Perfect Life
@nekogamari
第1話 老人と鬼
辿り着いたのは川沿いだった。
日差しは暖かく、風は穏やかで、青い空に鳥が舞い、名も知らぬ草花が咲く、とてものどかな想区だった。
あたりに人影がなかったので、人家を求めて川沿いを歩いて、そんなに経たずに見つけたのが一軒の小屋。
いや、小屋という表現は家主に失礼だろうか。しかしこれまで数々の想区を旅し、豪華な城や瀟洒な宮殿、堅牢な砦を目にしてきた一行にとって、木と紙と土塀でできた壁と床に茅葺きの屋根を乗せたその建物は、一見して小屋と表現するのに十分だった。
家主は人の良さそうな老人だった。
一行の風体を見て怪訝そうにはしたものの、旅の者であることを伝えると快く小屋――家に招き入れてくれた。
老人はひとりで暮らしているとのことだった。あたりには他に、少なくとも見える範囲には、建物はない。
離れたところに集落があると老人は言っていた。
招き入れられた家で一行は老人と話をした。この付近の話やこの世界――想区の話を聞き、自分たちの旅の目的を話した。
老人がそれを理解したかどうかは定かではない。ただ、運命の書は持っているとのことだった。だからだろう、理解のほどはともかくとして、話を信じてはくれたようだった。
老人は言った。
「今日はもう日が暮れる。夜は野犬が出るから出歩くのはよしなさい。今夜は泊まっていくといい」
カオステラーの気配はない。この老人も悪い人物ではなさそうだ。話し合った結果、一行はその言葉に甘えることにした。
夕餉は質素ではあるものの、十分なものだった。川で穫れたのであろう魚、山や畑で採れたのであろう野菜。どれも新鮮で、一行は老人のもてなしに深く感謝した。
――その翌日のこと。
レイナはシェインとともに川に水を汲みに来ていた。お世話になった老人に、せめてもの恩返しをと、レイナが発案しての手伝いだった。エクスとタオは畑を手伝っている。
水辺にしゃがみこんで川面を覗く。透明な水の中を小さな魚影が逃げていくのが見えた。朝の光を反射してきらきらと輝く水面はとても綺麗で、心さえも澄んでいくような気がする。
のどかだ。
レイナはそう思う。
カオステラーの気配も今はまだ感じない。
すぐ横でシェインが桶を川に沈める。この水はそのまま飲んでも平気だろう。
「平和ですね」
シェインが言う。ええ、とレイナは頷く。
――でも。
「この想区のどこかにカオステラーがいる。それは間違いないわ」
言いながら、レイナも桶を川に沈める。空だった桶が水を溜めてずっしりと重くなる。
持ち上げようとして、レイナは少しよろめいた。重い。
「姉御、大丈夫ですか?」
少し心配そうに言うシェインは、すでに天秤棒の両端に水を汲んで立ち上がっていた。華奢なのに意外と力がある。
レイナは桶を一つ持ち上げるのでやっとだ。
「重いわ…よくそんなに簡単に持ち上げられるわね」
「こういうのは力の入れ方です。コツを覚えれば自分の体重くらいのものは持ちげられますよ」
ちゃぷ、と桶の水が揺れる。
「それにシェインは、ここと同じような想区にいましたからね。同じ道具で水汲みもやってました」
「ああ、そうか。言われてみればここ、桃太郎の想区に似てるわね」
「はい。というか、たぶん同じ文化の想区です。建物の様式とか食べ物、植物、みんなシェインたちのいた想区で見たことがあります。お世話になってるおじいさんも、ああまさにあんな感じのおじいさんいたなーって感じです」
とはいえ。
同じ想区ではないんですけどね。
シェインはそう言った。
言いながらもその顔は、どこか懐かしそうだった。
老人の家に戻ると、朝食の準備ができていた。粥だった。
それほど蓄えがあるわけではないであろう老人の食糧を、一度に4人前も平らげてしまうことには抵抗があったが、笑顔で食事の支度をしてくれる老人の厚意を遠慮することもまたはばかられた。5人で囲炉裏を囲んでの朝食となった。
「爺さん。すっかり世話になっちまって何だか申し訳ねえな」
粥を食いながらタオが言う。老人は朗らかに笑み、構わんよ、と答えた。
