とある猫の回想録4


「陛下が心配で、俺はこっそり後をついていたんです。そしたら、あいつがいた……。あいつが陛下を食べようとしていた。でも、あいつの本当の狙いは俺だったんです」

 静謐な教会にレヴの声が轟く。

 ここは王都の外れに立つ樽板教会だ。

 巨大な柱が身廊を貫き、色鮮やかなローズマリングと宗教画で埋め尽くされた教会内は、船内を彷彿とさせる。

 古い木製の教会には、船の造船技術が使われている。

 自分たちの先祖が遠い昔に海を旅して、ハールファグルが位置する半島にやって来た名残だという。

 そんな教会の祭壇の前で、レヴはじっとオルムを見つめ話をしていた。オルムの胸で泣きじゃくっていたレヴは、落ち着いたとたんオルムをここへと誘ったのだ。

 どうしても聞いて欲しい話があると、レヴは真摯な声でオルムに告げた。

 レヴはこの教会で飼われていた看板猫から生まれたという。だが、ある事実を知り彼は教会から逃げだした。そして、飢えて死にそうだった自分をカットが救ってくれたと言う。

「でも、陛下の正体を知ったとき、俺は自分の運命を呪いました。俺は、陛下から逃れたくて、ここから逃げ出したからです」

「レヴ……?」

「俺の秘密を知っても、あなたはお父さんになってくれますか?」

 切なげなレヴの眼が、オルムに向けられる。高窓から入る月光により、レヴの眼は悲しげに煌めいてみえた。

 そっとレヴは結わえていた髪を解き、着ていたコートを脱ぐ。上着のボタンに手をかけ、レヴは服を脱ぎ始めた。

「レヴっ」

 レヴの突拍子もない行動に、オルムは声をあげてしまう。それでもレヴは構わずズボンを脱ぎ一糸纏わぬ姿になった。

 月光に照らされるレヴの体を見て、オルムは息を呑む。

 その体には、光り輝く赤文字が無数に走っていたからだ。文字は、まるで滑るようにレヴの体を行き来している。

「これは……」

「契約書です。俺たち猫と、ヴィッツ様の間で交わされた取り決めを記したものだと教会猫の母からは聞きました。俺は陛下が猫の王であることを証明する契約書であると同時に、陛下に猫たちの魔力を送る触媒の役割も果たしているんです……」

 レヴは自分の体を滑る文字にふれ、言葉を続ける。

「俺はおとぎ話に出てくる魔法の杖のようなものなんです。俺がいなくなれば、陛下は普通の人間に戻ってしまう……。そしたら、陛下がどうなるかわかりますか?」

 レヴの眼がオルムに向けられる。そっと悲しげに眼を伏せて、レヴは言葉を継いだ。

「陛下は呪いに負けて猫になってしまいます……。俺は、ヴィッツ様が死んですぐに、陛下に力を送る触媒として生み落とされました。でも、その事実を聞かされたとき、恐くなって俺は逃げ出したんです……。自分が、1つの命でなくてモノのように扱われている気がして……。自分が猫でない何か別の化物のような気がして……。でも、死にかけている俺を陛下が救ってくださった。俺は自分の運命から逃げられないんだって、そのとき思いました。でも、陛下は凄く優しくて……」

「レヴ……」

 俯くレヴにオルムは静かに声をかける。そっとレヴは顔をあげ、今にも泣きそうな表情をオルムに向けてきた。

「俺は、陛下を守りたい……。でも、陛下の力を奪うために俺を殺そうとしている人間がいる。陛下は、そいつから俺を守ろうとしてくれているんです。違う……。たぶんあいつは……俺のこと……」

 レヴは自身の体を抱きしめ黙ってしまう。体を震わせながら、レヴは床に膝をついた。

「レヴっ!」

 レヴの様子がおかしい。オルムは膝を折り、レヴの両肩に手をかけた。

「大丈夫か、レヴっ」

 レヴの体をゆらし、彼の顔を覗き込む。レヴはそっと顔をあげた。

「あいつが……来る……」

 がちがちと歯を震わせながら、レヴは眼を震わせる。涙を浮かべたレヴを、オルムは抱き寄せていた。

「大丈夫だ……」

 そっとレヴの耳元で囁く。涙に濡れた眼をレヴはオルムに向けてくる。そんなレヴに、オルムは優しく微笑んでいた。

「君は、私が守る――」

 鋭い声を発し、オルムは自身の正面へと顔を向ける。

 閉ざされていた教会の扉が、わずかに開いていた。そこから吹雪が入り込んでくる。月光によって蒼く煌めく雪は、扉が開くとともに粉吹雪へと姿を変えていた。

「見つけたよ。愛しい私のレヴ……」

 氷のように冷たい声が、雪の幕から響いてくる。

 雪が引いていく。そこに佇む声の主の名をオルムは口にしていた。

「ドラーケ……」

「腹違いとはいえ異母兄を呼び捨てとは、お前も偉くなったものだな、オルム……」

 青白い唇を歪め、男は笑う。

 銀灰の髪を後方に流した痩躯の男は、自分と同じ竜胆の眼をこちらへと向けてきた。その眼は、嬉しそうにオルムに抱かれたレヴへと向けられている。

 オルムは抱いていたレヴを放し、自分の背中へと匿う。オルムは静かに立ち上がり、自身の異母兄を睨みつけていた。

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