3.仲間
それからしばらく、『HEAVEN準備室』へと帰る廊下を、他愛もない話をしながら貴人と二人で歩いた。
だが途中まで来たところで、貴人は急に足を止めた。
今思い出したとでも言うように、腕に抱えていた丸めた紙の筒を私にさし出してみせる。
「そういえば俺、これを貼りに行くって、みんなに言って来たんだった……」
差し出された紙の束を私は受け取り、その中の一枚をスルスルと開いてみた。
『星颯学院 第八代生徒会長候補・芳村貴人』
綺麗にレタリングされた文字で、そこには貴人の名前が書いてあった。
右にはちょっと小さい文字で、他のメンバーたちの名前も書き連ねてある。
『会計・近藤琴美』とあるのが妙に嬉しく、私は思わず呟いた。
「これが本当になるといいな」
貴人は間髪入れずに「なるよ」と答える。
それがあまりにも即答だったから、私は、(私を元気づけるために、わざと言ってるのかな?)と思ったのに、見上げてみた貴人の顔は、いつもの極上の笑顔ではなかった。
――唇を真一文字に引き結んだ、今まで見たこともないような真剣な眼差し。
(ああ、そっか……強い信念が貴人の中にはしっかりとあるから……だから、あんなふうにいつも笑っていられるんだ……!)
貴人の鮮やかな笑顔の理由を、私はそう解釈した。
初めて見た貴人の真剣な顔は、いつもの笑顔とはまた違った魅力で、うす暗くなり始めた放課後の校舎の中でいつまでも見つめていたいような、研ぎ澄まされた美しさだった。
「じゃあ、俺は第一校舎に行くから、琴美は第二校舎を頼むね……」
「うん」
私は貴人を手伝って、その後、ポスターを掲示板に貼る作業をおこなった。
でも二箇所をまわったところで、(ちょっとこれって、人選ミスかもしれない……)と我ながら落胆してしまった。
私は態度こそ人一倍大きいけれども、身長は前から数えたほうが早くて、掲示板の上のほうには、まるで手が届かない。
(貴人は違う校舎に行っちゃったし……他には誰も通りかからないし……ここは近くの教室から、椅子を引っ張り出して来るしかないか……!)
そう思った瞬間、ふいに私の隣に背の高い人影が並んだ。
そして私が悪戦苦闘していたポスターの上部を、なんの苦労もなく、私のてのひらから取り上げた画鋲で止めてくれる。
「ありがとう」
すかさずお礼を言ってから、その人の顔を見上げて、思わず叫んでしまった。
「剛毅!」
呆気に取られている私のてのひらから、いくつか画鋲が取り上げられて、反対隣に立ったもう一人の人物が、手際よく残りの三方も止めてしまう。
「玲二君!」
照れたように私を見下ろすその人は、いつものように不器用にぎこちなく笑った。
「いつまでもトイレから帰って来ないと思ったら……もう働いてまわってるのか……」
「本当に元気なヤツだな、お前は!」
二人の口調がなんだか前より親密な感じがして、私はそのことがちょっと嬉しかった。
「だって自分が売った喧嘩だもん……! 責任を持って頑張らないとね……!」
ワッハッハと、剛毅は体によくあった豪快な笑い方をした。
「まったくお前には負けるよ……喧嘩を売らなきゃいけない時が来たら、それをやるのは俺の役目とばかり思ってたのに……!」
「へっ?」
思いがけない言葉に、私は改めて剛毅の顔を見上げた。
その私の頭上から、いかにもスポーツマン然とした立派な体に似あわない、玲二君の心配そうな声が降ってくる。
「対立候補のやつらって、みんなA組なんだろ? ……近藤同じクラスなのに、これから大丈夫なのか……?」
しゃべっている間にも、だんだん声が小さくなっていく玲二君の肩を、剛毅は乱暴に叩く。
「こいつはお前のことを心配してんだよ」
豪快に笑い飛ばす剛毅を押し退けるようにして、真っ赤になった玲二君は、慌てて声を張り上げる。
「へ、変なふうに言うなよ! 当たり前だろ! 近藤は仲間なんだから……!」
(そっか……! 二人とも、私のことを心配してくれてたんだ……!)
そう知ってしまうと、さっきまでの憂鬱な気持ちは、いっぺんにどこかに吹き飛んでしまった。
私は嬉しくてたまらなかった。
「あのさ……仲間だって思ってくれてるんだったら、私も名前で呼んで欲しいな、玲二君」
ちょっと意地悪にそう言ってみると、予想どおり、玲二君は首まで真っ赤になった。
剛毅が面白そうに、横からけしかける。
「そうだよなあ。変に琴美に気があるのかと思っちゃうよなあー」
別に私はそんな誤解はしないんだけど、目を白黒させている玲二君の反応があまりにも面白いので、ここは剛毅に話をあわせておくことにする。
「うん。そうそう」
玲二君は慌てふためいて口を開いた。
「そ、そんなはずないだろ !俺は別に、琴美なんか……!」
その言い方はあんまりだったけど、どさくさに紛れて名前を呼んでくれたのと、玲二君の動揺があまりにかわいそうだったので、私は剛毅と一緒に大笑いして、それでもう許してあげることにした。
「お前がもし男だったら、いい相棒になれる気がするな」
剛毅の言葉を、最高の誉め言葉と受け取って、私は笑った。
「女だっていいじゃない! 三人で結構いいトリオになると思うよ?」
とぼけたような私の言葉に、「違いない!」と叫んで、剛毅は笑いながら、私と玲二君の背中をバシバシと叩いた。
校舎中に響くような大声で笑いながら、私たちデコボコトリオは、残りのポスターを全部、第二校舎の全ての掲示板に貼ってまわった。
ポスター貼りが終わって、今日はもうこのまま家に帰るという剛毅達と別れる時になり、私は自分が鞄を『HEAVEN準備室』に置きっぱなしだったことに気がついた。
(もうみんな帰ってるんじゃないかな? 鍵がかかってたりしないかな?)
