グリムノーツ ――銀の絆――

@kadohituzi

第1話

「混沌の渦に呑まれし語り部よ。我の言の葉によりて、ここに調律を開始せし」


 鉄と鉄が擦れるような小さな灯が、あっという間に、母体から出たときに感じる暖光に取って代わる。長くて仰々しい文言を唱えたレイナは、この時だけ全てを包み込む聖母のようだ。


「グワぁああああああああああ!!!」


 淡くも強い光に照らされるカオステラー。その叫び声は地面を伝い、木々を揺らして、蝶や鳥が逃げ出していく。叫びは叫びを呼び、どこか遠くで狼であろう遠吠えが風に乗ってやって来る。「もう大丈夫だよ」。そんな優しさを乗せて。


 レイナの力によってカオステラーが浄化されたようだ。体毛も爪も牙も何もかもが不揃いに伸びた狼からカオステラーが抜け出て、すっかり牙が削がれる。エクスは自分の胸に手を当てて、ホッと息を吐いた。


「よっしゃあ! これで一件落着だぜ!」


「お兄、ちょっとはしゃぎ過ぎです。年を考えてください、年を」


 タオの喜ぶ声とシェインの強烈なツッコミで、これで本当に終わったんだと再認識する。


 エクス、レイナ、タオ、シェイン、空白の書を持つ一行は、今日もカオステラー退治に明け暮れていた。今回一行が訪れた場所は三匹のこぶたが登場する想区で、粉々に砕け散ったレンガの家の前で壮絶なバトルを繰り広げていたのだった。


 そこに、三匹のこぶた。


「ホントにありがとうだぶー。こわかったんだぶー。安心して夜も眠れる……おっと、こんな所で眠っちゃったぶー。早く藁のお家に帰らないとぶー」


「兄ちゃん、藁の家はとっくに壊れちゃったぶー」


「そうだぞ兄貴。次はレンガよりももっと強い家を作らないと、また狼に襲われるぶー」


「じゃあ今度は三人で作るぶか?」


「そうするぶー」


「そうするぶー」


 仲睦まじげに会話を繰り広げる三匹は、タオファミリーをすっかり忘れてしまっているようす。


 すかさず、

「ね、ねえ。私たち、もう行くけど」

 レイナが控えめに告げる。


「あ、ごめんだぶー。本当に感謝してるぶー。お礼と言ってはなんだぶけど、これを持って行ってぶー」


 見ると、小さな子ブタのまんまるとした爪の間に、何やら装飾品のようなものが引っかかっている。


「これは僕たちが作った絆のブレスレットだぶー。ヘビさんのレインボー脱皮を中心に、近所のヒツジくんからもらった羊毛と、親友のバッファローの角が二本取り付けられた、正真正銘の魔除けだぶー。これがあればあなたたちの旅もいいものになるんだぶー」


 エクスは長男のこぶたからそれを受け取ると、まじまじと見てみた。なかなか変わった粗品である。だが想いが募っているのは分かる。


「ありがとう。大事にするよ」




 三匹のこぶたとはそれきり別れ、一行はレイナの指南のもと、次の想区に向かう。


「まだ着かないのかー、お嬢。またおなじみの迷子発揮かあ?」


 いつも通り、タオのヤジが入る。


「うるさい! もうすぐ着くわよ、絶対に……たぶん……」


「どっちだよ!」


 一行の笑い声が、霧の中にすっと、消えていく。霧は濃く、酸素は薄い。


 視界の全てを覆う沈黙の霧にいると、エクスはいつも思う。吸い込んでも吸い込んでも呼吸が整わないこの場所は、きっと不明瞭で不確かだから、自分自身の存在も曖昧に消えて、だから胸が苦しくなるのだ。


 ここにいると昔を思い出す。毎日毎日同じ日々を繰り返して、自分が何をなすべきかもよく分からなかった不明確な昔を。ここに居ていいのか、悪いのかさえ判別がつかないまま時間だけが過ぎていく日々。


 でも――。


「あ、街が見えてきたです。次の想区です、お兄、姉御」


「ほら見たことか。ちゃんと謝罪してよね、タオ」


「男に二言はねえ。だから謝らん!」


 また笑い声。


 ――この人たちに出会えたから、僕は変わることができたんだ。


 エクスはみんなのやり取りを一歩後ろで眺めながら、そっと微笑む。そして駆けだし、みんなと肩を並べて歩を合わせる。


 ――次の想区はどんなだろう?


