公募 プロット

 うだつの上がらない健康食品販売の営業マン(野田卓巳)ひょんなことから顧客の隠し持っていた現金に手を着けてしまう。だが、見付からない。それどころかその金で以前の職場で顔見知りだった鳶工の少年から紹介された恐喝(パチンコ屋でわざと置き引きをさせる)の手伝いをし、何倍にも膨れ上がる。味を絞めた野田は次々に(会社の上司、息子が通う進学校の教頭)恐喝の旨味に嵌まっていく。当然、少年の後ろ楯の人間(ヤクザではない半グレ)から睨まれて次第に追い込まれる(儲けた金を吸い上げられる)。だが、転がりだした歯車は止まらない。エスカレートする恐喝と暴行(会社経営者への)。仕事を棄てて家族を棄てて辿り着く絶望と隣り合わせの快楽。普通の男がドン底へと転落していくノワール。


 ①

 11月。空の透明度が数ヵ月前と比べて確実に落ちている。それでも夏と変わらない陽気さで助手席に座る陣内美憂は部長の悪口を喋り続けている。窓を開け広げた車内には上空を飛んでいるヘリコプターの音が鮮明さを保ったまま滑り込んでくる。野田卓巳は空気を斬るプロペラのその音を、マシンガンのようだと考えながら目の前の海を眺めて小さく溜め息を吐いた。

 今月も最低の実績しか上げられていない自分。美憂は悪い人間ではない。だからこそ健康食品という怪しげな印象を伴う訪問販売でもそこそこの実績を上げられるのだろうし自分との同行も快く引き受ける。それでも販売実績の数割りが給料として支払われる仕組みの営業職。うだつの上がらない途中入社の新人といつまでも同行教育を行うのは自分の身入りを減らすことはあっても、その逆はあり得ない。饒舌に喋る美憂に申し訳なさを感じて、気付かれないように野田はもう一度溜め息を吐いた。

「野田くん。気分も乗ってきたし次行こうか? 次は新戸塗装の奥さん。あの人、痩せるためだったら幾らでも突っ込むから」

「はい」

 野田は答えて車のエンジンを掛ける。新戸塗装は、ここから十数分の場所にある。社長と従業員全てを合わせても十人にも充たない新築工事やリフォーム工事で建造物の外壁に塗装するのが主な仕事の小さな塗装屋だ。その新居塗装の専務兼、新居社長の妻が今日のターゲット。新居静香、四十三歳。三人の子供の母親で体重八十キロオーバーと貫禄ある体躯だが、本人は明確な目標もなく漠然と痩せたいと願うお人好しだ。セールスマンに取って漠然と何かを欲しがる人種は神に近い。明確な判断材料を持たないと云うことは勧められたモノを際限無く欲しがると云うことで、例えば車の販売店であれば。百万以内の白のワゴン車、中古であっても走行距離が比較的短い車が欲しいと現金を握り締めて来た客に新車を買わせるのは困難だ。反面、車が欲しいと何気なく来店した客に新車を選ばせるのは容易い。付け加えるなら何かを売りたいなら、相手が欲しがっても簡単には売らないことだ。容易に手に入らないと理解できれば客は喜んで大金を差し出す。人は、どんなモノであろうと入手困難なものに興味を示す。後は代金を吊り上げるタイミングさえ理解できれば優秀な売り子になれる。だが、そのタイミングが難しい。野田は右手でハンドルを操作しながら額に浮き出し始めた汗を反対の手の甲で拭った。営業職のノウハウは一通り知識としては頭に叩き込まれている。だが、それを実行に移すのは難しい。目の前の客は百人百様。その場その場で反応が違う。

「野田くん。大丈夫?」

 美憂が前屈みに覗き込むので野田はパワーウィンドを少し下げて「暑いのかな」と呟くように答えた。

「野田くんはね。少し勘違いしてるよ」

 美憂の言葉に野田はハンドルを握り締める。

「野田くんは、健康食品なんてインチキだと思ってるでしょ?」

「いえ、そんなことは」

「嘘。態度で分かるよ。でも、それは間違い。確かに効能さえ唱えない健康食品は高価で怪しい食品以外のなにものでも無いのかも知れないけど。買いたいって人が沢山いるのは事実でしょ?」

