第15話「サリーのパクリじゃない」
エレベーターに乗りながら俺とロキシーは地上を目指した。
あれから彼女は喋らなかったので俺もまた無言だった。
ただ耳障りな機械の音だけが鳴り響いていた。
「マリーって名付けたよ……」
俺は意を決して口を開いた。
「サリーのパクリじゃない」
ロキシーは涙目で少し笑った。
「これには深い深い訳があるんだ」
「どんなよ」
「俺には大切な女性なんてそんなにいる訳じゃないし、だからと言ってお袋の名前をつけるのもアレだしな。マリーってマリアのことだろ。キリストの母親もマリア。そういやマヤってのは仏陀の母親の名前だったなって思ってね。まさかマヤって名付ける訳にもいかないしね」
「マヤが喜ぶわ」
「まあロキシーって名付けても良かったんだけど、お前が嫌がるだろ。絶対やりにくいと思うんだよな。こらロキシー、いい子だからベソかいてないで言うこと聞きなさいってね」
「殴るわよ」
ロキシーは笑った。
それから彼女は少し考えた後、口を開いた。
「アレックスってのはね……まあ若気の至りでつけた名前よ」
だからお前いくつなんだよ。
「中学の時、憧れていた先輩がいてね。バスケ部のエースで、試合になると学校中で応援したわ。初恋って奴ね」
「仲良かったのか? 」
「一度も話したことはないかな」
「なんで話しかけないんだよ」
「私、中学の時結構暗い性格だったから」
「ふーん。もったいない」
「ただ一度だけ廊下でぶつかったことがあってね。まあ、あれが生涯、最初で最後の急接近って奴よ」
「その後どうなったんだ? 」
「私が手に持っていたプリントを落として」
「落として」
「それで終わり」
「はあ? 相手は何やってんだよ」
「そのまま友達と話しながら行っちゃったわ」
「クズじゃん」
「よそ見してた私が悪いのよ」
「俺ならそんなことしないね」
ロキシーは黙っていた。
「絶対しない」
指が少しだけ触れ合ったような気がした。
彼女からか俺からかは分からなかったが、二人はもう少しだけその触れ合いを求めて指を伸ばした。
その時エレベーターが地上一階に到着した。
眩しい光と雑踏が見えた時、俺たちは臆病な猫のように身を離した。
◇ ◇ ◇
それから俺たちは街の巡回を始めた。
自分の街、隣の街、ちょっと電車に乗って大きな都市へと出向くこともあった。
ロキシーがストレンジャーを見つけ、主に俺が処分するといった役割だった。
「あわてなくてもいいわよ」
と彼女は口が酸っぱくなるほど言った。
「少しでも不利になるくらいなら、今日は見逃しちゃってもいいくらいの感覚でやって」
それがこの仕事のコツなのだ。
エレベーターでの一件は、あれ以来彼女が口にしないので、自然と俺も何かを確かめることはなかった。
そうこうするうちに、あの時の現実感は夢の彼方へと消えていった。
その日はある民家へと入る女をつけていた。
彼女がポケットから鍵を取り出したことで、それが彼女の家であるということは分かった。既に検証は済んでいた。
「真正面から行くか? 」
「今日は趣向を変えましょ」
ロキシーはそう言うと、ほとんど予備動作なしで跳躍し塀の上に立った。
「ついて来て」
それからストンと身を庭へと落とした。
都会の一軒家には十分すぎるほどの広さの庭だった。
雑木の陰から窓の下に身を移しそっと中を覗くと、そこは居間のようであり、先ほどの女と男が一人椅子に座っていた。
「キャプラ、男の方もチェックしてみて」
「ロキシーはどう思う? 」
「恐らくクロのはずよ」
当たりだった。
「男が生きているということは、人間ではないということね。単純な話よ」
勘の他にもこういうちょっとした推理で彼女は見分けているのだ。
「どっちがいい? 」
「男で。女を殺るのは気分が悪い」
「そういう甘さ捨てなさい。それはある事実から目を背けているだけよ」
何が? 答えはこれまた単純だった。
「ストレンジャーはどうやってこの家を手に入れたの? もちろんお金を払ってかもしれないけど、それよりもっと簡単な方法があるわよね」
「両方やるよ」
