天使どもの林檎墜つ

紫魚

第1話 座り心地の悪い椅子

 その肌もとい、鱗は髑髏の白色、肩から垂れる長い髪もまた流れる乳のよう。物語における必定、顔は当然美しい細面であるし、つり上がった目には愁いを帯びた色の瞳が輝いていた。ただし金色、獰猛な竜の瞳である。ときおり骨じみた長い指が緩く巻いた髪の間を滑る。その頭に載るのは冠でも兜でもなく、優美な曲線を描いて黒檀の色で艷やかに輝く一対の角。黒色大理石の素晴らしく趣味の悪い彫刻が施された座り心地度外視の玉座の上で君臨しているその男、人間離れした相貌の壮年の男、彼はこの国の王であり、ここまでくれば当然彼の王国は人類の国ではなかった。


 半ば人類どころではない。ここは魔界である。


 もうしばらくどこかで見たことのある豪奢な光景にお付き合い頂きたい、贅の極みなど底が知れているのだ。玉座のあるは高いところと相場が決まっているため、男、魔王陛下は気怠げに階下を見下ろしていた。きざはしが何製なのか気になる方も多いであろう。鮮血のルビーである。魔界なのでやはり、深紅と漆黒は魔王の威容を示すに欠かせないところであるし、当の魔王が先述の寒々しい白色なのも好相性。「ルビーの階段て。メンテナンス代を考えろよ、総大理石でも十分だろうが」と内心思う魔王も、財政が安定している今はとりあえず現状維持でいいと考え、常軌を逸した座り心地の玉座に一応クッションを敷いて鎮座し時々心地悪そうに身じろぎするのだった。


 階下、広間では妖魔どもが舞い踊っていた。男も女も光沢のある色鮮やかな衣服で着飾っていたが、そのうち結構な数が「これは人間共の生き血で染め上げたドレス」だの「色とりどりの眼球を贅沢に使ったネックレス」だのを自慢している。この魔界では人間の魂こそが一種のエネルギー源として重要なリソースであるから、魂を抜き取った後の肉体は長い間、搾り滓でしかないとされていた。そのゴミをファッション業界が「サイコーに残酷でクール」と再評価したのはこの五十年程のことであり、かような最新のファッションに身を包む紳士淑女たちは魔界でも指折りの名士たちの息子に息女。名士たちご本人は「年寄りの舞踏なんぞ」と言いながら、伝統的な魔界の獣の毛皮を纏い、壁際で談笑。


「魔王さま、ご気分はいかがですか」

「最悪だな。最悪の座り心地だ」


 魔王の側には若い吸血鬼の男が控えている。日焼けとは無縁の肌、蒼白さは魔王にも引けをとらず、漆黒の髪と深紅の瞳の定番セットは魔王の威容を示すためにデザインされたかのごとし。側近の吸血鬼は隙なく階下に目を遣りつつ、退屈そうな魔王のために折々話しかけていた。


「その公園のベンチにも劣る拷問椅子によく一時間も座っていられますね」

「魔王の玉座に対してよくもまあ、遠慮もなく言うな」

「魔王さまの腰が心配です。その必要もなく頑強でしょうが、折角ですしお立ちになって……踊られては」


 側近の提案に魔王は低く喉を鳴らし(苦笑いである)、

「独りで踊れと?滑稽だな。1時間も立ちっぱなしで老い耄れの話し相手なんぞしているお前こそ行ってきたらどうだ。許可する」と顎で指す。魔の姫君たちが玉座を見上げ、否、その隣の美青年を見て何事か囁きあっていた。しかし側近は意に介さない様子。


「では一緒に踊りましょうか」

「お前は阿呆か」


 天然コントが行われている玉座の一段下には二人の狼獣人が控えており、彼らも退屈に立ち尽くしていた。とは言え彼らは魔王直属の近衛兵で、踊りに加わろうという気は毛頭ない。年嵩の狼は考える、(それに、一時間も平穏なのは僥倖も僥倖)

 狼の読みは的中し、広間の正面扉から入った小柄な影がルビーのきざはしを一瞬で駆け上った。影としか言い得ぬ速さであったが、狼たちは素早く槍でもってそれを制した。


「ちょっと、あたしよ」


 小柄な影は赤毛の女悪魔で、露出は高いが飾り気のない服、即ち舞踏会の客ではなく、暗殺者でもなく、魔王の部下。背中の翼は息切れした肩が上下するように揺れていた。比喩なしに全速力で飛んできたというところだ。狼たちも彼女のことはよく承知していた。魔王の側近のひとりで得意の火炎魔法を辺り構わず放つ危険悪魔である。


