32

「あー、ティアナさん行ってしまいましたよ? いいんですか、ヴァレッドさん」

「――っ!」

 ヴァレッドはすぐ耳元でしたのんびりとした声に思わず飛び上がった。そして、すぐさま振り向き、身を寄せていたジスと距離をとる。ジスは紙の束を抱えたままゆったりとした笑顔をヴァレットに向けていた。

「なーんか、ちょっとタイミング悪かったみたいですねぇ。すいません、別に俺は夫婦関係を邪魔したかったわけじゃないんですよ?」

「何か用か?」

 剣呑な顔のままヴァレッドがそう聞けば、ジスはその笑顔のまま彼に一歩詰め寄った。

「いや、別に用事があるというわけではないんですが、一応誤解は解いておこうと思いまして。ティアナさんは俺にとっても大事な人なんでね。あ、変な意味はないんで、あしからず」

 笑顔は浮かべているが、その表情はどうにも読めない。ヴァレッドはまるで警戒をするかのように身を固くした。そんな彼とは対照的にジスはへらへらとした笑みを浮かべている。

「ところで、一部始終見ていたんですが、どうして贈り物を受け取らなかったんですか?」

「……お前には関係ないだろう」

「まぁ、大体予想はついていますけどね。あれ、最初から俺に贈ろうとした物じゃないですよ? ここからじゃ俺たちの声も聞こえないし、俺に贈ろうとして受け取らなかった物をヴァレッドさんに回したように見えたでしょうが、違いますからね」

「…………」

 ジスの言葉にヴァレッドは眉を寄せて少し考え事をするように地面を見つめた。そんなヴァレッドに追い打ちを掛けるようにジスは笑う。

「そりゃ新婚旅行中に奥さんが他の男楽しそうにしていたら腹が立つのはわかるんですが、あの言い方はないと思いますよー? 本当に男の嫉妬って醜いですよねぇ。ま、人のことは言えないんですが」

「……なんで俺たちが新婚旅行中だと知っているんだ?」

「ありゃ。口がすべちゃったなぁ。まぁ、ティアナさんから聞いたということにしておいてください」

 その言い方からして、ティアナがジスに言ったわけではないのだろう。ヴァレッドはジスを先ほどとは違う意味で睨みつけた。ジスはその視線にわざとらしく身震いをしてみせる。

「お前は何者だ?」

「俺が何者なのかより、ティアナさんとの関係修復の方が急務じゃないですか? ほら、公爵様が本気で調べたら俺の身元なんてすぐにバレますし」

 ヴァレッドのことをわざと公爵だと言ってのけて、ジスはへらりと笑う。そしてそのままくるりと踵を返した。

「贈り物、ちゃんと中身確かめてあげてくださいねぇ。それではお幸せに!」

 そう言って、ジスは片手を振って東棟の方へ消えていった。


◆◇◆


 それから二時間以上、ヴァレッドはティアナの姿を探して宿の中を探し回っていた。外出した可能性も考えてみたが、探している途中でティアナの専属護衛についているヒルデに会ったので、その可能性はないと彼は判断した。

 二人の部屋にサロン、厨房に図書室、ディナールームをからヒルデの部屋まで、考え得る限り、全ての場所を調べたがヴァレッドがティアナを見つけることは叶わなかった。

 そして、ヴァレッドはとうとうカロルの部屋に行き着いた。正直、もうここ以外探してないところはない、というところまで追い詰められている。

 ヴァレッドが部屋を視界に入れたその時、カロルがちょうど部屋から出てくるところだった。

 ヴァレッドは戸を閉めるカロルの背に話しかける。

「カロル、ティアナがどこに行ったか知らないか?」

 その声に、カロルははっと振り返り、敵意むき出しの声色を出した。

「……知っていますがお教えしません。お帰りになってください」

「……お前の部屋にいるんじゃないのか?」

「知りません。お帰りください」

「いるんだな」

 カロルの受け答えにティアナの居場所を確認したヴァレッドは、扉に一歩詰め寄った。扉の前ではまるでカロルがその扉を守るかのように仁王立ちになっている。

「お帰りください」

「帰る気はない。少し話したいことがあるだけだ。ティアナに会わせてくれ」

 ヴァレッドのその言葉にも頑ななカロルの態度は崩れない。それどころか、下唇を噛みしめたまま彼を下から睨みつけるほどだ。

「それではお聞きしますが、もし、ここにティアナ様が居られたとしたら、どうされるのですか? またティアナ様を傷つけるおつもりですか?」

「それは……」

「別に贈り物を受け取らなかったことも、他の女性と歌劇場に行ったことも、ティアナ様が貴方様を責めるつもりがないのなら、私も責めません」

「――っ!? お前達、見て……」

 その言葉にヴァレッドは言葉を失った。

 カロルはそんなヴァレッドから視線を逸らすと、悔しそうに奥歯を噛みしめた。そして、唸るような低い声を響かせる。

「他に想われる方が出来たというなら、それも仕方ありません。どうぞお好きなようになさってください。……しかし、もうそれならばティアナ様に金輪際近づかないでくださいませ。私はティアナ様が傷つく姿をもう見たくありません」

