勇者死す。 SIDE:ベラナベル

井戸

日常編

プロローグ

亡霊は魔王の娘に忠誠を誓う

 なだらかに打ち付ける波音が、岩に囲まれた洞窟に心地よく反響する。清美な潮の香りが立ち込めていることだろう。血に濡れた鎧を乾かすには向かないが。それと、我に嗅覚はないのだが。


「バルドス。お勤めご苦労じゃ」


 我の名を呼ぶのは、幼子のようなシルエットを持つ女性の魔物だ。

 二年前に人間の町をいくつも壊滅へと追い込んだ、魔王ギール様。の直近の娘にあたる、ベラナベル様であらせられる。


 ぺた、ぺたと、岩場を裸足で歩く足音に合わせ、しゃりん、しゃりんとベラナベル様の服――棒状の端切れを並べて縫い合わせただけの、服としての役目を最低限のみ果たしている布きれ――につけた鈴の音が鳴る。


「ベラナベル様、『彼ら』はもうよいのですか?」

「とうに夢の中じゃ。どのわらべも随分と聞き分けがよい。優秀な子らじゃ。優しく、強い親の手で育てられたのじゃろうな。まったく、嘆かわしいことよ」


 ベラナベル様は訳あって、青き入り江と呼ばれるこの場所で質素な生活をしておられる。

 我の任務は、『彼ら』を、そしてベラナベル様をお守りすること。


「『彼ら』はベラナベル様に懐いているのでしょう。実の母親のように」

「ふっ。おぬしに気遣われずとも、初めから落ち込んでなどおらぬわ」

「我は本心を述べたまでです」

「そういうことにしておいてやろう」


 ベラナベル様が洞窟の出口へ歩いていく。青き入り江は海に面した洞窟であるが、陸路と通ずる道もある。ぺた、ぺた、しゃりん、しゃりんと、ベラナベル様はその道へ向かう。


「鈴は外されないのですか?」

「わらわも女じゃ。少しくらい、洒落の効いた装飾品を身に着けておかねばな」

「しかし――」

「音が心配か? 安心せい。魔王の娘たるわらわが本気を出せば、どんな魔物が、あるいは人間が来ようとも、一撃で沈めてやろうぞ」


 幼子のような容姿のベラナベル様が、童顔に気丈な笑みを浮かべられる。相変わらず、美しい。

 潮風に晒されて痛んだ髪を揺らしながら、ベラナベル様は歩く。


「朝には戻る。わらわの留守中、童たちのことは任せたぞ」

「御意」


 ベラナベル様は洞窟の奥へ消える。

 これが我々の日常だ。

 魔王の娘ベラナベル様と、今は亡き魔王様にかつて仕えていた我、そして『彼ら』の、かけがえのない日常だ。

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