「単純ね」
煽ったくせに。
「別にいいけどちょっと力みすぎよ。深呼吸した方がいいわね。ほら、腕を開いてスーハースーハー」
「馬鹿にしてんのか? 」
でも一応やっといた。
さて、俺は奴らのうち一人が席を外すのを待った。
日も落ちて室内の電灯がともる頃、男が立って部屋を出て行った。
俺は素早く窓をノックした。
反応がなかったので続けてもう一度。
そして女が鍵を開け窓に手をかけた瞬間、窓をガラリと開けた。
女はさぞ驚いたことだろう。
俺はそのままそいつの服を掴むと思い切り外へと放り投げた。もちろん全ては群状金属の助けを借りてのことだった。
「アイデアは良かったわ」
女は庭にうつ伏せになったまま起き上がらなかった。
ロキシーが俺の動作に合わせてハンドガンで脳をぶち抜いたのだ。
「でも二つの動作でやるのではなく一つの動作に集約しなさい。シンプル・イズ・ベストよ」
「俺がやるっていったのに……」
「すねないの。ほら、次はどうするの? 」
俺はもう一度中を確認すると素早く室内へと侵入し、ソファーの陰に身を潜めた。
窓は開けたままにしておいた。
「同じ手で行くかと思ったけど、結構思い切ったわね」
ヘッドセット越しに彼女が言った。
「ツガイがいないことで異変に気づくかもしれないからな。念のため『堅牢』の申請準備を頼むよ」
堅牢とはある一定の空間を他から隔離する技術のこと。街中で戦う際には必須の技術である。
自分とストレンジャーを堅牢に閉じ込めてしまえば、他に被害をかけずに戦うことができるからだ。
もちろんこんな天地をひっくり返すような技術、そう何度も使えるものではない。堅牢にかかるエネルギーは莫大で、それはイコール費用となって跳ね返ってきた。
「一日一回が限度よ」
とロキシーが以前教えてくれた。
「限度ってのは物理的にできないってことか? 」
「そうよ、お金も物理的なものだからね。まあ、そういう風にシステムが組まれてるって理由もあるけどね。とにかく許されているのは一日一度の権利だけ。それだって三日も連続で行使したら、アメリカのピザみたいに分厚い始末書を書かされるわ」
ロキシーの時代でもまだアメリカのピザは分厚いらしい。
さて、次に俺は集音機能を使うため耳に群状金属を集めた。すると男がトイレの水を流して廊下を歩く音が聞こえた。
ストレンジャーも排便するのか? いや、違うね。
男は帰ってくるとすぐに女がいないことに気づいた。
まさに緊張の一瞬。
奴の背後を取るまでは、俺たちに出来ることはほぼない。
ここですぐさま変身するようならば、敷地全体を堅牢にして久しぶりのドンパチをしなければならない。暗殺の方には慣れてきたが、こっちの方はまだ自信がなかった。
男の足音は……近づいてきた。
よし、まずは第一段階クリアである。
では次に、奴は窓へ向かうのかそれとも俺の方に来るのか?
それが問題だった。
……こちらは運がなかった。
男は明らかに俺の方へと来ているのだ。
どうする? 一か八か飛び出して真正面からヘッドショットを狙うか?
どうする?
どうしたらいい?
「……ロキシー、窓を叩いてくれ」
「了解……」
ノックの音で奴の首が曲がった。
それから庭に倒れている仲間の姿を発見した。男もさぞかし驚いたことだろう。
「骨を処分してたな……」
俺は憎しみを込めて奴の心臓を正面から貫いた。
「肉は食べ、骨だけにして砕きトイレに流したな」
食卓の上には夕食の残骸が散らばっていた。それはまた人の残骸でもあった。
腕を抜くと男はそのまま崩れ落ちた。指先から血が滴って床に円を描いていた。
「気分はどう。平気? 」
「なんとかね。助かったよ、ありがとう」
「うんうん。上出来よ。これなら文句なしね」
「そうか」
その時トクンと右胸に心拍のようなものが感じられた。
初めてのことだったが、それが何かは直感で分かった。
「大丈夫だよマリー」
俺は優しく胸を撫でた。
「心配してくれてありがとう」
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