第20話人を守るということ

「ヴィー、大丈夫か? だいぶ痛むのかい?」


 ボロボロと涙を零すヴィヴィアンを見て、エドワードは心配そうに尋ねた。

 喉に熱いカタマリがこみ上げて、返事をすることができないヴィヴィアンは、首を振る。


「こうしてはいられない。さあ、見張りがいないうちに、早くここから出よう」

「は、はい……」


 乱れる心に落ち着くように言い聞かせ、ヴィヴィアンは涙を拭った。

 まずはここから無事逃げ出さなければならないのだ。再会の喜びも、この気持ちに整理を付けるのも、それからでなければならない。


「だが、こんな風にしておいて見張りも何もいないとは……」

「ソフィア様のお話では、リルバーン伯爵家の馬車を盗賊が襲い、ソフィア様は辛くも逃げ切ったという筋書きだったそうなのですが……いざここに来てみると、盗賊役がいなかったのです」


 壊れた扉を開け、部屋の外に出ると、そこは広い空間だった。

 古く、粗末なテーブルがいくつか転がっているところを見ると、ここは以前食堂かなにかだったのだろうか。


「――ここは、以前孤児院だったようだ」

「そうなのですか」

「……いつの時代も、犠牲になるのは幼い子供なのだな」

「エドワード様……」


 エドワードの言葉には、自分の幼い頃の体験も含まれているのだろう。

 唯一の家族を失った後、彼は祖父の親友の貴族に引き取られた。だがその理由は、敵国へ送られるレイモンドの供だったのだ。幼い彼は深く傷ついたことだろう。


「レイモンド様は、どうなさったのですか?」


 ヴィヴィアンは話題を変えようとしただけだったのだが、返ってきたのは、皮肉な微笑みだった。


「レイモンド様が気になるかい?」

「え? いえ……あの……そういうわけでは……」

「レイモンド様は、ソフィアたちの方に向かったよ。クロエから、君がソフィアの馬車に乗ったと聞いて後を追ったんだが、途中で二手に分かれたんだ。彼は、道に出来た馬車の跡を追った」


 エドワードの口からクロエの名前が出て、ヴィヴィアンの心臓が飛び跳ねた。


(クロエ様――!)


 ヴィヴィアンは、最後までソフィアの馬車に乗ることに難色を示していたクロエを思い出した。

 凛としていて、美しくて、強い女性。――そして、エドワードの愛する人。

 どうして、その存在を忘れられたのだろう。

 こうしてエドワードが追って来てくれたのは、ソフィアが黒幕だと分かったからだ。二手に分かれたのも、エドワードがヴィヴィアンの方に駆け付けたのも、偶然なのだ。


 エドワードが扉に手をかけ、食堂の外に出ようとした。それに続こうとしたヴィヴィアンだったが、突然立ち止まったエドワードの背中に、顔を強かにぶつけてしまった。


「イタッ……!」

「シーッ。黙って。――人の気配だ。複数……こちらに近づいてくる」


 緊張が乗り、硬くなったエドワードの声に、ヴィヴィアンの動きが止まる。盗賊役の男たちだろうか? 心臓がドクドクと速く打ち付ける。助かったと安堵した後の緊張に、手が震えた。そんなヴィヴィアンの様子が分かったのか、エドワードは食堂を見渡すと、倒れたテーブルの影に隠れるように指示した。


「いいかい? なにがあってもそこから出るんじゃない。私が決して、男たちを君のそばには行かせないからね」


 肩に手を置き、言い聞かせるようにそう言うと、ヴィヴィアンはコクコクと小刻みに頷いた。

 本当は不安でいっぱいだ。エドワードは、複数の気配が近づいて来ると言った。こちらはエドワードひとりだ。上着の下に剣を携えていたものの、相手が何人もいたら、状況は難しいだろう。だが、同時に自分が表に出ていては足手まといになることも分かっていた。ここにいたのが、ヴィヴィアンではなく、クロエだったなら、共に戦えただろう。それを思うと、己の無力さが悔しい。ヴィヴィアンは唇を噛みしめ、テーブルの影に身を隠した。


「てめえ、誰だ? どっから来た?」


 地を這うような野太い声がする。少し訛りの残るそれは、エドワードを訝しんでいるような響きだ。


「――おい、女を、探せ」


 短い言葉で手下に指示を出すと、数人の足音が聞こえた。

 ドカドカと荒い足取りが、隠れたヴィヴィアンに近づく。反射的にテーブルの影で更に背中を丸くすると、短いうめき声と同時に、ドサリとなにかが落ちる音がした。音がした方を見ると、人間の指が見えた。節くれだった大きな手がそこにある。エドワードがやったのだろうか。驚いたヴィヴィアンは叫び声をあげそうになり、両手で顔を覆ってなんとか飛び出しかけた声を押し戻した。


「てめえ!」

「お頭! 女がいません! 扉が破壊されてます!」

「てめえの仕業か。おい、女をどこにやった!」

「応える義務はないと思うが?」

「なんだと!」


 怒り、焦り、激しい声を上げる男たちに対し、エドワードの声は冷たく、静かだ。

 このような場面でも落ち着き払った態度に、男たちは一瞬怯んだものの、すぐに何人かが怒号をあげてエドワードに斬りかかった。激しくぶつかる剣の音に、ヴィヴィアンは口を覆ったまま、じっとしていることしかできなかった。そんな時、視界の片隅でかすかに動くものがあった。

 倒れていた、男の手だ。

 ヴィヴィアンは目を疑った。見間違いではないかとさえ思った。だが、男の手はピクピクと動き、やがて指先まで力が蘇り、立ち上がろうと手のひらにグッと力が入るのが見えた。


(エド!!)


