春⑥

 時間が止まってほしい。そう思うときほど、時が経つのはあっと言う間で。四時限目終了のチャイムは無慈悲に鳴る。園田さんのほうを見ると、すでに教室のドアから出るところだった。ガタッと席を立つ音に、隣を見ると相葉が立ち上がっている。

「行くの?」

 私の前を通過しようとした相葉が足を止める。

「おう。売られた喧嘩は買う主義だしな」

「知ってるけど。まさか本気で園田さんがあんたと喧嘩しようとしてるだなんて思ってないでしょうね?」

「思ってねーよ。そこまで馬鹿じゃねーし。なんで呼ばれたのかわかんねーけど、呼ばれたからには行く」

「そう」

 私は口を閉じた。ザワザワとざわめく胸が相葉を呼び止めようとしているけど、それを必死で止めて相葉を見送る。いつも堂々としていて、よく他人をからかっては楽しむ節のある園田さん。同じクラスになってから、私が相葉と話しているとよく絡んできた。最初はからかうためだと思ってたけど、あの手の震えを見てしまったら、それは違うんだと嫌でも気が付いてしまう。

 おそらく彼女は相葉に――。

「遥香、追わないの?」

「彩香?」

 私の顔を覗き込んでくる彩香に、私は首を傾げる。

「なんで? わざわざそんな、告白現場見に行くなんて――」

「気にならないの?」

 ピクッと肩が揺れる。気にならないはずがない。だけど、他人の告白なんて、勝手に見ていいものじゃない。それに。

「相葉が誰に告られようが、誰とくっつこうが、私に関係な――」

「遥香それ、本気で言ってる?」

 もちろん本気だと言いかけて――でもその言葉を出すことなく、私は口を閉じる。下唇を強く噛む。痛い。

 痛い、痛い。唇も痛いけど、違う。今一番痛いのは、胸だ。もしかしたら相葉は園田さんと付き合うかとしれない。そう考えると、張り裂けそうなくらい胸が痛い。これまでも、これからも、相葉の一番近くにいるのは私でありたい。私だけでありたい。

「彩香。私……園田さんに取られたくない」

 代わりに出た言葉に、彩香は微笑みを浮かべて教室の出入口を指さす。

「頑張って!」

「ありがとう!」

 私はお礼を言って走り出した。普段は絶対に走らない廊下を全力疾走して、階段を駆け降りる。途中すれ違った先生に何か言われたが、無視した。そうしてやっとたどりついた校舎裏。何故かそこには、田口たぐち君がいた。田口君は私文クラスなので、廊下ですれ違うことはあってもちゃんと会うのは久しぶりだ。

 田口君は驚いた顔をしたあと、少し寂しげに微笑んだ。

「息切らしちゃって……イインチョー、もしかしなくても相葉と園田の、見に来た感じ?」

 小声で尋ねてくる田口君のそばへ、私は頷きながら近寄る。とてもじゃないが、小声で返せるほど息は整っていない。

「そう。俺も、変わった組み合わせだな、と思って様子見に来た感じ」

「そういえば……田口君と、園田さんは、同じ陸上部、なんだっけ?」

 途切れ途切れに問うと、大丈夫? と心配しながらも、田口君は頷く。

「そう。園田は、ずっと相葉を見てたよ」

 初めて知る事実に、目を丸くする。

「だからまあ、同じクラスになれた今を、無駄にしたくなかったんじゃないかな」

「そっ……か」

 やっと息は整ったのに、次は不安で胸がまた苦しくなって声が詰まる。

「あのさ」

「ん?」

 思わず俯いてしまった私には、田口君の表情なんて見えてなかった。

「俺も、ずっとイインチョーのこと、見てたんだけど?」

 だから、目の前に影が落ちるまで、田口君に迫られてることに気が付けなかった。ハッと顔を上げると、互いの呼吸を感じるくらいの至近距離に田口君の顔。

「た、田口君、冗談――」

「じゃないんだなぁ、これが」

 近い、近すぎる。思わず顔を背けて目を瞑ったときだった。

「田口っ!」

「ぐぇっ」

 苦しげな声と共に、田口君の気配が遠のく。恐る恐る目を開くと、襟首を掴まれた田口君と、襟首を掴んだ相葉がいた。その隣には、なんとも言えない微笑みを浮かべた園田さんも。

