第50話哲学者ヨロゴスと議論の開始
シャルルは、おもむろに切り出した。
「哲学者のヨロゴス様として、聖書をどう考えるのか、なのです」
「いきなり、突き詰めた質問で、誠に申し訳ありません」
シャルルは、そこまで言ってヨロゴスに頭を下げた。
シャルルのその言葉を聞き、ハルドゥーンとメリエム、そして「ついて来た聖職者代表」の顔色が変わる。
シャルル自身が宗教者として育ってきた。
その宗教者が、本来信じて疑わないはずの「聖書」に対して、別の系統ではある「哲学者」に見解を求めているのである。
少し震えながら、「哲学者ヨロゴス」の応えを待つ。
「ふ・・・」
あくまでも、ヨロゴスは柔和である。
それでも、真顔で質問を発したシャルルには少しだけ真顔になった。
ヨロゴスは、シャルルの目を見る。
そして、言い放つ。
「そもそも、聖書って何ですか?」
この応えで、ハルドゥーン、メリエム、アテネの聖職者は、またしても顔色が変わる。
「全く最初から、話がかみ合っていない」
ハルドゥーンがボソッとつぶやくと、メリエムも頷く。
「この人と合わない、帰ったほうがいい」
メリエムは、早くも出口を見ている。
ただ、シャルルは何故か笑顔である。
「確かに、創世記とかモーセの律法とか、数多のイエス以前の文書」
「イエス以降の四つの福音書とか、使徒行伝が、いわゆる聖書と呼ばれています」
シャルルは、一応の「定説」を述べるが、含みがある。
「定説」に対して、何等かの考えを、シャルルは持つのだろうか。
ヨロゴスはここに来て、ニヤッと笑う。
ヨロゴスはシャルルの「定説」に対する表現の「含み」を感じ取ったらしい。
シャルルに応じた。
「ああ、そもそもね、創世記で言えば、ユダヤ人の歴史でしょう」
「我々アテネ人にはアテネ人の歴史」
「ローマにはローマ」
「ミラノにはミラノ」
「いろんな地方のいろんな歴史がある」
「何故、ユダヤ人の歴史書だけが、聖書になるのか、理解が出来ない」
「理解できる説明が何一つ、なされていない」
「それにユダヤの選民思想」
「それだって、ユダヤ人が勝手に騒いでいるだけだ」
「そんなことを、神が述べたという証拠がどこにありますか?」
「ユダヤの民は、あちこちに奴隷となり、モーセに連れられて荒野を逃げ回るとか、とにかく世界の歴史の中で、我がアテネとか今は、没落の一途のローマではあるけれど、そういう実権を握ったことが一度もない」
「そんな民の弱々しい歴史を、何故、崇め奉るのですか?」
「証拠のない話を書き連ねた文書を聖典と言うのも理解できない」
ヨロゴスの話は、少しずつ厳しさを増してきた。
シャルルがヨロゴスの言葉を引き継いだ。
「イエスの死後、三百年も福音書が作られなかった」
「福音書は、イエスの言行を記録したもの」
「また、使徒行伝も、その時代はイエスの死後、それほど離れていない」
「つまり、それほど時間がかかっていて、正確なイエスの言葉を覚えている人が何人いるのか、確かにそういう疑問もあります」
シャルルの言葉で、ヨロゴスは少し笑った。
「ああ、シャルルさんとやら・・・」
「君は、なかなか面白い」
「なかなか、君とは議論ができそうだ」
「少なくとも、そこに座る、飾り立てた成金坊主とは違うようだ」
ヨロゴスは、立ち上がってシャルルの肩を軽くたたいた。
「まあ・・・しばらく・・・」
「といっても、テオドシウス様の命令もあるな」
「出来る限り、我々の見解を述べよう」
「あくまでも、我々の考えではあるが」
「そこの成金坊主の言うような、奇跡やら秘跡もないけれど」
「宿舎は提供する」
「納得がいくまで、ここで話をしよう」
ヨロゴスは、宿舎の提供と議論の継続を許可した。
「はい、ヨロゴス様、感謝いたします」
「ご厚情に甘えさせていただきます」
シャルルも本当に感謝し、「しばらくの滞在」を行うことに決めてしまった。
ハルドゥーンとメリエムは、少し呆れている。
「まあ、それほど、かからんだろう」
ハルドゥーンは、メリエムの顔を見る。
「どうせ、何かを考えているさ」
「私は、一緒の部屋で眠れればいい」
「後は、シャルル次第」
メリエムも決めてしまった。
「テオドシウス様には、連絡を打つとするか」
「また、叱られるが・・・」
ハルドゥーンも諦めた。
何しろ、シャルルの行動は読めない。
しかし、読めないながらも、その行動で失敗がない。
「ここは、アテネ最高の哲学者ヨロゴスと東ローマ希望の星のシャルルの議論を聞くのも一興だ、滅多にない機会だ、逃す手はない」
ハルドゥーン自身が、面白くなってきている。
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