第36話 過去と未来
小さな街頭が一つ照らす薄暗い公園。お面を付けた彼女は、闇に飲まれそうな力ない星のように今にも消えそうになっていた。
僕が見つけた時には、マチはブランコに座って静かに地面を見つめていた。
「マチ.........」
動かない。たった一人、この暗い世界に残されたようにじっとしていた。
耐えられず、僕はもう一度声をかける。
「マチ」
「ごめんリク。こんなはずじゃ.........」
声は小さく、震えていた。
僕は何も言わず、横のブランコに腰掛けて鞄の中に入っていたタオルを差し出した。
マチはゆっくりと受け取り、お面をズラして顔をくしゃくしゃと拭いた。
きっと、僕なんかじゃ想像も出来ない過去を背負っている。いつもなら、僕は何も聞かない。でもマチは、僕にとってすでに特別なこの子は、どうしてもほっておけなかった。
「よかったら話して。何かあったんだよね?」
「.........」
また泣き出しそうに呼吸が荒くなる。聞かない方がいいのかもしれない。だけど、僕はマチの全てを知っても受け入れてあげられる。そう確信していた。
しばらくして、マチは静かに語り出した。
「リクは、聞こえてたよね、さっきの.....」
「.....うん」
「間違って、ない。ネームバリューも.....忘れ形見も.....」
涙を噛み殺すように詰まる。ゆっくりでいい。ゆっくりでいいんだ。
「長くなるけど、聞いてね」
「もちろんだよ」
息を整えて、記憶の古いところからなぞり出した。
「昔、わたしは、ファイヤーフォックスに入っていた。わたしがダンスを始めた年。同じレッスンの人を集めて作った」
「うん」
「強かったと思う。新人ばかりだったけど、みんな才能があった。二年くらい経つと、当時有名になり始めてたエピックの唯一のライバルチームだって、みんなが言ってた」
「す、Strange Epicの!?」
「そう」
マチはエピックの対抗馬だったのか。それならあの強さも頷ける。とんでもない秘密を隠し持っていた。
「でも、あるとき事件が起きたの。高校一年生ばかりだったファイヤーフォックスは、バトルで暴力行為を起こしたの」
「.........」
「とてもひどくて、血の気の多かったチームメイトはみんな暴れた。警察も入ってきて、会場だったスタジオは営業停止。チームもダンサー協会から追放。わたしは止めてたから大したお咎めは無かったけど。チームの子達と連帯責任で一ヶ月イベント出場禁止のメールが来たの」
とんでもない話だ。僕はただ息を呑む。
「戻ってきたのはわたしだけ。他の子はみんな辞めちゃった。一人ぼっちになったの。とても辛くて、わたしも辞めようかと思ってた」
「そんな......」
「その時だったの、エピックの助っ人で一度だけ戦ったことがあるタックと出会ったのは」
「.........っ!」
たたたた、タックさんがエピックの助っ人!? その話も聞きたいっ。いや、いまはちゃんとマチの話を聞くんだ!