 色々な思いを馳せて、一歩を踏み出す。


 想区に入る刹那、激しい光に包まれた。調律のときレイナから発せられた光とは異なり、その光は身を削がれるような強烈さをもって、一行の身に降りかかった。


 無意識のうちに閉ざされた瞼を開けると、そこは深い森の中だった。蔦が主人である大樹を覆い、さも自分が主役であると言わんばかりに、短い草の生える地面に、人参の生える畑に、そこかしこに蔓延っている。


 エクスは横を確認した。レイナにタオに、シェイン。大丈夫、みんないる。

「さーて、カオステラーちゃんはどこにいらっしゃるのかなー?」


 タオはやる気満々というふうに拳と拳をぶつけて、獲物を見つけてほくそ笑む野獣のような表情を浮かべている。これ以上ない臨戦態勢だ。


「お兄。その前に片づけないといけない連中が。早速ヴィランのおでましですー」


「なんだと?」


 見ると、敵の数はざっと八匹ほど。侵入者を警戒していたのか、図ったように一行の周りを囲み、どこにも逃げ場はない。


「野郎、知恵つけてきやがったな。どうする、お嬢?」


 もちろんやっつけるしかないでしょ、と暗に答えるかのように、導きの栞を三人に渡すレイナ。その笑顔にエクスは身が縮む。もしかしたらタオよりも戦闘がすきなんじゃ……そんな考えが喉元をせり上がってくる。


