第3話 アイソレーションの壁

「次はアイソレーションだ。みんな、アイソレーションって聞いたことある人はいるか?」


 みんなの頭の上にはてなマークがしっかり見えた。単語だけでは、何をするのか見当もつかない。


「ま、ないよな。単語の意味だけで言うと、 【独立】や【分離】。動かす箇所以外を固定する技術だと思ってくれるといい。例えば首のアイソレーションはこんな感じ」


 堂守部長は向きや角度を一切変えず、顔の位置だけを左右に動かせた。この動きで全員がピンときただろう。


「あ、ヨガのやつだ!」

「そう。このヨガっぽい動きが首のアイソレーション。横だけじゃなく前後にも動かす」

「すごい......なんと言うか......」


 一人の女の子が気まずそうに堂守部長から目をそらした。何を考えているのかわかっているのだろう。堂守部長はハハハと笑った。


「気持ち悪い。だろ? そういうもんだから素直に言っていいぞ」

「かなり気持ち悪いわね」


 いや、素直すぎるよあの子。堂守部長も苦笑いになってるから。


「君は正直者だな。でだ、これを各部分でやる。一般的には首、胸、腰。ジャンルによっては足や他の部分もやるんだ」

「あ、あれ? 全然出来ない」

「そりゃそうさ。日常生活で絶対やらない動きだからな。この動きの目的は、主に身体の可動域を広げるんだ。踊り始めたら、アイソレーションをその中に取り込むことでバリエーションが格段に増えるからみんなよく練習するように」

「はいはいはい!」


さっき気持ち悪いと言っちゃった女の子が勢いよく手を挙げる。言葉にフィルターかけなさそうな子なので、こっちまでヒヤヒヤしてしまうな。


「南さんでいいかな? 何だ?」

「そんな気持ち悪い動きで、ミキさんみたいなセクシーでカッコイイダンスが出来るようになるのかしら?」


 ミキ先輩は先程ジャンル紹介のときに踊ってくれた一人で、ヒップホップのときに踊っていた。背も高くて髪も長いモデルみたいな体型の綺麗な人だ。


「そうだな。ミキ! ちょっと来てくれ!」

「なぁに?」


 フラフラとゆっくり歩いてきたミキ先輩は、踊っている時とは別人のようにおっとりした言葉遣いだ。


「軽い振り付けで踊ってみてくれ」

「え~、音源持ってくるからちょっと待っててね」


 体育館の隅に置かれていた鞄からウォークマンを持ってきて、適当な音楽を流した。

 曲が流れた瞬間、スイッチを入れたように音の世界に入り込んだミキ先輩は、力強くしなやかで、まさに女性らしさを活かした動きを見せる。

 三十秒ほどで踊り終え、お辞儀をする先輩に新入生達は盛大に拍手を送った。


「.........私、ミキさんみたいになりたい!」

「えへへ、ありがとう」

「ミキ。いまの振りを出来るだけアイソレを使わずに踊れるか?」

「ん~、やってみる」


 もう一度同じ振り付けを同じ曲で踊った。なのに、全く別物に見えた。硬いどころではない。重そうで、全体的に動きにくそうで単調に感じた。なんというか、下手になっていた。


「全然違う......」


 南さんは何が起こっているかわからないといった表情でポカンとしていた。


「難しかった~」

「何となくわかってくれたか? ミキのダンスはガールズヒップホップというジャンルになるんだが、これもアイソレーションが武器になるジャンルだ。ミキと同じように踊りたいならしっかり練習するように」

「......はい」


 よほどショックを受けたのか、まだ少し放心状態だった。南さんは感情がそのまま顔に出てしまう人なのかも知れない。


「あの...」

「何かな? 君は...」

「大島 雅也っていいます。アイソレーションが武器にならないジャンルってあるんですか?」


 僕を除いて唯一の男の子だ。少し小柄で、運動が苦手そうな雰囲気を感じる。大島くんと言うのか、覚えておかないと。


「ん~、正確には使える場面が極端に少ないだけなんだが、ブレイクダンスはそうかもしれないな」

「ブレイクダンス......」


 聞きたかった単語が聞こえてきたので、少し緊張してしまう。


「頭で回ったり、アクロバットな動きが多いジャンルだ。この中にもテレビで見たことある人は多いと思う。実際に見てほしいんだが、ウチで優秀なブレイカーは休みがちで全然部活に来ない」

「何でサボってるのに優秀なの?」


 もう復活した南さんは、相変わらずオブラートも何も無い言葉で質問を重ねた。


「サボっているわけじゃない。外部での練習がメインなんだ。ストリートの名前通り本当に駅や公園、あまり使われていない広い道で踊り、大会に出たりしてるからウチの中でもかなりストイックに練習してる真面目なヤツだ」

「へ~」


 そして、興味がなさそうだ。なぜ聞いたんだろう。

 堂守部長は体の前で手を叩いて、仕切り直すように軽く咳払いをした。


「さぁ、それじゃあ音楽に合わせてゆっくりやってみるぞ。さっきも言ったがすぐに出来るもんじゃない。始めは何となくでいいから俺達の真似をするんだ」


 藤巻先輩がスピーカーをいじって、歌のない単調な曲を流した。二人の先輩が前に並んで見本を見せながら、堂守部長はわかりやすいようにカウントを取って一人一人をチェックして回った。


 結局、この日は音取りとアイソレーションだけで終わった。運動不足が祟って、既にふくらはぎと色んな関節が痛い。明日は間違いなく筋肉痛だろう。

 帰り際、新入生達が集まって楽しそうに話しているのを目にしたが、その輪に入る勇気の無かった僕は誰とも話すこともなく家に帰ってしまった。

 こんな事で部活なんて続けられるのだろうかと、はじめの一歩目でつまずきそうになったがおそらく大丈夫だ。


 何たって初めてなのだ。

 こんなに胸が昂っているのは。

 恋をするようなこの感覚はまだ熱を保っている。


 早く、早くブレイクダンスに出会いたい。

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