マチは少し笑った。タックさんに反応したのがバレたのかもしれない。でもそのおかげか、若干マチの話し方が柔らかくなった。
「タック。変な人だと思ってたの。大きな公園で非公式バトルをやってたから、なんとなくこっそり覗いてたら、わたしと目が合うなり『俺と出場するぞ』とか言って。本当、馬鹿みたい」
「らしくないね」
「今思えば、ね。でも、タックは知ってたんだと思う。わたしのことと、あの事件のこと。だから、慰めようとしてたのかな」
マチはお面を外すと、優しく撫でた。少し腫れた目で微笑む。
「それから何度も、タックに連れられてバトルに出場した。いっぱい優勝して、ちょっとだけ、タックとのバトルが楽しみに思えてたの」
「なんだか、いまの僕たちみたいだね」
「うん、真似してたから」
自分が苦しい時に、タックさんに手を差し伸べられて立ち直った。強引なのは彼譲りだったのか。
「でもね、優勝が続き過ぎると、ある噂が流れたの。『強豪ファイヤーフォックスの被害者だから、ジャッジはお情で優勝させている』」
「そんなことないよ!」
急に声を上げるもんだから、マチはビクッとこちらを向いた。しまったと思い、僕はシドロモドロと続けた。
「マチは充分過ぎるほど強いよ。努力もしてる。一緒に戦ったからわかるんだ。それまでの優勝はなんの疑いようもないマチの実力なんだって」
「リク.....ありがとう。タックがいたからかもしれないけどね」
「それは.....それもあるかも、だけど」
「どっちにしても、わたしにはどっちなのかなんてもうわからない」
遠くを見つめるマチは、少し悲しそうだった。しかし、すぐに笑ってこちらを向く。
「噂が流れて、それを聞いたタック、何したと思う?」
「え? え〜っと.....」
「どこかの神社で買ってきたお面持ってきて、『嫌ならこれでも付けろ』だって。あの時は本当に笑った」
こちらにお面を向けて、それに隠れるように笑いを我慢するマチ。そうか、だからバトルではお面を被っていたのか。
思い出し笑いから解放されたマチは、完全に元の顔を取り戻していた。
「このお面してるとね、力が湧くの。誰もわたしだって気付かない。思いっきり踊れるようになって、ようやくちゃんと復帰出来たんだ」
「でも.....」と続けるマチは少し申し訳なさそうに頭を下げた。
「今日はごめんなさい。取り乱した。もう克服してたと思ったのに、怖くなっちゃった」
「マチ.........」
こんな小さな身体で、これまで本当に色々な重圧に耐えてきたんだ。仲間を失い、信用を失い、それでも、マチは踊りたかった。
「でも、バレちゃったね。リク。もうわたしはバトルに出ない」
「や、辞めちゃうの?」
「ん〜、引退かな。勿体ないけど」
「そっか.....」
悲しい宣言だった。
でもダメだよ。そんな事させられない。まだ君の瞳には光が残っている。
僕の中で静かに、新たな熱が生まれた。
そんなことは毛ほども気付かず、マチはスッキリした顔で伸びをした。ぴょんと立ち上がると、軽くお尻を払って僕の手を引いた。
「リク、聞いてくれてありがとう。スッキリした」
「こちらこそ、マチのことが知れて嬉しかったよ。ところでどこへ行くの?」
「会場に戻る。そろそろ人もいなくなってそうだし、賞金、貰ってない」
「ははっ、マチはがめついなぁ」
「お金は大事」
そして、僕たちは人のはけたクラブに戻った。頑張って庇ってくれたMCとジャッジたちはマチの顔を見るなり「君たちの実力は本物だから! もっと色んなバトルで活躍してくれ!」と事情を知った上で応援してくれた。マチは苦い顔をしていたけど、ちゃんと受け止めてほしい。わかる人にはやっぱりわかることなんだから。
賞金をもらってその場を離れた僕たちは、コンビニで晩御飯を買ってホテルに戻ってから食事を済ませた。いつも通り、二人で冗談を言い合ったり、タックさんのエピック助っ人時代の話をしたりと盛り上がった。
そして、次の日。お昼に別れた僕とマチは、別々の帰路に着いたのだった。
数日後、僕は自分の部屋でパソコンを開いていた。その画面には、思っていた通りのことが記されていた。
「ま、こうなるか」
ダンサー協会のホームページにあるダンサーズトピック。つまり、ダンス限定のニュースだ。そこには、《ファイヤーフォックスのリーダー キツネ面で参戦》と大々的に載せられていた。特に悪いことは書かれておらず、ファイヤーフォックスの軽い歴史や参考動画。チーム復活なるかなど当たり障りのない記事だったけど、マチにすればもうお面ありでも出場したくないだろう。
