冬⑨

 吐く息は白い。吹く風は刺すように冷たい。八時半を少し超えたあたりで彩香をバス停まで送って、そこから私はまたファミレスまで戻ってきた。ウェイターの言った通り、ファミレスの周りを歩いてみると、すぐに裏口は見つかった。裏口の近くの壁にもたれてじーっと夜空を見上げる。冬だからか、星がとても綺麗な気がする。でもきっと、今見えてるのはわずかな数。だってこの場所はあまりにも明るい。星を見るには、とてもじゃないけれど向いてない。

 静かに夜空を見ていると、いろんなことを考えてしまう。

――相葉を頭ごなしに否定するんじゃなくて、ちゃんと一人の人として接してほしい。

 鈴村先生の言葉。もしかして私は、奴のことが少ししか見えていないのにその一部分だけで奴という人間を決めつけているのではないか。もしかしたらアルバイトにだって、なにかちゃんとした理由があるのかもしれない。私は、勉強について押し付けすぎたかもしれない。そもそも、なんで私はこんなに必死になってるんだろう。先生に頼まれたから? 本当にそれだけ? わからない。自分も、奴も。

「うわ、本当にいた」

 後ろからかけられた声に、私は慌てて振り向く。そこには、モッズコートを着た奴がいた。

「そりゃ、ね」

「……ストーカーかよ」

「あんたなんかストーカーしても意味ないでしょ」

 私の返しに息を吐くと、奴は歩き始める。私はその背中を追う。

「なに? 今から勉強する気なんて起きねえよ」

「それはいつもでしょ」

「じゃあなんでここにいんだよ」

「どうしてアルバイトしてるの?」

 遠まわしに言っても伝わらないのは考えるまでもないので、直球に訊く。

「校則違反だからやめろ、とか言うのかよ」

「そう言おうと思ってたけど、気が変わったの」

 奴の足が止まる。

「は?」

 振り向いた奴の顔には、意味が分からないとデカデカと書いてある。私はそれを見上げて、小さく笑う。

「今のあんたのこと、正直に言えば大嫌い」

「……そんなの、俺だって――」

「だけど、昔のあんたのことは人として好きだった」

「――つっ、お前は何が言いたいんだよっ!」

 顔を青くしたり赤くしたりと大忙しの奴が、今はなんだかとてもかわいく見える。私よりも大きいのに。それとも、私よりも大きいくせして私の言葉一つで表情をクルクルと変えるから、なのか。

「私、あんたのことが知りたい」

「……ごめん、俺本当に意味が分からないんだけど」

「そう? 私は分かりやすいように、そのままの意味でしか言ってないんだけど」

 ブワァッと音がするんじゃないかと言うくらい奴の顔が赤くなる。それに本人も気が付いたのか、勢いよく私に背を向けるとズッカズッカと大股で歩き始める。耳まで赤い奴に、笑い声に気付かれないようにと口元に手をやって、触れた肌の熱さに足が止まる。もしかして、私も赤い顔をしてる? どうして?

「おい、早く歩かないと置いてくぞ」

 声をかけられて顔を上げる。奴がこっちを見ている。ほんのり赤い頬は、さっきの紅潮の名残なのか、それとも寒さのせいなのか。

「なに、口うるさい委員長を送るつもりでいたの?」

「口うるさい委員長でも、一応は女だろ。送れるところまで送ってく」

「あ……そう」

 なんだろう。なんだか、調子が狂う。今まで私のこと、女扱いしたことないくせに。なんで今だけ。

「ほら、早く歩け」

「……ん」

 ゆっくりと歩く奴と、それに大人しくついて行く私。知り合いが見たら、間違いなく二度見すると思う、そんな光景。出入口の逆側にあった裏口から歩いて、今はイルミネーションの中を歩いている。先ほどまでよりも人が増えている気がする。主に、男女の組み合わせが。

「……足、大丈夫か?」

「へ?」

 ぶっきらぼうにかけられた言葉の意味が分からなくて首を傾げかけて、ああ、と納得した。

「もうほとんど大丈夫。変な角度に曲げたりしなきゃ、痛くないから」

「そっか……」

 胸のあたりがそわそわする。なんだか、羽で撫でられているような、浮いているような。とにかく落ち着かない。とてももどかしい。でも、何にそれを感じているのかわからない。

