サイコ「ウ」な二人

桑原 樹

サイコ「ウ」なニ人

 恋は盲目である。


 さて、ここに路上で言い争う2人の男がいた。名前は和人と俊。

「だから、恵美は俺の彼女だって言ってんだろ!」

「彼女は僕を愛している! それに君では彼女を幸せにできないだろう!?」

 ことの発端は数日前。街中を俊と恵美が歩いている所を、和人が目撃してしまったことである。

 恵美はもともと和人の恋人であり、彼女が俊と付き合い始めたのは和人より後のことである。

 理由は和人の解雇であり、そこでも様々な事件があったのだが、ここでは割愛しよう。

「チッ……こんな奴より俺の方が絶対良いだろ」

 舌打ちと共に和人が不満をこぼす。

「顔ばかりの男では争うにも値しないね。実際に君じゃ満足できないから僕と付き合い始めたのだろうし」

 対する俊は極めて冷静に見える。

 2人は実に対照的で、片や無職のイケメン、片やお世辞にも美男子とは言えない銀行員である。

「にしても、恵美のヤツ、3人で腹割って話そうってはずだったのに、疲れたとか言って帰りやがって……」

 2人の口論は治まるところをしらないが、当の彼女は今はもうここにいない。

「仕方ないだろ。君が無理に連れ回すからだ」

「はん。お前が構って貰えないからって拗ねて店に文句言ったから、何度も場所変えしたんだろ」

「あんな、下卑たところに彼女を連れ込む方がどうかして……はぁ」

 ついに俊が平行線の口論に痺れを切らし、一つ提案をした。

「よし、じゃあ、彼女の家に行って彼女に直接聞こうじゃないか。どちらが彼女に相応しいのか」

 恵美本人にどちらをとるか決めてもらおうと言うのである。

「あぁ、いいぜ。これでハッキリ決めようか」

 和人もこれに合意し、2人は恵美の住むアパートへと向かった。


「ったく、相変わらず不用心だな」

 恵美の部屋の鍵は開いていた。2人は勝手知ったる様子で部屋の中に上がり込む。

 まだ、夜の9時だと言うのに電気は消えている。

「コイツ、もう寝てんのかよ」

「仕方ないだろ、疲れてたんだよ。きっと」

 さらに、部屋の中は糞尿のような異臭もした。

「なぁ、何か臭わないか?」

「スマン、俺がオナラした」

「ふざけるなよ、クソ野郎が!」

 台所でぴちゃん、と水滴のはねる音がする。

 沈黙が訪れ、2人の息遣いだけが響く。

「おい、恵美。ちょっと起きろ」

 和人が恵美の体をゆするが、起きる気配はない。

「やっぱダメだな。一旦寝ちまうと全く起きねぇわ」

「や、やめときなよ。こ、ここは、寝かせといてあげよう」

 ベッドの上の衣服のはだけた肢体を眺め、俊はごくりと喉を鳴らした。いままで、これほど美しい物に、彼は出会ったことが無かった。

 どんな絵画の中の貴婦人よりも、女性美を追求し尽くされたはずの彫像よりも、その肉体は美しかった。

 そんな彼の中に突如、ある考えが浮かんだ。この女が美しすぎるのが悪いのだ、と。

「そうだよ。この人が……」

 最近、彼女の事ばかりが気になって仕事も疎かになり、業績も落ち込んでいる。さらに、二股までかけられていたと知った時のショックは拭いきれるものではなかった。

「もし、この美しさが損なわれれば……」

 傷を付けてしまえば、自身も彼女を諦められるし、この和人という男への嫌がらせにもなるのではないか。

 そうすればきっと全てが上手くいくに違いない。彼の頭の中には、そんな考えが次から次へと溢れてくる。考え出してしまったらもう、止められない。突然の思い付きは、暫くして検討すべき考えとなり、さらに時を経て実行可能な最善策へと変貌する。