「それにしても、なんだこれ」
ピックアップダンサーの記事に、僕たちのチーム。Strange Aceが写真付きで上がっていた。僕はいなくて、真ん中にはビッグベアーくんが堂々と仁王立ちをしている。きっと僕たちが旅をしてる時の公式戦の写真だ。格上相手に見事に優勝したらしい。
「なになに、『超新星Strange Ace。次世代を担う若手実力派に注目』? なんだろう、この気持ち.....」
まさか僕がいないところでこんな事になってるなんて、また置いていかれたように感じてしまうじゃないか。
そこに、勝利者コメントとして、ビッグベアーくんの記事が載っていた。
「え〜、『俺たちはまだまだ上に行く。今日はリーダー不在で優勝だ。アイツが戻ればこのチームに死角はない。文句のあるヤツはかかってこい。並のダンサーじゃリーダーのリクは止められない』って何言ってんのさ!! レート一番下をどれだけ持ち上げるんだよ!!」
最悪だよ。このサイトはダンサーの殆どが目を通すのに、次のバトルから変に敵意を持たれちゃうじゃないか。
「ん? まぁいいのかな.....」
よく考えると、これからしようとしている事は出来るだけ注目されなければならない。これは好都合と捉えるべきだ。
「さてと、じゃあさっそく検索検索.....」
何事もなかったかのように、僕は目的のサイトをキーボードで入力した。あっさりと見つかったそのサイトに個人情報を入れて登録。
次はチーム全員とマチに連絡だ。
「うまく運んでくれよ.....」
まずはマサヤくんに。コール音を聞きながら、僕はマチのことを考えていた。
あの子のあんな悲しい顔、もう見たくない。その気持ちでいっぱいだった。
「リク、やっぱりわたし.....」
「何言ってんのさいまさら、撮影してくれるって約束でしょ?」
「でも.........タックも来てるし」
「約束は守れマチ。そんないい加減なダンサーだったか?」
タックさんに言われ、マチはだんまりした。さすがタックさん。思い切って連絡してよかった。
今日は公式戦。それも、出場者数が桁違いに多い、名のあるイベントだった。希望通りチームの全員が予定を空けてくれて、ようやくフルチームでの出場だ。マサヤくん、ミナミさん、ビッグベアーくんはいつも以上に気合いが入っており、まだエントリーまで一時間はあるのに凄まじい集中力でアップを始めていた。
引退宣言をしたマチには一生のお願いといってどうにか撮影役で着いてきてもらった(その代わり僕が一週間マンツーマンで修行に付き合うことになったけど)。途中で逃げ出さないようにと思ってタックさんにも来てもらったのはどうや正解だったらしい。彼女はすでに帰りたそうだ。
一番早くエントリーを済ませた僕たちは、最後のミーティングをするためにマチとタックさんから離れたところで集まって円陣を組んだ。
「みんな、わかってるね。今日は優勝が絶対条件だよ」
「優勝以外あるわけないだろ。あんな話しを聞かされて途中で敗退なんて漢じゃねぇだろ」
「そうね、そもそも勢揃いしたこのチームが負けるなんて考えられないわ」
ビッグベアーくんは吐き捨てるように言い放ち、ミナミさんは余裕の笑みを浮かべた。
よし、いまのセリフを聞けただけで充分だ。
僕は今回の鍵になるマサヤくんに視線を向ける。
「マサヤくん。キミは一番手だ。序盤にフルスピードで相手を置き去りにして、僕らでその距離を保つ逃げ切り戦法で戦う。時間制だから他の人より多く踊るけど、大丈夫?」
「任せろって! あの話しを聞いてから、地力を付けるために朝から晩まで練習をしてきたんだ。体力は心配するな。むしろ俺だけで全員蹴散らしてやるよ!」
「二番手にビッグベアーくんを置くからいつでも倒れていいからね」
「そりゃ面白い冗談だぜ」
ここぞというの時にしか付けないバンダナをきゅっと上げ、マサヤくんはニヤリと笑う。本当に心強い。間違いなく、みんなと心が通じ合っている。
「じゃあいくよ.........」
僕は大きく息を吸って、肺を爆発させるつもりで声を張り上げた。
「敗北なんて許さない!! 死ぬ気で優勝するぞ!!!!」
「「「おおおおおおおおお!!!!」」」
この日最も注目されているであろう僕たちは、全てのチームをなぎ倒すという宣戦布告の意味を込めて全力で叫んだ。
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