16
それからしばらくして、神父が落ち着いた少年を部屋から連れて帰ってきたのを見届けて、ティアナ達は教会を後にした。まだ虚ろな目をしたその少年が心配ではあったけれども、神父は薬を処方したと言っていたし、ティアナには医学の心得は無いので、これ以上どうにも出来ないのが現状だ。
気がつけば日が落ち始めていて、四人は夕日が照らす街道を無言で歩いていた。いつもは脳天気なはずのティアナも心なしか気落ちしているように見える。少しだけ重い沈黙が降りる中、一番最初にその沈黙を破ったのはヴァレッドだった。
「ティアナ、前にあの教会を訪れた時にもああいうことはあったのか?」
「ああいうこと? 少年が暴れた事ですか?」
そう問えば、ヴァレッドは無言で首を縦に振った。あの教会に着いてから、彼の面持ちはずいぶんと堅い。それはレオポールも一緒で、変わらなかったのは女性陣だけだ。
ティアナはヴァレッドのその態度を少し疑問に思いながらも、彼の問いに答えるべく、口を開いた。
「いいえ。私もあんな事初めてでしたわ」
「そうか。他におかしくなった者も居なかったんだな?」
「定期的に体調が悪くなる方はいましたけれど、いつも神父様の治療でなんとかなっていました。今回みたいになったのは初めてですわ」
その言葉を聞くやいなや、ヴァレッドの眉間に深い皺が寄った。歩を進める足は止めないが、それでも心此処にあらずといった感じで、考え事をしているようだった。
「みんなどんなときに体調が悪くなるんだ? 規則性はあったか?」
「そうですね。畑仕事から帰ってきた後とかが多かったでしょうか。外の仕事が疲れるみたいで……」
「畑か。お前はそこに行ったことがあるか? なにが植えられていた?」
「ヴァレッド様、どうかなさいましたか? さっきから質問ばかり」
いきなり始まった質問責めに、ティアナは困ったような顔をした。しかも聞いてくるヴァレッドの様子が余りにも真剣そのものなのもティアナを余計混乱させた。
「思い出せる範囲で良いから思い出してくれ」
「ヴァレッド様、もしかして……」
ティアナが何かに思い至ったように、顔を跳ね上げた。その顔には何故か笑みが浮かんでいる。
「あの教会の事を知ろうとなさってくださってるのですか? ヴァレッド様はやっぱりとってもお優しい方ですわ! 孤児院の現状を知って、手を貸してくださるおつもりなんでしょう?」
「……もうそれでいいから、早く教えてくれ」
明るい表情になって喜ぶティアナに、さっきの真剣な顔つきから、なぜかゲンナリとした表情になったヴァレッドは、頭をがしがしと掻きながら呆れたような視線を彼女に向けた。
「教会の裏の畑は行ったことありますわ。植えてあったのは、トマトにナスなどの野菜がほとんどでした。あ、でも、奥の畑はまだ立ち入ったことありませんの」
「奥にまだ畑があるのか?」
「そうみたいです。奥といっても教会からは離れているらしくて、私は危険だから近寄らない方が良いと、神父様が」
「……畑に何が植えてあるのかも知らないか?」
「はい。……ヴァレッド様、植物に興味がおありなんですか? お詳しかったりします? もしよろしかったら、今度一緒に野菜の苗を見に行きませんか? いくつか選んで孤児院に持って行こうと思ったのですが、私、植物には疎くて、ご教授頂ければ嬉しいのですが」
あらぬ方向に飛んでいきそうになる話にヴァレッドは少し困ったような顔になった。きらきらと期待の眼差しを向けるティアナにヴァレッドは少し身を引くと、彼女は更にぐっと距離を詰める。間近に迫るティアナの顔にヴァレッドは思わず顔を逸らした。
「俺は植物に興味があるわけじゃ……」
「あら、ヴァレッド様も初心者ですの? だったら、一緒に勉強しながら苗を選びましょう」
「……俺はどっちにしても君と苗を見に行く事になるんだな」
「あら、本当ですわ。ふふふ、楽しみですわね」
上機嫌でくるりと一回転するティアナに、固まりかけていた場の空気がわずかに和んだ。ヴァレッドもレオポールも先ほどより表情を緩ませている。
「ティアナ様のそういうところ、本当にすごいと思いますわ」
カロルが微笑みながらそう言えば、ティアナは一瞬きょとんとした顔をした後、にっこりと微笑んだ。
「何のことか解りませんが、カロルに褒められてしまいましたわ。嬉しい!」
◆◇◆
「結局、明日はティアナ様と苗を見に行くんですね」
「うるさい。そんなことより、お前はあの教会をどう思った?」
窓の外には月が浮かび、辺りが静けさを湛えている刻限、ヴァレッドとレオポールは明日分の執務を少しでも片づけておくべく、書類に目を通していた。仕事をする場所に執務室ではなく、ヴァレッドの部屋を選んだのは、少しでもティアナ達に話の内容を聞かれるのを防ぐためだ。二階の端にあるこの部屋はティアナの部屋からもっとも遠い場所に位置している。此処なら、万が一にもティアナ達が部屋の前を通ることはない。
ヴァレッドの鋭い視線にレオポールは肩をすくめてみせた。
「ティアナ様達は何も気づいておられないようでしたけど、あの神父胡散臭すぎますね。子供達が生きていくのに必死になっているというのに、あの神父の服は綺麗すぎます。もっと言えば、お金がかかりすぎている。金の刺繍が施されたストールなんて、あんな廃れた教会の司祭に渡される代物じゃないでしょう。少なくとも、本当に教会から派遣された神父ではないことは確かですね」
「俺を一目で公爵だと見止めた事も少し気になるしな」
「そうですね。ヴァレッド様は家督を継いでから、まだ派手に表に出ていませんもんね。よく見れば気づく、という人はいるかもしれませんが、一目で気づくというのは、知り合い以外なら隠れる必要がある犯罪者だけでしょう」
「犯罪者、か」
「もしそうならティアナ様、悲しみますね。神父とも仲良さげにしてましたし……」
そうだな、と一言返して、ヴァレッドは切り替えるように大きく深呼吸をした。そして、顔を厳しく引き締めながら、一枚の書類を引き出しから取り出した。
「レオ、調べてくれるか?」
そう言いながらヴァレッドが出してきた資料を受け取って、レオポールは目を眇ませる。
「なんですかこれ? もしかして、こうなる事わかってました?」
「たまたまだ。花祭りの時に見回った店の店主に話を聞いていてな。念の為リストを作っておいた」
「あぁ、あのお土産のお店ですか?」
「調べてくれるか?」
「勿論ですとも。貴方がティアナ様と楽しくデートしている間に、私は汗水流して一生懸命働きましょう」
「デートじゃない!」
その嫌みったらしい言いようにヴァレッドは目をつり上げるが、レオポールは気にすることなく「楽しんできてくださいね」と微笑んだ。
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