 居ても立っても居られず、ヴィヴィアンはテーブルから飛び出した。

 エドワードは、ヴィヴィアンを守ろうと彼女に背を向け、戦っていた。立ち上がった男は、その背後から斬りかかろうとしていたのだ。ヴィヴィアンは迷わずに、エドワードを守るかのように両手を広げて、男の前に立った。異変に気付いたエドワードが振り向くが、それよりも早く、男がヴィヴィアンに向かって剣を振り下ろそうとした。


「ヴィー!!」


 エドワードが取り乱したように、大声で叫ぶ。

 ヴィヴィアンは、それをどこか遠くに聞いているような気がした。

 目の前に立つ男の血走った眼さえも、なんだか現実のものではないように思えた。冷たく光る剣の動きも、ゆっくりとして見える。

 これで、エドが助かる――ヴィヴィアンは覚悟を決めて、目を閉じた。


(…………)


(……?)


 だが、いつまでたっても痛みは感じない。すぐ近くにドスンという衝撃音を感じて、恐る恐る目を開けると、そこには男が剣を持ったまま倒れていた。首には短剣が刺さっており、血がドクドクと流れている。


「お怪我はございませんか?」


 声がした方に振り向くと、クロエが立っていた。いつの間にかエドワードが相手にしていた男たちも、全て倒れている。


「今のは……クロエ様が?」


 聞こえているだろうに、クロエはそれに答えることなく、まっすぐにヴィヴィアンを見つめ、近づいてきた。

 すぐに目の前までやって来たクロエに、ヴィヴィアンはお礼を言おうと口を開きかけた。その時、頬に鋭い痛みを感じ、よろめいた。痛みは熱さを伴い、じんじんと痺れる。そのまま横に倒れ込んだヴィヴィアンを、クロエは顔色ひとつ変えず、じっと見つめていた。頬に手を当てながらそれを見上げ、ヴィヴィアンはようやく、クロエに頬を打たれたのだと気づいた。


「クロエ様……なにを……」

「あなたは、エドワード様に、大きく重い枷をつけるおつもりですか」

「え?」

「剣の前に身を投げ出すなど、自殺行為です」

「わ、わたくし、エドワード様を守りたくて……」


 震える声で話すヴィヴィアンだったが、クロエが厳しい口調でそれを遮った。


「守るということは、共に生きるということです」


 クロエの言葉がヴィヴィアンの胸に突き刺さる。


「あなたの自己満足による行動で、エドワード様は心に深い傷を負い、一生逃れることのできない枷をつけることになります。そんな宿命を背負わせることは、守ることにはなりません。なによりも、罪深いことです」

「私……私は……っ」


 なにも言い返せず、ヴィヴィアンはこみ上げる嗚咽を堪えるのが精いっぱいだった。


「クロエ! よすんだ」

「――出過ぎた真似をしてしまいましたわ。申し訳ございません」


(守るということは、共に、生きること……)


 ヴィヴィアンとクロエの選択は、まるきり反対だった。そんなことを、ヴィヴィアンは考えたこともない。だが、共に敵国に捕らわれていたふたりにしてみれば、なによりもそれが大事だったのだろう。戦争に勝ったとはいえ、犠牲者は出た。その中には、エドワードやレイモンドを守るために犠牲になった者もいるだろう。クロエに至っては、国も、家族も失い、自分ひとりが生き残ったのだ。その華奢な背中に、一体どれだけの命を背負ってきただろう。どれも、失いたくなかったはずだ。自分のためだとわかっているなら尚更、共に生きていてと願ったことだろう。


「ヴィヴィアンは閉じ込められ体温が低下している。それと両手にひどい怪我も負っているんだ。早く手当をしなければ……。向こうの首尾はどうだ?」

「ソフィアと御者は捕らえました。ソフィアは否定しておりましたけれど、御者が折れました」

「そうか。馬車は?」

「外につけております」


 同じ価値観で、対等に話すふたりを、ヴィヴィアンは蚊帳の外から見ているしかできなかった。

 それは、到底入り込めるようなものではなかったのだ。

 多くを失ったふたりは、お互い"共に生きる"ことを選んだのだろう。だから、クロエはたったひとりでこの国に来たのだ。それは大きな決断でもなく、至極当然の成り行きだったのだろう。ふたりはそんな空気を纏っていた。


(やっぱり、離れよう……。レイモンド様からも、クロエ様からも、そしてエドワード様からも……)


 熱を持つ頬を手のひらで包みながら、ヴィヴィアンはそう決意した。

 打たれたそこよりも、心が痛かった。

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