「はい」

「欲しい人に欲しがる金額で欲しがる量だけ売ってあげるのが私達の仕事。欲しがる理由なんて人それぞれだし、野田くんがいくら考えても正しい答えなんてないんだから。それに……」

「それに?」

 美憂の思わせ振りな言葉に思わず聞き返して野田は美憂を見詰めた。

「それに、痩せるためとか、健康になるためとか、本当に信じてる人なんて殆んど居ないと私は思う。皆、安心して楽したいだけなのよ。階段よりエレベーターやエスカレーター? みたいな? 深くは悩まないけど少し楽したい。みたいな? とにかく、私達が心配しないといけないのはお客の現状やその後じゃなくて財布の中身」

「なんとなく分かります」

「なんとなくね……それじゃ、私が二万円でやらしてあげると言ったら?」

「え?」

 美憂の唐突な質問に思わず聞き返して野田はハンドルを握り直した。同行を始めてから三ヶ月。美憂の口からその手の話が出たのは初めてだった。

「その反応だと、二万は安いと感じたのね」

 図星だった。訪問販売の仕事は日中殆んど社外で活動する。その時間全てを同行者の異性と共有しているのだ。正直、美憂にその手の魅力を全く感じていないと言えば嘘になる。

「でも、二万は無いな」

 美憂は、ひとりごちるように呟いて、通りの端に見えてきた新居塗装を指差す。

「野田くんが、今日一人でセット販売出来たら考えても良いけどね」

 言いながら自分を覗き込む美憂の視線を感じたが、野田は正面を向いたまま押し黙った。



 結果は惨敗。新居静香は野田が勧めるダイエット補助食品に見向きもしなかった。代わりに、話題を変えた美憂がチラリと発した記憶力を高める商品に興味を示し、次女の高校入試の為にと三十萬円のセット購入をアッサリと決めた。

「今日は、手元にお金があるから支払いは直ぐに済ませるわ」

 新居静香が商談を行っていた席を立つ。

「頭が良くなる筈ないのにね」

 美憂が独り言のように呟く。三方を目隠しで覆っただけの入り口横にある打ち合わせの為のスペース。空間は繋がっていて全てが筒抜けに聞こえるような気がして周りを見渡す。実際に、支払い金額を取りに行った新居静香が奥の金庫を操作する音まで聞こえる。野田は美憂の声が、そこまで届かないことを祈ったが、それは杞憂に終わった。

 支払いを終えた新居静香は美憂と来月の休日にランチを共にする約束を交わした。男女問わす美憂程の美貌の持ち主と共に行動する高揚感は少なくない。野田は話術も美貌もない自分に苦い思いを噛み締めて二人の会話に意味もなく頷き続けた。

「そうだ、美憂さん。娘の梨花と少し話してくれない? 最近、色々溜まってるみたいなのよ。以前、美憂さんと話した時に凄く喜んでたの。私には話せないことも貴女みたいな素敵な人には話せるかも知れないし、お願い」