 その言葉に、ヴァレッドはなにも答えない。そのまま二人の間には短い沈黙が落ちた。

 その沈黙を破ったのは、カロルの悔しげな涙声だった。

「どうして! どうして、ティアナ様ばかりが我慢しなくてはならないのですか? あの方は本当に誰よりも人のことを考えて動かれる方なのにっ! ローゼ様も! ティアナ様のご両親もっ! 貴方もっ! ティアナ様が笑ってるからと言って傷ついていないと思いすぎですっ!!」

 カロルは息継ぎの間もなく、ヴァレッドを責め立てる。

「ヴァレッド様とのお約束、本当に、本当に楽しそうにしておられました。断られたときだって、次の約束が出来たからと嬉しそうに……! 貴方が他の女性とオペラを見に行った日だって、仕方がないのだと無理して笑っておられました! 私だって、そういうティアナ様を『お人好しの馬鹿娘』だと思っています! しかし、そんな『お人好しの馬鹿娘』をこんなにいじめて楽しいですか!?」

 その悲痛な叫びはだんだんとエスカレートしていく。カロルの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「ティアナ様はもっと、幸せになっていいお方のはずなんです! こんなことになるなら、一生女嫌いのまま、ティアナ様だって拒絶していたら良かったじゃないですか! 正直、ここに来る前はお二人は上手くいくものだと思っておりました! ティアナ様は貴方と話すとき幸せそうでしたし、貴方もまんざらでもなさそうでしたので。……なのにがっかりです!! 本当にがっかり!!」

 カロルは身分の垣根など飛び越えて、ヴァレッドの鼻先に人差し指を突きつける。そうして、感情のままに声を荒げた。

「もう決めました! 今決めました! この旅行から帰ったらティアナ様を連れてティアナ様の故郷の方に帰らせていただきます! ティアナ様だって、こんな状況ですし私が言えば……」

「カロル」

 カロルの声を遮るようにしてヴァレッドがそう声を掛けた。そして、頭を下げる。

「すまなかった。俺の行動が軽薄だった。君の主人を傷つけた」

「今更、謝られたって……」

 そう拒絶をするものの、カロルはヴァレッドの下げられた頭にどうしようもなく狼狽えていた。公爵が男爵の娘に頭を下げるなんて前代未聞だ。普通ならば考えられない。

 叱責を覚悟していたカロルが狼狽えるのも当然だった。

「君たちは俺に愛人がいるとか思っているかもしれないが、それは誤解だ。俺は今もティアナ以外の女には嫌悪感がある。まぁ、君とはある程度話せはするが……」

「なにを言われてもここは通しませんからね! ティアナ様はご実家に帰られて、爵位がなくても、庶民の方でも、ティアナ様を本当に想ってくれてる方に嫁ぎ直した方がきっと幸せになれるんです! こんなどれだけ尽くしても気持ちを返してくれない方なんかと……」

「ちゃんと想っている」

「はぁ?」

「俺はティアナが好きだ」

「…………」

 今度はカロルが絶句する番だった。ヴァレッドの言葉を何度も頭の中で反芻をして、理解をしようと試みる。しかし、怒りの熱に浮かされた頭はなかなか正常通りに働いてくれない。

 そんなカロルをどう思ったのか、ヴァレッドは視線を逸らしながら、釈明という名の告白を続ける。

「その、……ちゃんとそういう相手として好きだ。自覚もしている。傷つけてしまったのは本当に悪かった。色々事情が重なったんだ」

「事情って、しかも、いきなりそんな……」

「事情に関してはレオポールから聞いてくれ。俺は早く彼女に謝りたい」

「あっ……」

 一瞬の隙を突いて、ヴァレッドがカロルを押しのけて扉を開けた。

 部屋の中で、ティアナは眠りについていた。カロルのベッドでドレスのまま、小さく丸くなっている。そんなティアナに薄綿の布団をかけ直して、カロルはティアナの頬を撫でた。

「昨日、よく眠れなかったそうです。お茶会を開いてすぐ眠られてしまいました」

「……連れていくぞ」

「この部屋を使っていいですよ。私も今から出て行かないと行けませんので。仕事が溜まっているんです」

「助かる」

 短く返事をすると、ヴァレッドはベッドの縁に腰掛けて彼女の髪を梳いた。そして、枕元にある箱に気がつく。

 それは数時間前に受け取ることを拒否した小さな箱だった。ヴァレッドはその箱を手に取ると、リボンを解いて中身を確かめた。そして、彫られている名前にも気がつく。

「……本当に俺のために用意してくれたものだったんだな……悪かった」

 そう謝りながら寝ているティアナの手を握った。すると、やわやわと握り返されて、ティアナの口元には幸せそうな笑みが浮かんだ。

「もう、次こういうことがあったら本当に容赦しませんからね!」

 そう言いながら、カロルは二人を残して部屋を後にした。

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