「ちょっ、相葉っ!苦しい!」

 田口君が暴れると、相葉はパッと手を離す。

「苦しかった……」

「なんでそんなにそいつに近づいてんだよ」

 いつもよりも低い相葉の声。そんな反応をされると、もしかして、なんて期待してしまうからやめてほしい。

「園田が君に言ってたようなことを、イインチョーに言ってただけ」

「おま――っ」

「大丈夫! 見ての通り拒否されたから!」

「園田さん」

 長くなりそうだったので、二人の会話を無理やり割って、私は園田さんに声をかける。

「覗き……みたいなことしようとして、ごめんなさい」

「え、あ! ちょっとちょっと頭あげて!」

 私が頭を下げると、園田さんが慌てたように声を上げる。言われた通り顔をあげると、園田さんはホッと息を吐いた。

「いいの。来るように仕向けたの、私だし」

「どういうこと?」

 訳が分からず問いかけると、園田さんはニヤリと笑う。

「クリスマスの日に二人が会ってたの、見たって言ったでしょ?」

「ああ、うん」

「実は、会話までバッチリ聞いてたのでしたぁ!」

「はい!?」

「おいごら、盗聴かよ!」

 相葉の反応に、園田さんはチッチッチッと人差指を左右に揺らす。

「ノンノン。後ろ歩いてたら耳に入ってきたの」

「……尾行しながら耳を澄ませてたら聞こえてきた、の間違いじゃなくて?」

「そうとも言う!」

「園田。そうとしか言わない」

 田口君の突込みに、園田さんはケラケラと笑う。

「まあ、仲が悪いことで有名な二人が一緒に歩いてたら、普通気になって、追っかけちゃうでしょ?」

「普通追っかけないと思う」

「やだなあ、私の中での普通、だってば」

 それは絶対普通じゃない。

「で、さらにその後の展開が気になったわたくし園田は、田口に二人のことを聞いたのよ。そしたら随分と二人の仲は接近してるみたいだから、これは付き合ってるのか、と思ってたら、当の本人たちは付き合ってないって言うじゃあないですか! もうこれは、くっつけるしかないって田口と神崎の三人で話してたの!」

「彩香……」

 あの子までこんな計画に参加してたのか。だから、やけにタイミングよく声をかけてきたのね。

「ちょっと待てよ。じゃあ、さっきの告白も嘘だったってことか?」

 相葉の問いかけに、私はハッとして二人を見る。が、二人は首を横に振った。切なげに眉が寄った笑みを浮かべて、園田さんは口を開く。

「あれはホント。私は相葉が好きだし、田口は片桐さんが好き」

「じゃあなんで……」

「なんでって、ねえ? 田口」

「ねえ? 園田」

 顔を見合わせる二人。

「……ねえってなによ」

「いや、二人とも仲が良すぎて入る隙がないって感じ? あ、念のために言っておくけど、からかいじゃなくて、これは本音。だから相葉。その腕下げようか」

 隣を見ると、相葉が右腕を、拳を作って高々と上げていた。

「……相葉」

 呼びかけると、渋々と言った様子で相葉は腕を下げる。

「まあ、そんなだから、諦めて二人を応援しようと思ったの。あ、でもでも、あんまりのんびりしてると今度は本当に本気でとりに行っちゃうからね。あと、相葉。ちょっと」

「ん?」

 園田さんに呼ばれて相葉がそちらへ行く。次の瞬間、乾いた音が響いた。

「いってえ!!」

「パーがいいって言ってたじゃない?」

 ケラケラと園田さんは笑う。

 まさかの平手打ち。いや、まあ、予想はしてはいたけども。なんで告白の前に聞くのかと思ってた。

「まあ、フラれた腹いせってやつ? んじゃ、先戻ってるねー」

「てめ、ごら――」

「相葉、落ち着けって。暴力沙汰起こすとイインチョーの今までの努力が無駄になるぞー」

「……だああああっ! おぼえてろよ!」

 相葉の遠吠えに、二人はキャッキャと笑いながら教室へと戻っていった。……もしかしたら、そんなフリをして、角に隠れただけかもしれないが。そんなことを考えながら下を見て、相葉の足元に折りたたまれた封筒が落ちていることに気が付く。

「相葉、それ……」

「ん? なんだこれ」

 相葉が封筒を拾い上げる。裏っかえすと、そこには丸っこい可愛らしい文字で、馬鹿と片桐さんへ、と書いてある。字体からしておそらく園田さんだろう。さっきの平手と同時に落としたとか、そういうのだろうか。

「あいつめ……っ」

「相葉、落ち着いて。とりあえず中身見てみようか」

「……おう」

 封筒を開いて、中身を出す。それは、学校の近所にあるクレープ屋の、二つのクレープが一つ分の値段で食べられる一枚の券だった。

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