「大丈夫。絶対に背後を取られないように、仲間を背につけて戦えば問題ないわ」


「背水の陣ってやつですね、姉御」シェインの言葉に「うん、それはちょっと意味が違うけど、そういう心持ちでお願い!」と、即座にレイナは答えた。


 一行は中心に誰か大切な人がいて、その人物を守るかのように敵に対峙する。

 空白の書に導きの栞がセットされ、エクスの心は次第に片隅に追いやられてしまう。無くなっていく意識の中で、エクスはただただ願っていた。


 ――ジャック、みんなを守って。


 エクスの心が完全に消失すると同時に、ヒーローのジャックの心が波が寄せるように強くなっていく。


「あの空に行くまで、僕は諦めない。邪魔する奴は容赦しないよ」


「グルルルルルルルルルルぅウウウウウウ!!」


 子供の影が実体化したかのようなヴィランが、唸り声を上げながらジャックに突進する。喉元を鋭利な手が掠め、ジャックは反射的に頭を引いた。ひやりとして唾をのむ。


 ぴょんとジャンプして後方に戻ると、ハインリヒに変身したタオの背中と向かい合わせになった。


「大丈夫ですか? 無理はしないでください」


「問題ないよ。巨人に比べたらなんてことないさ。一気に叩く!」


 標的は目の前のヴィラン。引きずるように剣を走らせる。地面に剣先のあとがついて、ジャックはそれを確認しながら、ただ足を走らせていた。


 剣が地面から離れると、ヴィランの顎を目掛けて下方から斬撃を繰り出す。一撃。


 振り上げられた剣筋を、また地面を傷つけるよう振り落す。二撃。


「オオオオヴヴヴヴヴヴヴヴヴぉぉぉぉおおおお!」


 脳天を打ち砕かれたヴィランは、たまらず地面に突っ伏した。もう手も足も出るまい。あとは上からちょっと切り付けるだけで、ヴィランは跡形もなく消えた。


 続けて後方に目をやる。他のメンバーも一匹ずつ片づけており、ヴィランも残すところ、あと四匹。戦闘能力だけで言えば、圧倒的にこちらの方に分がある。


 終わってみると、大した戦闘ではなかったようだ。


 ジャックから元の姿に戻ると、エクスはいの一番にメンバーの生存を確認する。大丈夫、みんないる。そこまでやって、初めて彼にとっての戦いが終わるのだ。


「はぁー。もう体がくったくた。ちょっと休んでから出発しましょう」


 レイナの意見に反対する者はいなかった。


「おや、お兄。今日はやけに素直ですねえ。いつもなら『早くカオステラー倒しに行くぞ』って有無も言わせないのに……ってあれ、まだヒーローのまんま」


 何故かまだ栞を外していないらしく、鎧を纏ったハインリヒの姿のまま立ち尽くしているタオ。顔はぼーっとしている。


 エクスは「ねえ、どうしたの、タオ?」と尋ねた。シェインも心配そうに「お兄?」と、小首を傾げている。


 何やら様子が変だ。いつもなら戦闘が終わったと同時に空白の書から導きの栞がはがれ、元の姿に戻るはずだが、タオの変身だけが一向に解かれない。


「王子、王子を探さねば! どこにおられるのですか、王子?」


 挙句の果て、王子を探しにどこかへ行こうとしてしまう。


「ちょっと、どうしたのよ、タオ。空白の書借りるわよ」


 タオの懐から空白の書を抜き出したレイナは驚愕の表情を浮かべている。何が起きているか分からないエクスとシェインの二人は小首を傾げるしかない。


「栞が外せないの。一体これはどういうこと?」


 嘘ですよね、と真っ先に駆け出したのはシェインだった。続けてエクスもレイナの隣に陣取る。空白の書を見下ろす三人。


「ホントだ。ぜんっぜん剥がれない」


 ちょっと力を入れると破けてしまいそうだ。エクスが無理しようとすると」「ダメ!」とレイナが制止する。「栞が破れたらタオがどうなるか分からない。もしかしたらタオの精神が一生元に戻らない可能性もあるから」


「でも、じゃあどうすれば……」


 三人は困りに困り果てる。シェインの「火炎放射器で空白の書ごと燃やし尽くしちゃうとか」という無慈悲な意見はもちろんのごとく拒否され、エクスの「時間がたてばどうにかなるんじゃないかな」という無責任極まりない意見も、「長時間ヒーローの精神に晒されたらどうなるか分からない」と、レイナから否定され、いよいよもって詰んでしまった。


 そして、「王子を探さねば」と連呼し続けているハインリヒを抑えるのも限界に来ていた。


 その時――。


「やあやあ、皆さん、何やらお困りのようですなあ」


 九十度腰の曲がった老婆が一行の目前に現れた。洋服とは言い難い、紫色の布をただ羽織っているだけの老婆だ。顔面には目と鼻と口以外に皺しかなく、刻まれた刻印が年かさを主張している。


「どれどれ、ちょっと空白の書を見せてくれんかの? 何かお役に立てるかもしれん」


「空白の書をご存知なんですか?」エクスが尋ねる。


「ええ、ええ。これだけ長生きしとれば、知らないことのほうが少なくなってしもうての」


「ほほー。じゃあちょっくら見てもらいましょうか」


 突然現れた助け舟に、シェインはすぐに乗ろうとする。その腕を、レイナが引っ張った。


「待って。素性の知れない人に、大事な空白の書を手渡すのは、危ない気が――」


「まあ、そうつれないこと、言いなさんなって」


 老婆はレイナから空白の書を奪い取ると、しげしげと眺めはじめた。


「これが空白の書か。まがまがしくも神々しい。力漲る代物じゃの」


「ちょっと、返して!」


 レイナが腕を伸ばして本を取り返そうとすると、老婆はそれをひょいとかわす。


「そう生き急ぎなさんな。人生はまだまだ長く、遠く険しいものじゃ。気長に、遠回りするくらいがちょうどええ」


「そんなこと聞いてない! 早く返して!」


「レイナ、そんなに怒らないで」エクスが制する。「ねえおばあさん、僕たちにとってそれは大切なものなんだ。だからさ、ちょっと返してくれないかな」


「私にとっても必要なものなんじゃよ」


 老婆は有無も言わせない。瞳の色がより一層くすんでいく。もはや生者のそれとは言い難かった。


「まさか、あなた、カオステラーじゃありませんか?」


 シェインの一言がきっかけになったのか、老婆は体内からヘドロのようなおぞましいものを吐き出した。それが老婆の体を包み込んで、一際強い闇を生み出す。答えはイエスだ。


「ハインリヒ、お前さんが助け出したい王子は、この想区の近くにいる。私なら王子の場所が分かるが、どうするかの? 一緒についてくるか?」


 ハッと息を呑むのが聞こえる。それがハインリヒのものであることは言わずもがなだった。


「それは誠ですか? 王子の居場所を知っておられるのか?」体を前のめりにさせる。


「ええ、ええ、私は嘘はつかんよ」


 ひゅるると冷たい風が吹く。その風にそそのかされるように木々が、ざわめく。真っ黒い闇を瞳に宿したカラスが一羽、鳴いた。


 ――まずい!