そう思ってできるだけ急いだのに、予想に反して、ドアはすんなりと内側に開いた。
ホッとして一歩を踏み出し、ドキリとして足を止めた。
てっきり誰もいないと思っていたその部屋には、まだ人が残っていた。
私よりも一回りも小さそうな黒髪の頭が、部屋の中央に置かれたテーブルの上に突っ伏している。
繭香だった。
(起こしたら悪いよね……?)
そおっと足音を忍ばせて部屋に入ったつもりだったのに、気配に敏感な猫のように、繭香はすぐさまガバッと顔を上げた。
部屋の入り口で、まるで泥棒みたいなポーズで立ち尽くす私に目を向けて、「なんだ琴美か……」と小さく息を吐く。
繭香の大きな黒い瞳に真正面から見つめられて、私のほうはと言えば、心臓が止まってしまいそうな思いだった。
ドキドキする胸を抑えながら、かろうじて返事をする。
「ま、繭香……まだ帰ってなかったんだ」
「ああ」
繭香は気だるそうに、腰まである長い黒髪をかき上げた。
窓に視線を移して呟く。
「貴人が帰るのを待っている。家が近いからいつも一緒に帰るんだ」
そして窓の外を見てみるようにと、私に目だけで指示をした。
私は窓に近づいて、繭香の示した先を見下ろしてみる。
そこでは三面あるテニスコートで、テニス部が練習をしていた。
十数人いる中でも一際目立つ長身と、色素の薄い髪。
切れのある美しい動き。
「今日はテニス部だそうだ。さっきまでポスター貼りもしてたのに、ご苦労なことだ」
呆れたような繭香の声に、私は思わず『芳村君は文科系・体育系問わずいくつものクラブの助っ人をしている』という噂を思い出した。
「あれって本当だったんだ……」
思わず呟くと、繭香がすかさず「うん」と返事する。
なんだか不思議な気分だった。
(あれ? 私、今、内容までは口に出して言わなかったよね……?)
「なんで繭香は私の考えていることがわかるの?」
今度は声に出して聞いてから、自分でもあまりにも変な質問だと思った。
けれど繭香はまったく動じなかった。
人の心の中まで見通すような視線を、真っ直ぐに私に向けて語る。
「多分琴美は、考えていることが私とよく似ている。そのくせ私と違って、それを口に出すことに躊躇しない。だからわかりやすい」
あいかわらず温度を感じさせないような淡々とした物言いではあったが、その中にもどことなく友好的なものを感じて、私はなんだか嬉しくなった。
「まだ知りあったばかりなのに、そんなふうに言ってもらえると嬉しいね……でも……」
私の言葉の後を、繭香が続けた。
「『どうして』って聞きたいのか?」
表情はまったく変わらないままだったが、小さな顔を片手で支えて頬杖をついた彼女の様子は、なんだか楽しそうに見えた。
(うーん。最後まで話さないのに、気持ちを言い当てられるって、なんだか不思議だな……)
私は黙ったまま頷いた。
「答えは簡単だな。私が琴美を知ったのは最近じゃないからだ」
思わずポカンと口が開く。
「えっ? ……それってやっぱり成績順位票?」
間髪入れずに叫んでしまって、めずらしく繭香の笑った顔が見れた。
「秘密だ。でもいつ見ても、とてもつまらなそうな顔をしてた。自分と似ているところがあると思った。それが、私が琴美を他の人間よりも気をつけて見るようになったきっかけだ」
「ふーん」
いつものあまり表情のない真面目な顔に戻った繭香は、私とは比べものにならないくらい綺麗な顔をしている。
けれど――。
(そうか……似ているところがあるのか……)
そう思うと、これまでよりずっと親近感が沸いた。
何よりも、あのキツイ視線を和らげて、私とこんなにいろんな話をしてくれたことが嬉しい。
(うん。繭香ともいい友達になれるかもしれない!)
心の中で呟いた私に、繭香がこっくりと頷く。
「ああ。私もそう思う」
驚いて上げそうになった悲鳴を、私は必死に飲みこんだ。
(そ、それにしたって……ちょっとカンが良すぎじゃない? やっぱり超能力でもあるんじゃ……?)
上目遣いにじっと見つめる私に、繭香はその大きな瞳をキラリと光らせる。
「さすがに超能力者ではない。種明かししてしまうならば……琴美は考えていることが、まるっと全て、表情に出すぎなだけだ」
「なにそれ!」
力の限りに叫んだ私を見て、繭香が笑った。
いつもとは比べようもないほどに大きく口を開けて、確かに笑顔になった。
その顔を見れたから、からかわれたことは水に流して、やっぱりもっと仲良くなれるように頑張ろうなんて考えた私の思いも――きっと言わなくても繭香には伝わっただろう。
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