06 異変

「ん?」


 その時、レオンが何かに反応した。

 背後を見やり、少し頬を緩める姿に、私は新たな敵の出現を危惧するがーー


『どうやら杞憂のようだな』

「蹄の音…!?」


 それは、我らにとって光明だった。

 私たちの後方、今まで歩いてきた山道の向こうから二頭の馬がやって来る。

 同じくして水平線を越えて現れたのは、御者と荷台の姿だ。それらを視認し、ヴェルカも顔をほころばせる。


「マターさん!」

『ああ、必ず乗ろう』


 念願の馬車だ。

 人を乗せるものではなく、大量の干し草を積んで運ぶタイプのそれではあるが、もはやそこに異論を挟む者はいない。

 進行方向が同じ。

 今はそれで万事解決である。



 ○



「大丈夫だそうです!」


 くして、ヴェルカによる交渉の末、我々は荷台への乗車を許可された。

 腰曲がりの年老いた御者との相席である。

 断るのも忍びなかったために了承したそうだが、特に問題はないだろう。

 人目を気にする話題はもう終わった。

 後は追々詰めて行けばいい。


 ちなみに、ヴェルカを矢面に立たせたのは苦汁の決断である。

 仕方あるまい。レオンは交渉事には向かず、私に至っては喋っただけで御者を混乱させる恐れがあるのだ。

 乗ってしまう前にそれはまずい。

 まぁ上手く行ったので結果オーライだ。


「それでは、よろしくお願いいたします」

「ははは、そうかしこまりなさんな」


 正体を隠すためのフードを目深に被ったまま、御者席に腰かけるヴェルカ。

 御者に笑顔で会釈し、これでもかと社交性の高さを露にしている。


「よっと」


 それに比べてレオンと来たら。

 功労者に目もくれず、干し草の上に跳ぶや否や足踏みで寝心地のよさを確かめる姿には、感銘すら覚えるというものだ。

 このぶれない姿は見事である。

 相棒として悲しい。

 もう見慣れた光景なのもまた悲しい。


「ヴェルカ」

「はい? どうしました、レオンさん」

「受け取って」


 さらに言えば、レオンに抜かりはない。

 自身の首から睡眠の邪魔となるネックレス《わたし》を取ると、ヴェルカに目掛けて放り投げたのだ。


「わ、わわっ。わ!?」


 ヴェルカが私をキャッチする頃には、すでにレオンは干し草をベッドに寝息を立てている。


「……す、すごいですね。レオンさんって」


 わずかに目を輝かせるヴェルカだった。

 影響されるなよ。頼むから。


「それじゃ、行くぞい。お嬢ちゃんたち」


 そんな我々のやり取りを見届けてから、御者の掛け声と共に馬車が走り出す。

 荷台に伝わる振動は、街から出る馬車とは違い、やはり人を乗せることを想定していない荒さがあるが、十分である。

 ヴェルカもレオンも満足しているようだ。


「おじい様は近くにお住みなのですか?」


 ならば、後は雑談だ。

 レオンは誰かと長く会話をするということが無いため、こういう場面は貴重と言って差し支えない。


「ああ。わしは近くで牧場をやっとってなぁ。そこからスランドールに、たまに干し草を届けておるんじゃ」

「大変ではないですか?」

「はは。まあ、大変じゃよ。最近はスランドールも発展して、運ぶ干し草の量も増えた」

「今や大都市ですからね。……実は、わたくしもスランドールに行くの、とても楽しみにしていたのです!」

「おや。お嬢ちゃんたち、もしやスランドールは初めてかい?」

「はい! ……あ、いえ。初めてというと語弊がありますが、観光は初めてと言って過言ではありません!」


 必死に取り繕うヴェルカの姿は、御者の笑いを誘う。

 恥ずかしさに顔を赤らめるヴェルカだったが、どうやら手に持つ私を思い出したらしい。

 ひそひそと、声が聞こえてくる。


(スランドールには、父の視察に同行した際に立ち寄ったことがあるのです)

(そうだったか)

(あの時の活気が忘れられず、いつかまた行ってみたいと常々思っていたので……)


 つまり、今回の旅は彼女にとって渡りに船だったというわけだ。

 王族として訪れたのであれば、それほど自由もあるまい。自分の好きなように町を見るチャンスに、ヴェルカは心を踊らせているのだ。


「ん? どうかしたかい?」

「い、いえ。何でもありません!」


 御者の問いかけに、ヴェルカが慌てて私から離れる。

 その姿に苦笑しながら、御者はふと思い出したように言葉を投げかけてきた。


「そういえば、お嬢ちゃんたち。あれは見たかい? 来る途中にあったじゃろう」

「あれ……?」

「丸焦げの動物」

「ぴゃ!?」


 あまりの唐突さに妙な声が上がる。

 考えるまでもなく我々が放置してきた喰獣イーターの死骸のことであり、かなり道を占拠しての遺棄だったので、関係者とバレると居心地が悪い。


「あ、あー。そういえばーありましたねー。大きくてびっくりしましたぁぁ」


 そして悲しいことに、ヴェルカは驚異的に嘘が苦手そうだった。

 黒焦げにしたのが自分の弟というのも、尾を引いているのかもしれない。

 さて、どうしたものか。


『ん?』


 その時だった。

 まさに地獄に仏というべきか、遠方から見知った顔がやって来る。

 具体的には、喰獣をカラカラに燃やした元凶なのだが、何やら……様子がおかしい。

 切迫した様子でこちらに走ってくる。

 その姿にヴェルカが瞬時に反応した。


「とめてください!」

「あ、ああ」


 緊迫した声に御者が馬の手綱を引く。

 止まった瞬間、御者席から飛び降り、私共々ヴェルクに向かって駆け寄るヴェルカ。


「何かあったの、ヴェルク!?」

「大変だ、姉ちゃん! スランドールが……スランドールがやばい!」

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