「私なんかで良ければ何時間でも良いですよ」

 身を乗り出して懇願する新居静香に、笑顔で速答する美憂。自分が完全に蚊帳の外に置かれているのを感じて野田は身震いするほどの無力さを覚えた。

「陣内さんなら、ファッションから恋愛までなんでも完璧にアドバイスしてくれますよ」

 屈辱に耐えながら微笑む野田に全く興味を示さず美憂だけが奥の自宅に通ずる扉に案内される。

「野田くん。三十分くらいだから」

「僕はここで待ってますから、ゆっくりと」

 言った野田に手をあげて背中で答える美憂。目的を持たない上客の弱味をこの機会にかき集めるに違いなかった。

 二人が消えてから時間の経過が酷く緩慢なものに感じられる。野田はスマートフォンを取り出して時間を潰すためだけに意味の無い検索を続けた。

 どのくらいの時間が経ったのだろう。野田は着信の為に不意に手の中で震えたスマートフォンに驚いて慌て電話に出た。

「はい、野田で……」

「チッス。俺ですけど、良いっすか?」

 名乗る間もなく相手が話し出す。直ぐに以前勤めていた建設会社の佐藤亮と言う下請け職人だと分かった。野田が肩入れして仕事を回してやる代わりに、それなりの接待やバックマージンを差し出す若いのに要領の良い男だった。反射的に腕時計を見詰めて、美憂達が消えてから一時間近くなることに気付く。既に自分のことなど忘れているに違いない。野田は憂鬱な気分を声に出さぬように優しい口調で訊ねた。

「久し振りだね。亮くんは、仕事が終わったとこ?」

「です。今から賓崎さんのところに行くんで、野田さん行かないかな?って思って」

 焦っているようには感じられないが佐藤は元々短気で落ち着きのない性格だ。それが原因で幾度となく元請け会社とのトラブルも起こしている。だが、濱崎とは聞いたこともない名前だ。野田は奥まで声が届かないようにスマホを抱え込むようにして聞き返した。

「賓崎さん?」

「あれ? 野田さん知らなかった? 坂崎興業の人ですよ」

 坂崎興業と聞いて納得した。野田が退社を決めてから契約した新しい組の職人に間違いない。美憂達が消えた扉をもう一度見てから話を続けた。

「その賓崎さんが、どうしたの?」

「そりゃないわ。野田さんが良い条件の仕事があればなんでもやるからお願いって必死に頼んだから俺、口聞いたんですよ?」

 次の仕事のあてもなく退社を決めた自分。手当たり次第に何か旨い話がないか声を掛けていた自分。野田は蘇った記憶に苦いものを感じながら、見えない相手に頷く。

「それにしても、辞めてから何ヵ月だよ。今は一応、仕事も見付かって頑張ってるんだよね」

 言ってから野田は虚しくなった。以前の仕事は、仮にも課長と呼ばれる地位に属していた。ある程度の決定権と部下を持ち、ある程度の旨い汁を吸った。今の自分には何も無い。

「野田さんみたいな人にしか出来ない良い話なんですよ。投資した金の三倍は確実っすよ」

「なにそれ、マルチかなにか?」

「それはまだ言えないんですけど、とりあえず後で五万くらい持ってきてよ」

 怪しすぎる誘い文句。野田は全く信じることなど出来なくて声を出して笑った。

「五万を三倍だと十五万円だけど? そんなに貰えるの?」

「笑ってるけど、マジだから」

 一瞬で低くなった声。佐藤が穏やかな心中で無いことを物語っている。野田はその場を取り繕うように答えた。

「分かったよ。マルチでなければ打ち子か何かだろ? それならそれでも良いんだけど、せっかく亮くんが口聞いてくれたなら顔だけでも出さないとマズいよね。五万は無理だけど二万くらいなら財布に入ってるから、それで良いだろ? ここが終わったら行くよ。で、どこに行けば良いの?」

 言いながら今月の生活費を頭の中ではじく。言葉通り、二万くらいならパチンコで負けたと思えばなんとかなる金額だ。それにパチンコの打ち子なら数回やったことがある。指定された店とパチンコ台に座って遊戯するだけで、後はパチンコ台に仕掛けられたトラップが勝手に大当たりを連発させて出玉を稼ぐ。換金した金の何割かをパチンコ台に仕掛けを仕込んだ連中に渡す。ただそれだけの事だ。どんな方法でトラップが仕込まれるのかは知らないが知る必要もないし店側の内通者がいなければ成立する筈もない。最終的にはパチンコ屋のオーナーが損をするだけで他の関係者はマイナスにはならない。旨い汁は、いつでもどこかに必ず染み渡っている。要はその汁の吸い方を知っているかどうかだけだ。





 







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