「だめだよ、タオ!」


 エクスの叫びに近い呼び止めは、タオの背中には何の効力も持たなかった。彼は振り返りもせず、老婆の元へと歩いていく。


「お兄、お願いです。正気に戻って!」


 ハインリヒはくるりと翻って、三人に相対した。老婆を守るように剣を構える。


「私はこの人と共に行く。お三方には世話になり、感謝してもしきれない。今後の旅のご武運を陰ながら祈っている」


「エクス、シェイン。もうやるしかないわ」


 レイナの手が空白の書に伸びて、エクスとシェインもそれに倣う。


「了解!」


「あいあいさー」


 ハインリヒは「残念だ」と言わんばかりに首を横に振った。


「私はあなたたちと戦いたくはない。だが王子の救出を邪魔する者には容赦はしない! 覚悟はいいのだな」


「こちらは三、あなたたちは二、こちらに分があるのは確実だわ」


 レイナの発言に、

「闘いは数ではない、心の強さだ」

 ハインリヒが三人のもとへ駆け出す。三人もハインリヒに向かう。ちょうど中央に大事な何かがあって、それを競って取り合うかのように、一目散に全力疾走する。


 一番初めに剣を交わせたのは、ハインリヒとジャックだった。目の前に線香花火程度の火花と、手にはかじかんだような痺れが生じている。だが押し負けることはなく、一進一退のにらみ合いが続く。


 続いて到着したのは、シェリーに変身したレイナ。本を広げて魔法を読み上げると、そこに光を伴った巨大な力が発生する。


 ハインリヒは寸でのところでジャックとの一進一退の攻防から手を引き、後方にジャンプする。鎧を着ているのにも関わらずその体は身軽で、レイナの攻撃も見事にかわした。


 そこを狙わんとばかりに、ラーラの姿に変身したシェインが、後方支援として放った桜色の閃光。


 さすがのハインリヒもこれには対応できないだろうと思われたが、彼の体は咄嗟に左に動いて、これにも見事に答えて見せる。


「ぐぬぬ」


 だが右腕を掠ったらしく、初めて彼の顔が苦悶の表情を浮かべる。


「さすがの連係プレー。長年共に戦ってきただけのことはある」

 明らかな戦闘能力の差があった。いくらハインリヒとは言えど、この三人を相手にするのは無理がある。


「どれ、私も参戦するかの」


 老婆が重い腰を持ち上げる。これは比喩ではなく、本当に腰を持ち上げた。それまで九十度曲がっていた腰がピンと伸び、推定身長一八〇近くの巨体が目前を覆う。


 手には広辞苑ほどの分厚い書物。表紙はびりびりに破れ、寿命はとっくに過ぎてしまっている様相だった。


 老婆が書物に書かれた何事かを発すると、再びヘドロのような闇が飛び出し、それがハインリヒの体を包み込んでいく。


「どうじゃ? 力が漲ってくるじゃろう」


 自分のあずかり知らぬうちに、両腕が赤い血で濡れていた。そんなとき普通の人間であれば、自分の両腕を隅から隅まで凝視するだろう。


 今のハインリヒもまさにそれだった。腕を裏返しながら、自分の身に起きた異常をそれで確認できると言わんばかりに、凝視している。


 そして次の瞬間には、ハインリヒはジャックの目の前にいた。あまりのスピードにジャックは反応することができず、みぞおちに入れられた刃も、当たってから初めて痛みが生じてくるほどだった。


「ジャック!」


 シェリーとラーラ、両者の声が絡み合って、場内に大きく響いた。


「案ずるな。みねうちだ」


 ジャックの空白の書からはらりと導きの栞が落ちて、あどけない表情のエクスに

取って代わる。 


 ハインリヒは完全に自分の体の使い方を心得ていた。それは決して、老婆の力だけが成せる代物でもない。もしかすると、長時間ハイリンヒの精神と共鳴しているため、だんだんとタオとのシンクロ率も高まっているのかもしれない。エクスは地べたに横たわりながら、そんなことを考えていた。


「これ以上私の邪魔をすると言うなら、みねうちだけでは済まないぞ。大人しく引き下がるんだな」


 忠告は、シェリーの放った光で、拒絶される。


「あなたたちも理解が足りないな」


 ウッという吐息がエクスの後方でして、シェリーが、続いてラーラが地べたに突っ伏する。圧倒的すぎる速さでハインリヒが、二人の腹部を殴打したのだ。


「王子を助けるために行動は選ばない。申し訳ないが、私の所業を許してくれ」


「では、行こうかの」


 巨大な闇を蓄えた老婆の後ろに、ハイリンヒはいる。老婆が歩き出すと、ハインリヒも歩き出す。巨人から小人に変身するみたいに、だんだんと、その背中が小さくなっていく。


「お願いお兄! 起きて!」


 変身の解けたシェインの呼び止めで、ハイリンヒの足が止まることはない。その全てが、アンサーだった。

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