夏④
そうして何回も何回も居残り練習したのち、私たちは一緒に帰る。付き合う前と何も変わらない日常。そう、なにも。
それに対して物足りなさを感じている、というか、付き合おうと言った張本人である加藤からそういった恋愛的な何かを一切感じなかった。だからなんとなく私もそういった態度をとったらいけない気がして、そっちの面では何もできずにいた。
もしかしたら今はコンクール間近でそれどころじゃないからかもしれない。会話こそほのぼのとしているが、空気自体はピリピリしている。むしろ四六時中ピリピリしていたらそれだけで神経をすり減らしてしまいそうなので、会話するときにはなるべくほのぼのとした言い方を意識している部分もある。
時期が時期だからしょうがない。私だって、加藤だって、恋愛どころじゃない。こんなこと、悩むのがどうかしてる。
そう言い聞かせながら練習をして、八月中旬のコンクールもなんとかギリギリで通過した。この状況はあまりよろしくない。恋愛も、部活も、だ。
どうしたらギリギリではなく、今まで通りの良い結果を残せるのか。どうしたら加藤と進展できるのか。地区大会の一週間後、八月末に行われる中部地区の大会までに、何とかできるのか。間違いなく演奏は良くなってる。それはわかってる。だけどなにかが足りない気がする。それは本当に演奏の技術面で何かが足りていないのか、それとも私自身の精神的な問題なのか。
私は焦っていた。焦っているのに、いつもと同じ加藤に、苛立ちは募って募って募って……。
「加藤の付き合うってなに」
どこか相手を責め立てるような響きを持った低い声が私の鼓膜を揺らす。
ついに私は、吐き出してしまった。
いつも通り練習をして、いつも通り二人で戸締り点検をしてから別館の鍵を閉めて、いつも通りそのカギを所定の場所に仕舞って、いつも通り手を繋がずに肩を並べて帰っていた。
最近では表打ちと裏打ちがずれることはない。当たり前だ。県大会まで残り三日。それなのに表と裏すら合ってなかったら、話にならない。
高校から吹奏楽を始めた加藤の演奏は、灯香先輩には及ばないまでも、何とか1stや2ndを担当する先輩方や、3rdを担当する中学やそれ以前からフルートを吹いている同学年の子たちと並べて聞いても、聞けるものになっていた。……それも、周りのフォローがあってのことで、自由曲なんか、ところどころ吹けないところ、不安定なところは吹くなと鈴村先生に言われてはいるのだが。
家に帰ってからも、朝練へ行く前も、私の家の隣にある加藤の家からはフルートの音が聞こえる。そんなに必死な加藤を、練習面で理不尽に叱ることはできなかった。もともとそんなことをしたこともないが。
私は加藤と違って中学から吹奏楽でクラリネットをやっている。そこそこ器用なせいなのか、今年の大会の練習中に全体としての注意は受けても、個人的な注意を受けたことはない。逆に、褒められたこともない。可もなく不可もなく、平々凡々とした音。迷惑にも、武器にもならない音。もっと上へ、上へ、と思うのに、自分ではどうしたらいいかわからない。いつも指針にしていた先輩たちはめったに練習に来ない。同学年の子たちは、自分たちの練習に必死だ。叱られない、褒められもしない。自分が今どの位置にいるのかわからない。きっとだから焦ってる。
対して加藤は、叱られはするものの、よく透る強い音が同学年の誰よりも出せる。それが強みだと、本人は気付いてはいなくても周りは気付いている。だからこそ技術的にまだまだ不安なところはあっても、フルート二年目にして経験者に混じって大会に出させてもらっているのだ。
「前林さん……?」
わかってる。これは八つ当たりだ。だけど、当たりたくもなる。自分よりも誰かに明確な部分で必要とされている、この鈍感野郎に。
いろんなものが混ざっていて自分でもよくわからない感情の塊。このイライラを誰かにぶつけられるのなら、内容なんてどうでもいい。そんなとても稚拙で乱暴な、言葉の暴力。
「付き合おうって言ったのは加藤のくせに、なにもしてこないよね」
「なにもって、そんな時期じゃないし……」
「じゃあ、こんな時期じゃなければ、なにかしてきたの?」
「なにかって、なにをすればいいの? 前林さん……なっちゃんは、なにを求めてるの?」
大きな瞳が、戸惑うように揺れながらも、私をじっと見つめている。その目が嫌で嫌でたまらなくて、私は俯く。
「なにって……じゃあ逆に、加藤はどうして私に付き合おうって言ったの?」
「姉ちゃんに――」
「それは聞いた。そうじゃなくて、加藤は私になにを求めたの?」
責めるような早口。頭の中の言葉がそのまま口から出ている。いや、むしろ浮かぶ前にすでに口から出ているような、そんな状態。
「……ただ、ずっと一緒にいること」
「それさあ、別に幼馴染のままでもいいよね」
言って、ハッと気が付く。加藤からの付き合おうの言葉。そのときに感じた不安の正体は、まさにこれだったんだ、と。
「……それもそっか」
そして、その不安は当たってしまった。瞬間、私の右手が加藤の左頬にビンタをかます。
「!?」
「別れる!」
「え、ちょ、前林さん!?」
後ろから呼び声が聞こえてくるが、知らんこっちゃない。私はただ、家まで走って帰った。ドアを閉める前。玄関からチラリと後ろを振り返ったが、加藤の姿はなかった。
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