずれも王直下の騎士団相当の実力の持ち主である。


 日々様々な事態を想定しては対応を検討し、有事に備えている。


 が、空からの攻撃――。


 真上からの早朝の奇襲。この事態は想定していない――。


 ――何が起こった? 女の子。 長くまっすぐな薄青色の髪をなびかせ……。


「お、王女殿下?」


 想定外の事態の上、更に理解の範疇を超えた襲撃者の正体。思考を更に加速させる為にギアを何段階もすっとばした弊害か、まるでチェーンが外れた歯車のように思考が空転し、門兵は未だ状況の理解に及んでいない様子。


 そうとは知らず、アードロフとトリアリスは顔面蒼白だ。


 ――まずい。


 アードロフの当初の計画では普通に門ではない外壁を降りる予定だった。

 こっそり出ていってこっそり戻ればそれで良い、そう思っていた。

 しかし、調子づいたトリアリスの勢いを止める事が出来ず現状に至る。――完全に失策。


 だからといって現状を嘆いていても変わらない。アードロフもまたこの状況を目の前に激しく思考を加熱させる。 


 まずは現状を正しく把握する必要がある。トリアリスが下敷きにした一人の意識はどうだ? ここは西門だ。門兵がもう一人。倒せるか? 彼らの交代時間はいつだ? 交渉が必要か? 何をどう交渉する? 

 ……無理だ、門兵の練度は王国屈指。王国の盾としての自覚と覚悟を持って職務を全うする選ばれし精鋭だ。どうする? どうする? どうする? どうす――。


「なにをしているのです! アーガス!」


 不意にトリアリスの口から普段の鈴を揺らす様な声とはちがう、鐘を強く叩いた様な声が発せられる。それはトリアリスにとっては外行き用、周囲に威厳と品格を意識させる為に作られたそれ専用の声色だ。

 そしてその声に、未だ思考のギアが噛み合わないままの門兵アーガス・アルサースは背筋を正す。


「ボリスを潰してしまったわ! このままでは命に関わるかもしれないのよ! 早く治療を! そして私に手を!」


「えっ、あ! ハッ! 殿下、お手を」


「ありがとう、アーガス・アルサース」


 未だトリアリスのお尻の下で踏みつぶされたままの門兵ボリス・ポートックの身を案じ、自身を引き上げるよう強く要求。

 差し出された手を取ったトリアリスの表情からも声からも、それまでの語気や威圧的な雰囲気が消え、酷く優しく、美しい声と笑顔で微笑みかける。


 微笑みかけられたアーガスはトリアリスのその微笑みに頬を染める。

 まだ釈然としない状況の真っ只中ではあるが、その美しい顔立ちと自身に向けられた笑顔。そして郊外の村の生まれである自身や、未だ下敷きにされている同郷のボリスの名前を王女に呼んで頂けたという光栄で胸が熱くなる。



 ――不意に、小さく細い声がアーガスの耳に届く。


「ごめんなさいっ……」


 アーガスが右手をトリアリスに差出し、トリアリスがその手を同じく右手で取っている。

 そして次の瞬間、トリアリスはその手を自身の方向に力いっぱい引っ張った。


 王女の笑顔に完全に不意を突かれたアーガスは体制を崩し、右足を一歩前に踏み出し何とかこらえる。


 引き換えにトリアリスは反動で立ち上がり、未だにアーガスの右手を握ったまま体全体をアーガスの右側に入れている――。


 このポジショニングはまずい――。刹那、アーガスの体が、経験が、修練が、そんな危険警報を発する。


 そしてアーガスは信じられないものをその目に見る――。王女は自身を捉えて未だ離さない右手の反対の左手を、大きく振りかぶっているのだ。


 熟練の兵士であるアーガスにはその挙動から繰り出される次なる動作が手に取る様に解る。


 あの振り上げられたこぶしは間違いなく私の頭部をめがけて降り落ちるはずだ。

 右手は王女にしっかりとつかまれている。自身の腕が、肩が、邪魔で左腕での防御は間に合わない――。


 もちろんアーガスはこの状況を打破する手段をもっている。

 体に染みついた反射に基づく、知識に基づく、経験に基づくその動きを繰り出せば簡単に鎮圧できる。


 しかしアーガスは動けない。

 相手は王女なのだ。決して危害を加える訳にはいかない。

 たから、アーガスは動けない。その一瞬が命取りだった。


「いやーーーーっ!!!!」


 トリアリスの振りかぶられた左手が対象に向って振り落とされる。その腕はやや金色に発光し、まるで鎌で首を狩る様に、猫が獲物を弄ぶ時の様に、アーガス・アルサースの顎を打ち抜いていた。




『はぁっ、はぁっ、はぁっ、、はぁっ』


 後ろには門兵が既に気を失っており、そして息を切らすトリアリスのすぐ前、そこにも今まさに崩れ落ちる男が一人。


『……なっ……ぜ?』


――息を切らしてその場に立ち尽くすトリアリス。その表情には勝利の余韻がよぎり、次の瞬間には左手をしっかりと握りしめ高々と天に掲げていた――。


「……猫パンチだ」


 アードロフがこぼれる様につぶやく。

 猫パンチ。それはアードロフの必殺技である。具体的にどう使われてきたかと問われれば、主に状況をうやむやにするときだ。


 他種族の言語を自在に操るアードロフは、昔から様々な種族間の橋渡し役として交渉の場につく事が多かった。そしてその全てが穏便に決着を迎えた訳ではない。

 種族を超えた交渉には思いもよらないトラブルが付きまとう。もうどうにもならない時、それでも交渉になんらかの見切りをつけなければならない時。アードロフはこうして譲歩した交渉に応じるフリをして手を差し伸べ、締結の瞬間にちゃぶ台をひっくり返して場を荒らしてとんずらする。といった最低な行為を何度かやらかした事がある。


 もちろんそんな事をしでかせば、信用や信頼が失墜し、公証人としての立場を失いかねないため、この手が使われるのは主に密約時や”信用”というような社会通年がそもそも存在しない種族が相手の場合ではあったが――。


 ともあれ一つ分かったことがある。トリアリスは自身のキャパシティを大きく超える様な状況、心情に追い込まれると内在化したアードロフのお話の断片。その欠片を探り、現状に最も近いそれを選択し対応を実行することで事態を打開しようとする癖があるらしい。


 それが良いのか悪いのかは先の戦闘を見る限りなんとも判断しにくいが、ともあれ現状、屈強な門兵ニ人の打倒には成功していた。


「アードロフ……私……どうしよ、ボリスを踏み殺して、アーガスを殴り殺してしまったわ」


「大丈夫! 少し気を失っているだけさ。彼らの鍛え方はそんな軟弱じゃないよ。それよりよくやったと僕は褒めてあげたいような気がするよ。いや本当」


 手段こそ乱暴なものではあったが、決断力と行動力にはさすが次期女王としての才覚が見え隠れしていたような気がしなくもない。


 ――結局彼らにはほとんど外傷はなく、アードロフが彼らを起こし、全て思い違いだ。それは夢だったんだ。で押し通すことになった。


 それはそうだ。いくらなんでも王女が空から降ってきて、門兵ニ人をのしたなど。そんな事があるはずがないのだから。


 体に傷は無い。だが、心に刻み込まれた何かを埋めるかのように、彼らの想定事態演習の項目には以後”空からの突然の奇襲防止とその対策”が加えられることとなった。

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猫と女王と 大熊猫大輔 @ookumanekodaisuke

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