第14話 限界のその先へ

 短い休憩の間にトイレに来た僕は、いつも掛けている眼鏡を鞄の中にしまう。代わりにコンタクトレンズを取り出して人差し指の上に乗せた。


「あーー」


 目にコンタクトを入れる作業に慣れていない僕は、どうしても声が出てしまう。それが恥ずかしいからトイレで隠れながら入れているのだ。


「これでよし」


 眼鏡のままブレイクダンスをすることに注意は受けたことが無いのだが、激しい動きになるとどうしてもズレる。絶対に勝ちたい試合は出来るだけ敗因を減らしていかないと後で後悔するだろう。

トクトクと素早く脈打つ身体はいつもより熱い。よほど興奮しているのだろう。緊張も相まって少し手が震えている。

 トイレから出ると、すぐ近くでマサヤくんが待っていてくれた。


「お、何してるのかと思ったらコンタクト入れてたのかよ。お前もマジだなぁ」

「もちろん。さ、体育館に戻ろう」


 二人で体育館に戻り、僕は靴紐を結び直していたところで知らない先輩達から声をかけられた。


「あぁ! 陸くん! 眼鏡ない方がかっこいいじゃない!」

「本当! むしろ可愛いわね! ずっとそうしていなさいよ!」

「へ? えぇっあ、あっはい! ありがとう、ございます......」


 今まで話したこともない女性達に囲まれ、僕はあたふたするばかり。コンタクトに替えただけでこんな事があるのか。


「リクっち。ちやほやされて随分ゴキゲンね。そのまま調子乱してくれると私も楽なんだけどなぁ」

「ミナミさん」


 ミナミさんもいつものポニーテールをさらに上の方で括っていた。活発で自信家な彼女らしく似合っていた。機動性を重視したのか。溢れ出るオーラが目に見える。


「調子は万全だよ。ミナミさんと戦うんだ。出来ることはしておかないとね」

「そう。楽しみにしてるわよ」

《さぁ休憩は終わりだ!準決勝第一試合! リク vs ミナミ!サークルへ!》


 部室からマイクセットを持ち出したニシキ先輩はますますテンションを上げていた。

 二人でハイタッチを交わし、お互い別々の位置に着く。これが初の同士討ちだ。




《準決勝は一人ワンムーブ! ワンムーブ四十五秒! 先攻後攻自由! 行くぞぉ! バトル〜スタート!!》


 曲はヒップホップの大定番。ダンスを始める前から耳にしたことがあるほど有名なものだ。テンポは遅め。しかし、ブレイクがやりにくいスピードではない。

 先のバトルと同様。ミナミさんは出ない。これは僕にとって好都合だ。


《おっとぉ、先に出たのはリクー!》


 MCのニシキ先輩の声に会場もテンションを上げる。この勢い。使わせてもらう。

 インディアンで前進しての速攻。フロアに落ちる前に相手に当たるギリギリの位置でステップを見せつけ挑発をした。


《ミナミに対して執拗に挑発を重ねるぅ!》


 そろそろ入るか。僕は身体を逆回転させ、足を折りたたむようにドロップ。遅い曲に合わせるんだ。フットワークも慎重に、シルエットを意識しないと。

 交代のカウントが耳に入り、オリジナルで組み立てたコンビネーションに入った。ズールーの勢いを一気に止めるように、右足を地面に突き立てた。途端に、歓声がサークルを包んだ。


《フリーーズ! 交代!》


 崩れそうな姿勢を何とか正し、素早く自陣に帰った。ミナミさんは僕と同じように目の前までやったが、さらに近く、鼻と鼻が触れ合いそうな距離で魅惑的に笑った。


《ひゅ〜! チューするのかと思ったぜ! ミナミもコンビネーションで応戦だ!》


 ギリギリのラインで連続のポージングを決める。ミナミさん。僕と全く同じ流れで返すつもりだ。前回も思ったが、相手の全てを上塗りするパターン。彼女の性格がよく出ているダンススタイルだ。