「ああ、悪いな、アルメニ。だがお前でも陛下の許可なく玉座に近付くことはできない」

「で、アルメニ。そう急いでどうしたというのだ」

「陛下に、ご報告申し上げます」

 悪魔は口元に笑みを浮かべていた。ハプニングが大好きなのだ。


「城内で人間の子供を捕らえました」


 魔王もまた口の端をつり上げた。招かれざる客への歓迎である。


 城で人間の子供を捕らえる、恐ろしく由々しき事態である。この魔王城は魔界の中心に聳え立つという立地上、あらゆる魔物を寄せ付けない造りをしている。ましてや人間の子供、城の遥か手前に設置された魔法障壁で蒸発されていなければならない。その前に人間界と魔界を隔てる次元回廊、沸騰海、剣の山脈、瘴気で濁りきった空気などを乗り越えねばならない。つまりあり得ない。その子供が大人しく捕まっていることさえ、むしろ不思議なものである。主催者不在でも十分成立する舞踏会を早々に立ち去った魔王は、事態を重く捉え自ら地下牢へ赴いた。


「お前はどう考える」

 問いは側近に対してだ。側近ガゼルロッサ・バーントシェンナは淀みなく答える。

「高位の魔の力なしには到底成し得ません。囮か何か、読めませんが、魔王さまの王座を狙う者の策略である可能性が高いでしょう」

「魔王城内に転移魔法を仕込む程の魔力、それに地位か。こんな回りくどい手でな、誰であろうな」

 

 魔王は既に答えを持ち合わせているよう、若い側近を試しているのだ。

「玉座を狙うほどに玉座に近いもの、思うに俺の大叔父バガルバドス・スカーレットであれば」

 躊躇わず身内の名を挙げる側近。

「ああ、お前が内通しているならそう不可能な事ではない、だが」

「ええ、俺は魔王さまを裏切りなどしません。愛してます」

「いや、吸血鬼のやり方にしては妙なものだから……」

 突然の告白に若干動揺する魔王であった。

「まあ、罠であったとして、多少遊んでやるくらいの甲斐性はある」

「さすが魔王さま、不敵で素敵です」


 魔王は側近の妙なスイッチを入れてしまったことに不安を覚えつつ、人間の子供が留置されている牢の中へ踏み入った。過去の残虐な痕跡を至るところに染み付かせる部屋の中では鉄錆めいた匂いが鼻につく。客人には応急措置として悪魔がふたり見張りに付いていた。血濡れた床の中央に、とりあえず持ってきたと目される食堂の椅子(「なぜ食堂の椅子なのだ」と落ち着いてから魔王、悪魔のひとりが言う「アルメニ殿が暇なやつを思念拡散魔法で募ったとき、自分は食堂におりまして。第六感にピンと来たのです、『あ、これ食堂の椅子要るな』って」魔王は御自ら命を下すことにした「第六感は今後一切信用しないように」「はーい」)、座り心地上々なその上では件の人物が脚をパタパタと揺らしていた。床に足が届かないのだ。


「こんにちは!」


 良い子だな、と魔王は思った。見かけからおぞましい人外の男たちに対してこう朗らかに挨拶ができるのだから、余程躾がいい娘だ。魔王城に不法侵入するのだからこうでなくてはならない。側近は吸血鬼が銀玉鉄砲喰らったような顔をしていた。


 子供は少女、いや幼女だった。魔族たちは人間の年齢には疎いが、まだ一桁ではないだろうか。身の丈は大柄な魔王のおよそ膝丈ほどで、輝くような金髪を赤いリボンで二つに結っていた。ツインテールである。小綺麗で整った身なりは魔王城の地下牢にはあまりに似つかわしくない。血の匂いが染み付いた小部屋で恐怖のひとつも浮かべない能天気そうな顔もまた魔界にはあまりに似つかわしくない。薄い青色の瞳――ここが人間界であれば「空色」と言ったものだろうが、生憎そのような空は魔界にはない――がどこの光を捉えたやらきらきらと輝いている。


「何者だ」

 さしもの魔王も警戒を滲ませる。

「わたしの、なまえは、まりあ、です!ごさい!」

 「迷子かな」と側近。「馬鹿か」と魔王。

「どこから来た」

「おうち」

「どうやって」

「おうちのね、リンゴ畑をね、たんけんたいしてたの。そしたらね、ドアがあったからね、はいったの」

 「迷子かな」と側近。「馬鹿な」と魔王。

 この後何度も聞き返したが、以上が経緯の全てである。


 魔王自ら接見した結果、幼女からは微量な魔力も認められなかった。魔族の働きかけがあるとは考えられない。聖なる力の加護を受けていることも魔族の送り込んだ罠であることを否定した。となると、問題は彼女ではない。おそらく彼女は転移魔法に迷い込んだ無関係の被害者であり、転移魔法を仕込んだ者の目的は別のところにあるはずだ。人間界と魔界を繋ぐ門を必要とする者、人間界には一人しか可能性がない。