「この歳で独りで暮らしとるとの、客人というのは嬉しいものじゃ。寂しいからの、わし。あんたらみたいな若い人らと話ができるのは楽しいのじゃよ。あんたらさえよければ、旅の話なんかをもっと聞きたいのう。いろんなところを旅しとるのじゃろ?楽しそうじゃのう」
子供のように屈託なく笑いながら老人は言う。やはり、一行の旅の目的を正確には汲んでもらえなかったようだ。エクスは苦笑する。
「楽しいことばっかりじゃないですけど…そうですね、おじいさんみたいな優しい人に出会えると、僕らも嬉しくなります」
老人はますます破顔してそうかそうか、と言った。
「でもあれじゃろ、て、寺?かおすてら?とかいうおっかないのが、このへんにもおるんじゃろ?そいつはなんじゃ?襲ってくるんか?わしは見たことないがのう」
鬼みたいなもんじゃろか、と老人は言った。
「それは違う」
タオが即座に否定した。
エクスはちらりとシェインを見る。当のシェインはまったく気にする様子もなく、兄貴分が今朝収穫したきゅうりをかじっている。
タオは言葉を続ける。
「いや、鬼がカオステラーになることもそりゃあある。でも鬼とカオステラーはまったく別モンだ。カオステラーは人間だってなることがある。そして、鬼がカオステラーに襲われることだってある。鬼とカオステラーじゃ、そもそも質が違うのさ」
ほうほう、と相槌を打ちながら老人は聞いていた。
「鬼より怖い、ということかのう」
「まあ、そうね」
レイナが答えた。
「鬼も怖いですけどね」
シェインが口を挟んだ。
――自分が鬼だからって、鬼のことを悪く言われても、別に気にしないですよ。
そう言っているかのようだった。
「そうじゃのう。鬼は怖いのう。いろんな鬼がおったけど、やっぱり基本的には怖いのう。おそらく、鬼は怖がられ、人間は怖がるっちゅう、そういう運命に定められとるんじゃろなあ」
老人は言う。その口振りがレイナには少し気になった。
「おじいさん、鬼に会ったことがあるの?」
「おお、あるぞ。何度もある」
老人は事も無げに答えた。
何度も?
レイナは考える。一人の人間が、老人になるまでの間、いろんな鬼に何度も出会う。
少なくとも、レイナの知る限り、そんな想区はない。
そんな物語は知らない。
老人の発言には違和感があった。
鬼は現れても、退治されて終わるのがセオリーだ。ひとつの想区に、そんなに鬼のバリエーションはない。そんな、鬼があの手この手で波状攻撃を仕掛けてくるような想区では、人間は生き残れない。
それとも、あるのだろうか。知らないだけで、有名ではないだけで、いろんな鬼が何度も現れ、退治されるでもなく長年にわたって続く物語が。
それとも、この想区はすでにカオステラーの手に落ちていて、鬼が何度も現れるように改変されてしまった後なのだろうか。
この想区の主人公は誰だ?それが分かれば、この違和感の正体が分かるのか?
「ねえ、おじいさん」
レイナは問いかける。
「この想区は、誰の――」
「姉御!」
シェインが鋭く言い放ち立ち上がる。その視線は開け放たれた玄関に向けられており、そこには。
「クルルルルゥ……」
ヴィランがこちらを睨みつけていた。
「うわあ!なんじゃ?獣か?鬼か!?」
うろたえる老人をかばうようにしてタオも立ち上がり、周囲の気配に神経を張り巡らせる。
数は多くない。戸外に数匹、家を囲むようにしているようだ。
「坊主、シェイン、外に出るぞ!お嬢は爺さんを頼む!」
言いながら、タオは入り口のヴィランを蹴り飛ばし外に出る。エクスとシェインがそれに続く。
家の周りにいたヴィランも入り口付近に集まってきた。壁を壊して侵入されたら厄介だとは思ったのだが、それをしないということは、どうやら狙いは老人ではないらしい。
「相変わらず意味わかんねータイミングで現れやがって……せめてメシ食い終わってから来いよコラ!」
「クルルルルァ!」
3人を目掛けてヴィランたちが飛びかかる。タオはもちろん、エクスもシェインもすでに戦闘態勢に入っている。
「一息で蹴散らすぞ、ヘマすんなよ!」
「分かってる!」
「がってん承知です!」
老人の家の前で戦闘が始まった。
第一話 完
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