 女性ボーカルの歌を身体で表現するようなセクシーな身のこなしで会場を黙らせ、代わりに感嘆の声が上がった。


《スリー、ツー、ワン、終了!》

「もらったわね」

「......まだわからないよ」


 一言だけ交わし、お互いジャッジの判定を待った。なんだ、やけに時間がかかってるな。


《どちらも攻撃的で熱いぜ! その勝敗は! スリー、ツー、ワン、ジャッジ!》


 ニシキ先輩のコールで会場がどよめく。結果は。


「ひ、引き分け?」

「何よそれ......」


 堂守部長が右手、藤巻先輩が左手、そして江川先輩は両手を交差させていた。


《なんと! なんとなんと延長せーん! 》


 会場が一気に沸いた。引き分けなんてあるのか。

 ミナミさんは僕を睨み、僕は負けじと睨み返した。延長戦ということは、もう一戦このまま戦うのだ。


《延長戦のルールはさっきとほぼ同じだが、ワンムーブ無制限だ! 気合い入れろよ! 延長戦バトルスタートォ!!》


 休む間もなく始まった。曲は民族調のハウスだ。

 流石に回復が出来なかった僕は肩で息をしている。少しでも回復する為にミナミさんに合わせてボトルスピンを待とう。

 ふと、ミナミさんの顔を見た。踊っていた時と同じ自信に満ちた表情......しまった!

 彼女の速攻。曲の始まりと同時に仕掛けていたのだ。僕を回復させないためか、それより、先程のミナミさんが作った空気がまだ生きている。畳み掛けるつもりなんだ。

 しかも、さっきと動きが違う!


《お、お、おぉおお! これは『ワック』! ミナミ! いつの間にワックを習得していたんだぁ!!》


 腕を大きく振って流れるようなポージング。さっきの動きより攻撃的で、回転させる腕の動きはロックによく似ている。それより、ミナミさんの腕の出どころがおかしい。


《腕がほぼ真後ろに振られている! なんて肩の柔軟性だ!》


 柔らかい肩を駆使した全方向に打ち出される『鞭』。

 やられた。彼女の奥の手はこれか。

 目の前で繰り出される鋭い攻撃は、交代の合図で動きを止めた。帰り際、僕の顎をクイッと持ち上げ、MCやジャッジに見えないように耳元で囁かれた。


「これで落ちなさい?」


 扇情的なねっとりとした声に、僕はぶるっと震えた。本当に相手を崩すことが上手い人だ。


《さぁリク! 魅せてくれ!》


 言われなくても。僕は飛び出し、立ったまま頭を地面に付けた。腕を組み、身体を捻ってそのまま背中から地面に落とした。


《おぉおおお! ミナミの猛攻にリクもやる気満々だ! マニアックな事しやがる!》


 僕の奥の手の一つ『コインドロップ』。でも、これだけなら返せない。

 その勢いを殺さぬようにストマック、ズールーへと繋げる。もう音が聞こえなくなってきている。体力がなくなる前にフリーズまで持っていくしかない。

 違う。それじゃ勝てない

 腕を入れ替え、フットワークの領域をサークル全体まで広げる。回転率をさらに上昇させる。軋む身体を奥歯で噛み殺し、足を動かし続ける。

 もっと、もっと早く!