「あんた、なんかいつもと違う?」

「いや、お前のほうが変だから。俺はそれに狂わされてるだけだから」

「それもそうか」

 前を歩く奴がちらっと怪訝そうな表情で私を見る。

「お前、やっぱり変」

「じゃあ、変ついでに訊くけど、あんたは、私のこと嫌い?」

 自分の言った言葉が誤解を招く言い方だということに気が付いてすぐに顔が赤くなるのを感じ、思わず俯く。瞬間思いっきり頭をぶつける。なにかと思って顔をあげれば、立ち止まった奴の背中だった。

「ちょっと急に――」

「嫌い、だと思う」

「――っ」

 グサッと言葉が刺さった。フワフワとしていた感覚が一瞬にして凍り付く。

 いやでも、私だって奴に嫌いって言ったんだ。言い返されたってしょうがない。というか、嫌いな奴に嫌いって言われただけでなんでこんなにショックを受けるのか。あれ、私はショックを受けたのか。そうか、なるほど。でもなんで?

「俺も、変ついでに言うけども」

 奴を見上げる。一緒に、デコレーションされた深緑の枝も見える。奴は今どんな表情をしているんだろう。なんて、見当違いなことを考えてしまうのはどうして。

「嫌いなはずなのに、なんでか安心できる。いっつもすっごく押し付けてきて無茶苦茶迷惑なのにな」

「……悪かったわね」

「うん、悪い。だから、そばにいたくない。だってそんなわけわかんない感情に振り回されるのって、すげえ不愉快だから」

「それって、最初からそう思ってたの?」

 だとしたら、だいぶショックだ。だけど、奴は首を横に振ってまた歩き出す。それに少しだけ安心して後を追う。

「お前が色々と押し付けるようになってからだから……ああ、そうか」

 ふっと奴はなにかを見上げる。つられて私も見上げるけど、そこには星空が広がっているだけだ。なんとなくだけど、奴が見ているのは違うものの気がする。

「夏休み明けから、か」

 ゾワッと鳥肌が立つのを感じる。得体の知れない不安が、冷たい手で私の心臓を握りしめる。奴が、どこかに行ってしまう。そんなはずないのに、奴の身体が透けて見えた気がした。

「相葉っ!」

 思わず苗字を叫んでいた。こいつの苗字なんて、いつぶりに呼んだんだろう。驚いた表情の相手を見て、とりあえず相当長い間呼んでいなかったことは確かだと思った。

「これからは、ちゃんとあんたを見るから! 勉強を押し付けたりしないから!」

「ちょっ、どうし――」

「私は相葉の一部しか見えてないのに、それを相葉のすべてなんだって決めつけてた。だから、一年生の夏休み前とあとであんたが変わった理由について、なにも知ろうとしなかった」

 訊けなかったんじゃない。きっと、訊こうと思えば、詰め寄ってでも訊けた。訊かなかった原因は、大きな戸惑いと、小さな諦め。訊いたところで、相葉は変わってしまった。もとの相葉にはどうせ戻らない。そんな決めつけとも言える諦め。

「自分のことを悪いほうに決めつけて見てる相手の言うことなんて、聞きたくもないよね。押し付けられてたらなおさら」

「でも、俺の勉強の面倒見ろって鈴村に言われてるだろ。どうすんだよ」

 言われて、気が付いた。

 なんであの頼みごとのあと、私だけ呼び出されたのか。きっと問題があったのは、相葉じゃなくて私のほうだからだ。相葉のことをずっとバカバカ言って、私はいつも見下していた。一人の人、として見たことなんて、あっただろうか。少なくとも、相葉が変わってから、平等な位置で話したことはなかったかもしれない。だったらきっと、勉強の面倒を見る、じゃ、ダメなんだ。

「私は相葉の勉強の面倒は見ない」

「は?」

「代わりに、私は相葉と一緒に勉強する。ちょうど来年は受験だし」

「いやでもお前。今勉強を押し付けないって――」

「うん。だから、相葉が一緒に勉強したくなるまで待つ」

 目をパチクリさせる相葉に、私は微笑む。

「私、相当しつこいから。覚悟しといて」

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