享楽

葱丞

第1話 手。愛した人の左手。

ふと目についた彼の手が気になった。


正確に言えば、肘から指の先まで。


とある小説で、手を切り取って集めるという異常者の話があった。


今の私の感覚はその異常者に近いかもしれないと思った。


別段その異常者のように手を切り取って集めようなどとは思わない。


寧ろ、感覚は近いが正反対の事を思う。


その異常者は手にしか生命を感じない。


しかし私は、逆にその手がまるで彼のモノとは別の、死んだ手のように思えた。


私自身の手を見ていても、偶に同じような事を思う。


この手はもしかしたら自分の手では無いのかもしれないと…


そうなってくると、世の中の人間全ての手がそうやって見えてくる。


もし人が亡くなる時、私は手から先に動かなくなって亡くなるのだと思っている。


意外と脳というのは、死を迎えてもしばらくは機能している…と、どこかで聞いた気がする。


やはり、人間というのは手から先に死ぬのだと勝手に解釈した。


死はとても身近な所にある。


ただ、生と死は微妙な距離感だけれども…


私は彼に言った。



『もし貴方が死んだら、私にその手をくれない?』



彼は困ったように笑みを浮かべている。



『私、貴方の手はすごく魅力的だと思うの。でもね、生きている温かい手では駄目なのよ…』

『じゃあ、君が僕よりも先に逝ってしまったら、僕に君の手をくれないか?』

『えぇ、勿論いいわ』

『やはり、僕達は似た者同士だね』

『何故?』

『僕も君と同じさ。ただ、少し違うけど…』

『と、言うと?』

『僕の場合は手に生命を感じる、まるであの本の異常者のように…』



彼は少し哀しげに微笑んだ。


私は見ないフリをして言った。



『私達…いえ、貴方は異常者なんかじゃないわ。ただ少し人と違うだけ。誰にでも人と違うところは沢山ある。何なら、今生きている私の手を貴方にあげてもいい…』

『いいのか…?』

『えぇ…でも両の手が無くなると不便だから左手だけね』



私が冗談混じりに笑いながら言うと、彼は真剣な顔になって私を見つめる。



『本当にいいんだな…?』



そう問い掛ける彼の表情に少し驚きながらも、私は頷いた。


部屋の中に沈黙が流れる。


彼は黙って私を見ていたかと思うと、いきなり立ち上がって何処かに消えた。


再び彼が戻ってくるまでに然程時間はかからなかった。


ただ、彼の手には私の手を切断する為の刃物が光っていた。



『もし、僕が欲望を抑え切れなくなった時の為に色々と用意しておいた。君にはこの薬を飲んで貰いたい』



そう言って差し出されたのは水と白い錠剤が3錠。



『もしそれを飲んでも痛みを感じるようなら僕は今日はやめておく。その薬は、飲み過ぎると死んでしまうから』



彼は、私を殺さずに手だけを求めていた。


私は何故かそんな彼に対して性的な興奮を感じた。


彼も私と同じように興奮しているらしい。


やはり私達は似た者同士なのだ。


他の人とは相容れない趣味だとしても、私達には関係の無いことだった。



『多少痛くてもいい、貴方の好きにして…私、今この瞬間に凄くドキドキして興奮してる』

『僕もだ』

『私の手が私から切り離された時、もしかすると今まで以上のエクスタシーを感じるかもしれない…』



そして私は素直に渡された薬を喉に流し込んだ。


数分経って効果が現れてきたのか、淡い眠気に襲われた。


彼の興奮して少し虚ろになった目には私の手しか映っていない。



『いいかい…?』



私は無言で頷くと、ゆっくりと瞼を閉じた。


次の瞬間、今迄に味わったことの無い痛みが私の身体を走った。


それと同時に感じる快感…


彼は恍惚した表情で此方を見ている。


無事に私の手が私から切り離された瞬間だった。



『僕の欲望がこんな形で叶うとは思ってもみなかった…』



少し興奮気味に彼が言うと、私は微笑んで見せた。


痛みと快楽でうまく喋る事が出来ない。


私は、血液が流れているのを見つめたまま睡魔に襲われた。


きっと、いきなり多量の血液が出た衝撃だろうと思う。


彼が私の事を手当てしながら言った。



『君の手は素晴らしい。今迄に出逢ったどんな手よりも…こんな衝動にかられたのは初めてですごく興奮した。右手は君が亡くなるまでとっておくよ』



そう微笑みながら言うと、彼は私を抱き締めてくれた。


そのままベッドに寝かされると、抱き合ったままキスをした。



『起きたら病院に行こう。理由なんて幾らでも誤魔化せる』



私は頷きながら目を閉じた。





end.

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