 フットワーク基礎の一つ『一歩』から三点倒立へ持ち上げ、僅かに聞こえる大太鼓の音に合わせて肩を前に出した。最後の奥の手『アローバック』でキメた。


《終了! 二人ともよくやった!》


 ニシキ先輩の声援を受け、何とか立ち上がった。もう駄目だ。動けない。

ふらふらと自陣に戻って何度も深呼吸をした。歪む視界でミナミさんをみると、彼女も相当疲弊しているようで、膝に手をついていた。

 また会場がどよめく。各々でどちらが勝った。負けたなどの考察が聞こえてくる。

 わからない。考えることが出来ない僕は、結果を待つしかない。噴き出た汗が床を濡らした。

 ジャッジ達の話し合いが終わり、それを確認したニシキ先輩が再びコールをする。


《これが運命の分かれ目! スリーツーワン、ジャッジ!》


 そんな......ことって。


《おいおいおい。それはいくら何でも酷いぜ。でも決まったことは仕方ねぇ!》


 ジャッジは全員腕を交差させていた。


《さらに延長戦だぁーー!》


 この判断には、会場も二分する。片方は大盛り上がりの歓声を、もう片方は僕らの身を心配する否定の声。

 ニシキ先輩に代わり、堂守部長が前に出た。


「みんな静かに! 過去何年も開催されたこの一回生選抜トーナメント。延長戦をしたことすら記録にない。しかし、この二人の実力はそれほど高い位置で拮抗しているのが事実だ。この優秀な後輩を讃え、次で最後の延長戦をしてもらう。前例はないが、二人が希望するならここで一度休憩を挟むことを許そう。当事者の意見が聞きたい!」


 静まり返った中、堂守部長が僕たちの声を待つ。でも、決まっているだろう。


「冗談じゃありません! 私は今すぐ決着をつけたい!」

「僕も! 望むところです!」


 今までにない豪声の渦が、この体育館に響き渡った。会場のボルテージは最大まで高まり、爆発しそうな心臓がさらにパンプする。


《本当にお前らは馬鹿だなぁ!! じゃあいくぜ! 延長戦ラストバトル! バトルスタートォォオオ!!》




 怒涛の会場を表したかのようなドラムンベースに合わせ、ミナミさんが飛び出す。その顔は自信を超越し、咬み殺さんばかりの殺意の形相だ。腕を限界まで引き絞り、空を裂くようなスイング。キレが増している。

 これだ、この獅子を狩るほどの攻撃性。これがミナミさんの本来のスタイルなんだ。

 目まぐるしい猛攻の手を止めず、そのうえで早過ぎて取りにくいドラムンベースをしっかり聞き分けている。

 僕の目の前で思い切り手を合わせ、クラップ音を残して下がっていった。


《交代!!》


 彼女の背を追って、感覚のない腕と鉛の足を引きずる。

 僕の番か。正直、奥の手は全て出した。あとは、単発を繋げるしかない。

 僕の身体は、前に傾いた。


《リク!》



 ニシキ先輩か。大丈夫です。まだ戦えます。見ていてください。



 倒れる中、色んな人の顔が映った。不思議と、頭は回っていないはずなのに、みんなの表情までよく見える。



 心配そうな顔、マサヤくんなんてもう駆け寄ってきている。ダメだよ。まだ、まだ途中なんだ。



 地面に当たるスレスレ、両手を前に出す。



 まだ。終わってないんだ。



 地面を吸い寄せた手の平に残された力を詰め込み、全力で掴む。身体の中心に意識を集中して一気に持ち上げた。



《ジ、ジョーダン!?!? その体勢からジョーダンだとぉ!!》


 逆立ちまで上げた身体は勢いを止めきれず、キープをほとんど出来なかった。まだだ。攻撃の手を止めるな!

 向こうの空気は砕いた。いま出来るトップロックを吐き捨てるように繰り出し、僕という存在を相手に示す。音の多いドラムンベースは全ての音に反応することは出来ない。ニシキ先輩の言葉を思い出せ。音を選ぶんだ。

 ミナミさんの前に飛んだ僕は、鼻を突き合わせる。汗だくで呼吸の荒い彼女の表情はすでに苦い顔をしている。

 ジャンプからのドロップで姿勢を落とし、フットワークを踏む。あと何秒も踊っていられない。このラッシュに全てを乗せるんだ。

 キックアウトを起点にした前方向へのステップラッシュ。


 あと二秒。


 大きく足を振り上げ、フリーズ入る。今出来るのは、ひたすらやり込んだチェアだけだ。


「ぁ......」


 思わず声が出る。ズレた。いつもより力が入らず、ほとんど背中の位置に肘が刺さった。

 足が浮く。重心は背中の方へ流れる。



 止めろ。止めろ。



 身体が流れぬよう全身に力を入れる。腕が悲鳴を上げ、ピキピキと筋肉が千切れる感覚が脳に響いた。



 止めろ!



 刹那。無音が訪れた。


 コンマ数秒の空白。


 身体が止まった。


 まだ、まだだ!


