王様の秘密

 王都の外れには、かつて王城であった城の廃墟が広がっている。石材を加工して造られた城は風化によって崩れ去り、威厳ある面影を窺うことができない。

 鬱蒼と針葉樹の生える敷地内には、しんしんと雪が降り積もっていた。

 雪を凌げる場所もこの廃墟には辛うじて残っている。そんな崩れかけた石造りの部屋に座り込む人物がいた。




「たっく……何考えてるんだよ、あの猫耳王……」

 壁にもたれかかるレヴは自分の両手首を睨みつけていた。彼の両手首は鉄製の枷によって拘束されている。長い鎖で枷同士が繋がっているので、身動きは取れるが移動には邪魔だ。

 しかもこの手枷は、彼を監禁したカットがつけたものだ。

 ――お前は俺を攫った重罪人だからな。ちゃんとそれなりの処遇を与えておかないと、他の臣下に示しがつかないから。

 手枷を自分にしながら、笑顔でそう言い放ったカットの姿を思い出す。

 レヴが護衛に就くことを断ったところ、カットは問答無用でレヴを城の独房に放り込んだのだ。

 ――命令だよ、レヴ。俺を守るんだ。命令が聞けないようだったら、お前は王を誘拐した重罪人として裁かれることになる。明日また返事を聞きにやって来るから、そこで頭を冷やすといいよ。

 笑みを刻んでいたカットの眼を思い出し、レヴは背筋を凍らせていた。 美しいアイスブルーの眼は氷のように冷たかった。

 長年カットに仕えていたレヴは知っている。普段温和な主は、自分の思い通りにならないことがあると態度を豹変させることを。

 それも、自分だけにだ――

「どうして陛下は、そんなに俺のこと――」 

 自分が言える立場ではないが、レヴは自分の主人に言いようのない異常さを感じることがある。

 特に、自分への執着心は理解しがたいものがあるのだ。

 自分の中にも、カットに対する執着はある。だがそれは、彼がレヴの命を救ったことから生じているものだ。

 カットはレヴにあらゆるものを与えてくれた。

 教養も、家族も、そして友人すらも――

 レヴが望むものを与えることで、カットは側にいることを強要した。

 片時でも離れようとすれば――

「あぁ、こんなところにいたのか、レヴ」

 弾んだカットの声が聞こえてきて、レヴはびくりと肩を震わせていた。 どうしてここが分かったのか、疑問に思う。追手は完全に巻いたはずだ。

「ほら、出ておいで……。恐くないよ……」

 雪を踏みしめる音が周囲に響く。自分の主人がこちらにやってくる様子を、レヴは凝視することしかできなかった。 

 笑みを湛えるアイスブルーの眼が、月光に輝いている。

 まるで、猫の瞳のようだ。

 そんなカットの後方から、瞳を光らせる猫たちが姿を現す。猫たちは甘えた声を発しながら、カットとともにレヴへと近づいてきた。

「ごめんな、レヴ。独房なんかに閉じ込めちゃって。でも、俺から離れようとしたお前が悪いんだよ……」

 そっとカットはしゃがみ込み、レヴの赤髪を優しくなではじめる。レヴは反射的に、カットの手を弾いていた。

「レヴっ……」

「どうしてここが……。また、猫に訊いたんですか?」

 寂しげに顔を歪めるカットに、レヴは不敵に笑ってみせた。そんなレヴをきょとんと見つめながら、カットは満面の笑みを浮かべる。

「うん、寂しからお前に会いたいって言ったら、みんな快く教えてくれたよ。ありがとうな、お前たち」

 レヴの質問に嬉しそうに答え、カットは周囲の猫たちを優しくなで始めた。猫たちは気持ちよさそうに喉を鳴らし、カットに体をすりつけてくる。

「猫と話すって、あなた本当に人間ですか? いや、あなたは魔女だったな……」

 乾いた笑みが顔に滲んでしまう。

「それは話さない約束だろう、レヴ……」

 すっと唇を歪めてカットが嗤う。人差し指を唇に当て、レヴの主は蒼く光る眼を向けてきた。

 その眼差しは、獲物を狙う猫のそれだ。

 レヴは、カットの秘密を知っている。

 曰く、カット・ノルジャン・ハールファグルは人間ではなく猫なのだという。

 そのため彼は。魔法を使えるそうだ。

「どうして俺なんかに……」

「お前が、俺のものだからだよ」

「俺のこと捨てたくせに、何言ってるんですか……」

 レヴはカットから顔を逸らしていた。視界のすみでカットが顔を悲しげに曇らせる。

 自分が護衛の任を解かれ、王城から出ていくときも彼はそんな眼をしていた。

 自分を引き留めることは一切せず――

「すまない、レヴ……。父上は自分のやったことを実行しないと気がすまないお方だ。ほとぼりが冷めてから、ちゃんと呼び戻すつもりだった。でも、お前から戻って来てくれるなんて、思いもよらなかったよ……」

