冬②

 久しぶり。鳴海です。佐々木君から連絡先、聞きました。許可してくれてありがとう。元気にしてた?


 メールが届いたのは翌日の朝だった。鳴海君の柔らかい笑顔を思い出して、つられるように私も笑顔になる。だけど次の瞬間、教材室での出来事を思い出してしまい、笑顔でいれなくなってしまう。私が傷つけてしまったのに、話してもいいのだろうか。また傷つけやしないだろうか。不安になって、返事を打とうとした両手の親指が、画面の上で固まってしまう。そのまま時間だけが経って、鳴海君からのメールはブラックアウトしていくスマホの画面に吸い込まれていった。代わりに画面に映る情けない表情の自分と目が合って、ハッとする。ダメだ、こんな風じゃ、ダメなのに。変わらないと。臆病な自分から、ちゃんと前へ進むための自分に。進路のことで考えてばかりで立ち止まっていた私に、鳴海君は応援すると言って背中を押してくれた。その鳴海君との関係を、元に戻すために。今背中を押せるのは、私自身しかいないのだから。

「よし」

 私は一つ頷くと、スマホのロック画面を解除して、メールの返信を打ち始める。


 お久しぶりです。長谷川です。いえいえ。風邪もひかず、元気だよ。鳴海君は、元気かな。


 何度か見直してから、もう一度頷いて送信の二文字をタップする。そしてスマホを机の上に置くと、私はフルートケースを開いて、フルートを組み立てる。日曜日の今日の練習は、諸々の事情でお昼からになっている。だから家を出る時間までは、自主練習をしようと思ったのだ。調整を少しだけして、菅の中を温めるように、そっと息を注いでいく。そうしてチューニングや基礎など、吹く前の準備運動を済ませたら、曲の練習に移る。改めて姿勢を正して、身体の中心を感じる。そこに息を入れるイメージで、吸う。そして、そっとフルートへと流し込む。楽譜はもう、暗譜してしまった。

 吹きながら鳴海君の笑顔が頭の中に浮かぶのはきっと、この曲が、遠くにいる大切な人を思う曲だから、なのだろう。

 今練習しているのは、クリスマスの定番ソングと、今流行っているポップスだ。というのも、クリスマスに区役所の前の広場で演奏会をすることになったのだ。そしてそのうちの一曲、今吹いているこの曲のソロをもらった。ソロを任せてもらえると聞いたとき、すごく驚いたのを覚えている。同時に、このソロ曲は大切に吹こうと思った。

「……」

 吹きながら、何かが足りない、といつも思っている。もちろん今も。なんだろうと思って吹くのをやめて、練習を録音していたレコーダーの停止ボタンを押す。そして再生。少しだけ早送りをして、曲練習を始めたところから聴き始める。

 技術面で足りていない部分があることは自覚しているが、おそらくこの物足りなさはそれとは別のところにある。これはきっと、心に訴える部分。そしてそれは、先生からも指摘を受けている。鳴海君への届かない切ない気持ちを全部詰め込んでいるはずなのに、まだ足りていないのか。それともまた別の何かが必要なのか。

 私は構えて、少しだけ音色を変えてもう一度同じフレーズを吹き始める。

 そして同じようにして再び聴いてみる。でもやっぱり違う。

 何がどう違うのかわからなくて、首を捻る。

 私はそのまま、家を出る時間になるまで、練習を続けた。何が足りないのか、さっぱりわからなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る