「もうそんなに高い水準の『勇者』が育っている、ということか」


 魔王の呟きに側近は目を瞠った、がすぐに合点のいった様子で、

「近頃は人間の魂のみならず肉体も利用の対象です。死体ごと魔界に持ち帰るのは効率的ではないと、特に需要の高い部位のみを持ち帰るやり方も多いと聞いております。正確なデータは取られていないので如何程の数かは……」

「間違いなく怨みを買うやり方だ」

「人間狩り自体もこの五十年は増加傾向で行われております。怨みが魔王討伐の気運を高め、勇者候補の若者たちの動機付けとなる。おかしくありません」


「しかし、城内に転移魔法を張られるとはな……偶然の産物と思いたいが」

 珍しく険しい顔の魔王に、側近も体を強張らせてしまう。

「すぐに警戒態勢を敷かせます。アルメニの話では、彼女を見つけた際にすぐ配下のものに転移魔法の痕跡を捜させたそうですが既に失せていたと。目的を終えたために消えたと考えるのが妥当です」

「あいつでさえ痕跡も掴めない、と。妙だ。まさか……いや。憶測ばかりでは。狼どもに城内隈なく調べさせておくように」


「ところで畏れながら魔王陛下」

 ここまで口も挟まず幼女と手遊びをしていた見張りの悪魔が唐突に、

「マリアちゃんどうするんですか」


 マリアちゃんは屈託のない笑みで白面外道の男を見上げた。無垢だ。聖なる加護さえ受けた質の高い魂はコレクターズアイテムとしての価値さえあるだろう。

「ねえねえ、あなただれ」

 恐れを知らぬ幼女。

「魔王。四代魔王白竜のフィーザ」

「五歳にそんなに律儀に答えるなんて魔王さますき」

 幼女は花が咲いたように笑った。

「まおう。フィーザ!」


 魔王も聞く者皆震え上がる重低音で哄笑した。何かがツボに入ったのだ。

「俺だって魔王さまの名前呼んだことないのに!」側近が衝撃を受けていた。


「こやつは家に帰してやらねばなるまい」

 その発言に側近ガゼルロッサはじめ臣下たちは「え?」と口を揃えた。自分の欲望に忠実に、が美徳で悪徳の魔物たちには意見が揃うこと自体、珍しいことである。

「殺すには利がないだろうが」

 側近は即座に噛みついた。主君にも容赦なく噛むは吸血鬼のお家芸である。


「いやありますよ。見てくださいよこれ、超リッチなテクスチャーの魂じゃないですか。専門家ではないですが特Aランク時価五億魔界円相当って感じじゃないですか。肉体利用が怨みを買いすぎたって話は確かにしましたけどね、でも魂の奪取って俺たちの存在理由じゃないですか。天に地に還るべき魂を掠め取り魔界ですり潰すこそが、始祖が為した神への叛逆の理念に適うってことじゃないですか。慈悲はありえませんよ魔王さま」


 畳みかけるガゼルロッサに魔王は落ち着き払って返す「戯けが」

「我等の存在理由はそのような些事ではない、始祖の代から神への叛逆である。魂を貶めるはその手段でしかないと知れ」

「では、どうか、ご教示ください」

「ああ、利がないと言ったことは撤回しよう。お前の言う通りに今、特Aランク時価5億魔界円相当の利用価値の高い魂ではあろうから。これが成人するころにはランクが付けられんだろうよ」


 ガゼルロッサのふた噛み目。

「成人するころには凡庸の魂に堕している可能性が高い、生後間もない魂はBランク相当とされていますが、その二十年後は70パーセントがCランク、人口全体に占めるAランクは2パーセントもなく」

「ランク判定が想定する程度を遥か上回る特A以上を魔界が奪取した例は三件のみ。あの最高位の魂を魔族に転生してやったのは、魂コレクション以上に冒涜的だったろう」

 側近ではなく悪魔達の方へ。短足気味な悪魔が「そっすね、発想が狂ってて流石魔界って思いました」と無表情に答えた。

「可能性は低いです。ロマンは理解します」

 ガゼルロッサは今だ不満げな顔。反抗的な態度を崩さない彼にも魔王は気分を害した様子はなく、


「第六感だな」


 (先程第六感を禁じられた悪魔が「なんでやねん」と呟いたが無視された。これは慈悲によるものかどうか)

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