煤けたストーカー
楠樹 暖
タンデムで目指すパラリンピック
競輪でS級二班まで登り詰めた俺だが、練習中の交通事故により選手生命を絶たれてしまった。
体の怪我はかすり傷程度で済んだが、後頭部を強く打ち、視神経をやられてしまい失明……。
選手手帳を返却し現役を退いた。
いつもの習慣で練習をしないと体が疼く。
目が見えなくても体は以前と同様に丈夫なのが逆に恨めしい。
外に走りに行くことはできないので、部屋の中でパワーマックスというエアロバイクのような固定式の練習器具に乗り続けるだけだ。
そんな生活が続いたある日、競輪学校時代の同期のタクマが家に来た。
「よう、ハンスケ!
家の中でパワーマックスばかりじゃ飽きるだろ?」
タクマの言葉には配慮が足らない。
「仕方がないだろ。お前、俺の目が見えないことを分かってて言っているのか?」
「知っているからこそ、ここへ来たんだ。ハンスケ、ストーカーにならないか?」
「ストーカー? 何を言い出すんだ。ストーカーってあれだろ? 女性を付け回して迷惑をかけるっていう」
「いやいや綴りが違うよ。S、T、A、L、E、Rでなく、S、T、O、K、E、R。タンデムの後ろの人」
「タンデム?」
「そう、タンデム。タンデム自転車。二人乗りの自転車。前に乗ってハンドルを操作する人をパイロット、後ろで漕ぐだけの人をストーカーって呼ぶのな。
ストークっていうのは、火をくべるって意味で、ストーカーは火をくべる人ってこと。
蒸気機関車の機関員なんかもストーカーっていうらしいぜ」
二人乗り自転車か……。昔、村田機械の敷地内を使った犬山クリテリウムというロードレースに出たときに、障害者のレースで二人乗りの自転車が走っていたな。確かにそれなら目が不自由な俺でも乗れそうだ。
「ハンスケ! 二人でパラリンピックに出て、金メダルを目指そうぜ!」
タンデムを始めると決心した俺は、タクマに連れ出されてホームバンクでもあった名古屋競輪場まで来た。
二コーナーの観客席の上にある大きなスクリーン、オーロラビジョン。本番レースで並びを確認したいときは後ろを振り向かずに左前方のオーロラビジョンの方に顔を向け、自分たちが映る姿を見ていたっけ。
「どうだ、見てくれ。これがタンデムの自転車だ!」
タクマは用意した自転車を見せてくれた……のはいいが、やはり配慮が足らない。
見ろと言われても見えないのに。
自転車を触って確認する。普通の自転車二台を切って繋いだような形で、後ろのハンドルは固定されて動かない。
「さっそく乗ってみようぜ」
タンデムに乗りスタートする。
「コーナー入るぞ」
タクマの合図で車体が傾く。
自分の体が取り残されて焦った。
以前は無意識にやっていた体重移動がワンテンポ遅れてしまう。
外へ膨らみかけたであろう自転車が体を傾けたことで逆にイン側へ切れすぎてしまった。
しばらくハンドルがふらついていた。
「ゴメン、タクマ。気を付けるよ」
コーナーの曲がり方は走り込んでいくうちに距離感や速度感から自然と体が覚えていった。
練習を重ねることで二人の息も合っていき走ることの楽しさを思い出してきた。
パラリンピックはオリンピックの後に始まる。一㎞タイムトライアルの選手に選ばれた俺とタクマは最終調整に余念がない。
俺たちのホームバンクである名古屋競輪場は一周が四百mだ。競輪場によっては五百mや、三百三十三mのところもある。パラリンピックが開催されるバンクは二百五十mと小さく、その分コーナーがきつく傾斜も急だ。伊豆で練習を積みはしたがやはり不安だ。
タクマが背中をポンっと叩いた。
「あんだけツライ練習をしたんだ。今日だけは楽しもうぜ!」
真っ暗な視界の中で、タクマの方だけが輝いて見えた。
タクマはパラリンピックのために本業の競輪に出場できていない。その分、稼ぎが少なくなる。タクマの場合はS級一班なので相当な損失になるだろう。そんなタクマのためにもいい結果を出さなくては。
いよいよ俺たちの番だ。
息の合ったスタート。
ぐんぐんと加速する自転車。
トップスピードまで上げ、あとはこのペースを維持する。
一周二五〇mのバンクを四周しなければいけないが、三周目が終わった辺りからタクマのペダリングから力が抜けていくのが感じられた。
ここは俺がカバーしなくては。
踏み込む力を少し上げた。
脚が重くなってきた。
しかし、ここで脚を緩めたら一気にスピードダウンしてしまう。
一秒が凄く長く感じる。
堪え切ってゴール。
世界記録には及ばなかったが日本新を出した。
この時点で暫定一位。
後続の組がこの記録を破らなければ金メダルだ。
他の組の様子を場内放送で聞いていたが、機材の故障で音が出なくなった。
大型スクリーンに結果が映し出されているが、俺は見ることができない。
タクマが一組終わるたびに逐一読み上げてくれる。
暫定一位のまま最後の組のスタート。タクマは黙って最後の組の走りを見ていた。
そろそろゴールだ。
歓声が聞こえる。
結果はどうなったんだ?
?
?
?
大きな衝撃と共に締め上げられる感覚がする。タクマが抱き付いてきたのだ。
声にならない嗚咽を上げるタクマ。
この瞬間、灰色になった俺の人生が金色に輝いたことを知った。
俺もタクマを抱き返し、金メダルの栄光を体で感じていた。
(了)
煤けたストーカー 楠樹 暖 @kusunokidan
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