 そして彼は、これ以上の良案は無い、と決めつけた。

「そうだ。他の男に一度は身を捧げているんだ……もう、完全に僕のものにはならない……」

 実際に、その体はもう、俊のものにはなり得ないのだ。傷を付けることで諦められるのなら、確かに良案なのかもしれない。

 彼の恵美に対する愛情と、騙されていたことへの憎悪と、和人への羨望とがないまぜになり、ドロドロとした感情が堰を切ったように溢れ出す。

「そうだよ。いっそ、僕の手で全部壊してしまえば……綺麗なままの恵美さんは僕のものに……」

 そうして彼は懐のナイフを取り出した。


 窓からの月明かりを照らし返して、凶刃が光る。

 和人はそれを見逃さなかった。

「恵美ッ!」

 刃が恵美に到達するより早く、2人の間に体を滑り込ませる。

 ナイフが突き立てられた。肉を引き裂く感触があり、続いて脈動に合わせて血がドクドクと流れ出す。遅れて痛みがやってきた。

「恵美、を、傷、つけるな!」

 和人は刺されながらも、修羅のような形相で凄む。

 突き刺さったナイフから俊が手を放す。

「ヒ、ヒィッ」

 彼は小さく悲鳴を上げると、慌てて出ていった。

 追いかけるよりも止血が先決だと考え、彼は救急箱を探し出し、止血を始めた。しかし、血は止まらず、巻いた包帯にどんどん滲んでくる。

「恵美……おい、恵美……」

 恵美の名前を読んでみるが、やはり起きる気配はない。

 仕方なく、彼は最寄りの公衆電話を目指した。

 路上に出てから包帯を外し、道路に血を垂れ流しながら歩く。

「もしもし……あの……刺されたんですが……場所は……」

 彼女に迷惑をかけたくない一心で、路上で刺されたと説明し、救急車を呼ぶ。

 電話ボックスの中で頽れながら、彼が思い出したのは数日前、俊と恵美を街中で見かけた日のことだった。

 2人を目撃したあと、激昴した彼は恵美を彼女のアパートへ連れ去った。その時に俊も付いてきたような気がする。

 そして散々、彼女を罵ったのだ。

 しかし、今となっては彼女の裏切りなど些細なことに思えた。

 何故あの時、それでも愛してると言えなかったのか。今、こうして体を張って彼女を守れるほどに愛していたというのに。


 その時は、泣きじゃくる彼女をベッドに押し倒し、無理やり服を剥ぎ、飛びかかって来た俊を蹴り飛ばして、恵美の首を締めながら、やめてと懇願する彼女をひたすら……

 そして彼女の抵抗する腕から力が抜けたとき、俊が鉢植えを振りかぶっているのが見えて……彼は避けようとしたのだ。

「あぁ……そうだ。確か、鉢植えは床に当たって砕けて……」

 その後、結局どうなったのか。

「確か、相当ひでぇこと言って……そのままだったっけなぁ……」

 今の彼には思い出せない。それを、遠ざかりつつある意識のせいにして、彼は瞼を閉じた。

「恵美……」

 目が覚めたら、彼女に愛を誓おうと、そう心に決めて。


 一週間後、和人の傷は浅く、動脈なども傷つけておらず、退院できるまでに回復した。

 退院した2日後。彼は早速、彼女のアパートへと向かった。

「あのクソ野郎。やっと消えやがった」

 俊は傷害罪であっさりと逮捕された。これで、彼は出所しても職なしどころか、前科持ちである。

「それでも彼女は、僕を待っていてくれるさ。それだけで、僕は充分だ」

 退院した翌日に留置場での面会に現れた俊は、そんな状況下でも笑っていた。

 しかし、これで天秤は完全にこちらに傾いた、と和人は確信していた。


「やっぱり、不用心だよなぁ」

 相変わらず、鍵のかかっていないアパートの扉を開ける。

「ただいま、恵美」

「おかえりなさい、和人」

 また、異臭がたちこめる。

「おいおい、今度はお前がオナラかよ」

「いいじゃない、自分の部屋なんだから」

 それでも彼は上機嫌で部屋に入る。

「なんかお前、声が変だぞ? 風邪か?」

「和人の声にそっくりだよね。多分、和人のせいだよ」

そしてベッドまで歩き、膝をついて口を開いた。

「今までゴメンな……愛してるよ。恵美」

「私は……色々ありすぎて分かんないや。でも……この気持ちはきっと……」

彼女の思いは不確かでも、自分の想いは確実にぶつけられたことに彼は満足する。

 こうして彼は独り、愛を囁いたのだ。

 人形のような美しいしたいを抱きしめて。



 あとがき

 さて、突然だが前書きも無いのに後書きがある理由を説明させていただきたい。

 はっきり言って、話の筋が見えなかったという読者もいらっしゃることだろう。

 これを書いているのは数度の推敲を経た後なのだが、物語の本筋に妙なことが起きてしまったのだ。

 というのも、物語は2人の男の話なのだが、終盤まで邪魔が入ってしまった。

 これは私の書きたかった話ではない。

 恋は盲目。恋の力は偉大。そう、あちこちで言われてきたが、ここまでとは思いもしなかった。

 キャラクターが勝手に喋り出すのだ、と言っていた物書きの友人の戯言が比喩では無かったとも思い知らされた。

 そう、これは2人の男の物語ではない。2人の男に邪魔をされた物語だ。

 幾度かの推敲を経て、消しても消しても消えてくれない。

 この物語に言葉を発する人物は登場しないはずだったのだ。

 それを踏まえて、もう1度よみなおしてほし


 ―終―

















『 読み直す必要などねぇよ。これが、俺らの物語なんだからね』

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サイコ「ウ」な二人 桑原 樹 @graveground

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