「だって酷いじゃないですか……。陛下は結婚なんてする気がないのに、ティーゲル様は……」

 言いかけて、レヴは口を閉ざす。

 自分の中にある本当の気持ちが恥ずかしくて、レヴは頬を熱くしていた。

「レヴ、フィナに嫉妬したろ?」

 弾んだカットの声が聞こえて、レヴは俯いてしまう。

 護衛という名目で、カットに婚約者候補が押しつけられたことにレヴは憤っていた。でも、それ以上にレヴはフィナの存在が許せなかったのだ。

 カットの側にいて、彼を守ってきたのは自分なのに――

「やっぱり、レヴは俺のレヴだ……」

 そっとカットがレヴの手をとる。

 顔をあげると、微笑みを湛えたカットが視界に入り込んでくる。

「陛下……」

「レヴ、怪我してる……」

 手の甲に湿った感触が流れる。カットが、手の甲についた傷を舐めたのだ。

 どくりと、レヴの心臓が脈打つ。

「やめて下さいっ!」

 レヴは思わずカットを突き飛ばしていた。カットは横向きに倒れてしまう。

「いた……」

「陛下っ!」

 顔を歪めるカットを見て、レヴは反射的に彼に駆け寄っていた。

「陛下っ、陛下っ!」

 しゃがみ込み、カットの名を何度も呼ぶ。だが、カットからの応答はない。

「へい――」

 突然、カットが起き上がる。驚くレヴに笑みを浮かべ、カットはレヴを力いっぱい抱き寄せていた。

「捕まえたっ! もう、逃がさないからな!」

「陛下……」

「あーあ、せっかく独房に入れる前に梳いてやったのに、毛だってこんなにぐちゃぐちゃじゃないか。それに、全身泥だらけ。お風呂にも入れなくちゃな……」

 唖然とするレヴを他所に、カットはレヴの髪をなでてくる。彼のあやすような話声が妙に心地よくて、レヴはカットの肩に頭を預けていた。

「また……たくさんなでてくれますか?」

「もちろん」

「膝の上にあがっても、もう怒らないですか?」

「それは時と場合による」

「俺のこと、もう捨てないですよね……?」

 カットの顔を覗き込み、レヴは不安げな表情を浮かべてみせた。困ったように微笑むカットを見て、レヴの視界は潤む。

「あんなことして、本当にすみませんでした……。もう、わがままも言いません。護衛もちゃんとやります。だから、お側においてください。陛下に捨てられたら、俺……」

 涙声になっている自分が情けない。それでもレヴは、流れてくる涙を止めることができない。

 レヴにとって、カットは生きる意味そのものであり、絶対的な存在なのだ。そんな彼に見捨てられたら、自分はどうやって生きていけばいいのだろうか。

「ごめんな、レヴ……」

 カットが口を開く。

 頭を優しくなでられて、レヴは眼を大きく見開いていた。

「もう絶対にお前を手放したりしないよ……。夜の王城はただでさえ寒い。お前が側にいなきゃ、とうてい眠れたもんじゃないからな」

「また、添い寝させされるんですか?」

「だって、お前抱きしめてるとすっごくあったかいし、安心できるんだ。嫌なことだって、すぐに忘れられる」

「そりゃ、陛下は満足されるかもしれませんけれど……」

「命令だよ、レヴ。今夜は俺と一緒に寝るんだ。」

 カットが鋭く眼を細め、たしなめるように声をかけてくる。その声にレヴは思わず頷いていた。

「本当にお前は良い子だな。それでこそ俺のレヴだ」

 満面の笑みを浮かべ、カットはレヴの髪をなでてくる。その手をレヴは掴んでいた。

「それ以外にも、色々と命令されるおつもりなんでしょ?」

 苦笑を浮かべてみせる。カットの顔から一瞬にして笑みがなくなった。

「そうだな……。頼みたいことは山ほどある。それにお前たちがいないと、俺は父上にも反抗できない未熟者だ」

「なんなりとお申し付けくださいませ、我が君。俺の心はあなたと共にありますから……」

 寂しげにカットが言葉を紡ぐ。レヴは得意げに笑ってみせ、カットにそう返していた。

「なあ、レヴ……」

「何ですか、陛下?」

「フィナを救いたい。手を貸してくれるか?」



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