「あぁあああああああああああああ!!!!」


 音の再来に合わせ、身体を一気に天に持ち上げた。


《し、終ぅぅうう了おぉぉおおお!!》


 持ち上げた身体は地面に叩きつけられ、バトルは終了した。


「リク!」


 タックさんの声。真っ白な中、タックさんとマサヤくん。それにミナミさんもいる。みんな。どうしたんだろう。僕は、大丈夫だよ。


「誰か! 水を持ってこい!」

「............タック......さん」

「喋らなくていい。よくやったな」


タックさんは優しく、僕の頭を撫でた。



 

 そのまましばらくして思考が回復した僕は、マサヤくんの肩を借りて何とか起き上がることが出来た。どうやら熱中症を起こしていたんだと、この時自覚した。


「マサヤくん」

「なんだリク。水、いるのか?」

「ううん。まだ、ジャッジは終わってない?」

「あ、あぁ。いま先輩方が話し合っている。もう結構経ったな」

「そっか」


 ニシキ先輩と目が合う。僕が持ち直した事をジャッジの三人に伝え、話し合いを終えた三人が一斉に頷いた。


《お待たせしました! それじゃあさっきのジャッジを行いまーす!》


 ざわざわと不穏な空気が会場を包む。僕のせいだろう。バトルしただけなのに倒れたりしたから。


《なお、今回は引き分け無しの為、堂守部長から代表して勝敗を決めていただきます。それでは部長。スリー、ツー、ワン、ジャッジ!!》


 堂守部長の右手が勢いよく上がった。そちら側にいたのは......。



《勝者!! リクーー!!!!》



 爆発するような歓声と拍手が生まれた。僕が、僕が勝ったのか?


「やったなリク!! お前の勝ちだ!!」


 マサヤくんが僕を抱え、右手を掴んで上に上げた。


「須藤! ナイスガッツ! 見直したぜ!」

「怪我してないか!? 次も頑張れよ!!」

「陸くん! もう無茶したらダメだよー!」


 先輩方が駆けつけ、代わる代わる僕の背を叩く。痛い。痛いってば。

 ジャッジコーナーから堂守部長やってきて、僕の肩に手を置いた。


「普通なら怪我をした疑いがあるヤツを勝たせるわけにはいかないんだけどな。あれだけのモノを見せられて敗北を背負わせることは出来ない。よくやった。ラストバトルは満場一致の結果だ」

「は、はは。......ありがとう、ございます」

「どうだ、動けるか? 話し合ったんだが、お前の次のバトル。決勝戦は最後に回して、先に二回生以上のトーナメントをするが」

「それで、お願いします。ごめんなさい。ところで、ミナミさんは?」


 勝敗が決まったあと、すぐにミナミさんを見失ってしまった。今は何より、激戦を共にしたミナミさんに会いたかった。

 その質問には、ミキ先輩が答えてくれた。


「コトちゃんね。終わってすぐ出ていっちゃったの。今日は探さないであげてほしいなぁ〜」

「そうですか......」


 ミキ先輩の優しい声が心地いい。しかし、本当にミナミさんはどうしたのだろう。今日がダメなら、明日にでもまた声を掛けよう。


《よっしゃー! なら気を取り直して、準決勝第二試合を始めるぜ! 坂上 vs マサヤ! サークルに来い!》

「リク! 行ってくるぜ! 決勝で会おうな!」

「うん! 頑張って!」




 駆けていくマサヤくんの背中を見送り、僕は体育館の端に腰を下ろした。

 僕が、あのミナミさんに勝ったのか。全然実感が湧かない。

 凄まじいバトルだった。あんなに全力を尽くした事は今までにない。それだけ彼女は強かった。

 延長戦に入ってからの記憶は、彼女の顔ばかりが思い浮かんだ。何度もペースを取られ、負けたのだと何回思ったことか。

 次の相手は誰だろう。マサヤくんが上がってしまったら、どうしようもないな。


 疲れ果てて指一つ動かせない僕は、少しだけ眠ることにした。

 歓声の中でマサヤくんの雄叫びが聞こえた気がするが、後のことは起きてから考えよう。

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