第66話 涙溢るる…その訳は

 奈美…………。

 ありがとう。

 彼女の中に、僕は残っている。

 そう思ってくれている。

 実際は、記憶なんてないはずだ。

 それでも、僕を感じようとしてくれている、そんな気がした。


『私の中に、アナタは残っています。それは形にならないけど…確かにその欠片に指先は触れるのです。アナタを知らない私でも、それでもアナタは私に逢ってくれますか?』


 しかし…逢ってどうしたい?

 記憶の無い奈美を抱きしめるのかい?

 それとも、昔話でもするつもり?


 自問自答が続いてる。


 逢いたい…逢うべきなのだろうか…頭の中で想いが行ったり…来たり…。

 振り子のようにコクン…コクンと揺れる。


 どのくらいの時間、そうしていただろう…短いようであり、永遠に続く様にも思えた。

 コクン…コクン…コクン…コクン…コクン…。

 振り子を止めたのは、奈美の思い出。

 消した奈美の思い出じゃない…そうじゃなかった。

 僕の頭に過ったのは、駅でウロウロして時計を落とした奈美…美術館でたこ焼きのタコを残した奈美…萎れかけた花を配っていた奈美…。

 僕が見続けていた今の奈美…奈美…奈美…。


 昔の奈美、刻を戻す前の奈美じゃなかった…今の、新しい生活を始めた奈美ばかり…。

 奈美の過去を消した僕が一番…いや唯一、奈美の過去に拘っていた。

 怖かったんだ…僕なんかが奈美に愛されるはずはないと。

 奈美が病気でなければ、僕なんか相手にしなかったはずだと、そう思い込んでいた。

 ただの偶然…病気が繋いだ愛。

 だから病気でなければ、愛は産まれない。

 そう思っていた。

 僕には他人から愛される資格なんてない…愛されるはずがない…それは今もそう思っている。

 だが、それを、その現実を奈美に付きつけられることを何よりも恐れている。


 僕は…臆病なんだ。


 簡単なことだった…。

 逢えばいいんだ。


 奈美の記憶が戻らなくてもいい。

 いや…戻らないだろう…それでいい。

 もう一度逢って…それで、僕を愛してくれるなら…。

 いや、たとえ愛してくれなくても、僕の想いは伝えるべきだ。

 すべて話そう。

 僕のこと…奈美が失った半年間…そして僕の想い。


 愛してくれなくていい…いや憎んでくれてもいい…僕が奈美の記憶を消したんだから…。

 僕のために。

 奈美のためじゃない。

 僕のためにだ…奈美が望んだわけじゃない。

 その選択権を与えなかったのだから。


 そして…奈美の前から姿を消そう。

 愛してくれ…もう一度、愛してくれ…それは言えない。

 無い過去に、すがり付くようなマネはしない、それは奈美に僕の想いを押し付けることだから。

 それだけはしたくない。


 僕を裁くのは…神でも悪魔でもない。

 僕が愛した…僕のイヴ……奈美だ…。


 涙は僕の中に在る…溢れるほどに…僕の心を満たし…悲しみを零す。

 墜ちた涙は…悲しみは…何処に行くのだろう。


 僕の悲しみは…涙は…誰にも救えない…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る