第13話『恋する人形』

 教習所の合宿初日。

 その日の夕食は、大好きなハンバーグ定食だった。


 いつもなら大喜びで食べるところだけど……

 ミサキの寂しそうな瞳がチラついて……


 今の僕に、味を楽しむ余裕はなかった。


「あーっ、これ、美味しい~!」


 そんな僕の横で、喜びの悲鳴を上げる少女。

 僕を、この席に誘ってくれた人だ。


 満面の笑みを浮かべながら食べるその姿。


 同い年……

 じゃないな、1学年下の高校1年生かな。


 恋免は16歳にならないと取れないから、誕生日が来てすぐに取りに来たってとこか。


 まだ、あどけなさが残る彼女に、妹のエリカの姿がかぶった。


「ん? 何を見てるのかな?」


 僕の視線に気付いた彼女は、いぶかしげな瞳を向けてくる。


「や……ずいぶんと楽しそうに食べるな~と思って」


 思わず誤魔化して笑う。


「美味しいものを食べたら、自然と笑顔にならない?」


 そんな僕を、彼女は不思議そうに見つめてきた。

 アーモンド形の大きな目。


 まるで子猫みたいな瞳だな……


「それにさ~」


 彼女は、ジッとハンバーグを見つめる。


「ご飯を美味しいって言うのは、作ってくれた人への感謝でもあるんだよ」

「な、なるほど……」


 今までそんなこと考えたこともなかった……

 でも、確かに笑顔で「美味しい、美味しい」って食べてくれたなら、作った人は本当に嬉しいだろう。


 僕は感心して、深くうなずいた。


「だからキミ君も、もう少し美味しそうに食べた方がいいんじゃないかな?」


 彼女は笑う。


「難しい顔してたら、せっかくの料理の味もわかんなくなっちゃうぞ」

「うん……確かにそうだね」


 僕も、笑顔で応える。

 少しだけ、気持ちが軽くなった気がした。


「ありがとう、え~と……」

「あたし、樟葉くずは 莉緒りお

「僕……いや、俺は梨川 学司。リオちゃんは1年生だよね?」


 その言葉に、リオは驚いたようにうなずく。


 ふふふ、やっぱりそうか。

 僕の観察眼も、なかなかのものだ!


「じゃ、俺の1個下だね」


 そう言って笑う僕を、リオは目を丸くして見つめてくる。


「ん? どうしたの?」

「キミ、凄いね!」

「え、何が?」

「あたしの歳、当てたこと」


 リオは、嬉しそうに微笑んだ。


「え……だって、そんなの見ればわかるでしょ」


 首を捻る。

 まぁ、確かに中学生でも通用するかもしれないけど……

 でも、免許を受けに来ている時点で16歳以上ということになるからね。


「でしょ~! なのに、サークルのみんなとか、あたしを子供扱いしてさ~」

「サークル……? ああ、クラブ活動ね」


 僕は補足する。


「講義のときだって、わざわざ教授まで中学生って言うんだよ」

「た、楽しそうな先生だね」

「楽しくないよ!」


 リオは、激しく頭を振った。


「言われるこっちの身にもなってもらいたい!」

「あはは、人気者なんでしょ」



 思わず笑う僕。


「む~……でも、キミみたいに、ちゃんとわかってくれる人もいて良かった」


 そう言って、リオは無邪気な笑みを見せる。


 本当に、子猫みたいな子だな……


「3年生になったら教育実習もあるし……」

「教育実習?」

「うん……その生徒たちにまで、子供、子供って言われたらイヤだな~って……ちょっと落ち込んだりもしたんだよ」

「や~、それは大丈夫でしょ」


 僕は言う。


「制服みたいな、ちゃんとした格好で行くんでしょ? それなら少し大人に見えると思うよ」

「そうかな?」


 リオの顔が明るくなった。


「うん……でも、凄い学校だね」

「え? 何がかな?」


 リオは首を傾げる。


「進学校なのかな? 教育実習があるなんてさ……

 まるで大学みたいじゃん」


 僕は笑った。

 しかし、リオは首を傾げたまま。


「うん、あたし、大学だよ?」

「あ~、やっぱそうだよね……」


 うなずく僕……


「……って、ええっ!?」


 思わず、大きな声が出てしまった。


「も……もしかして、1年生って、大学1年……?」

「そうに決まってるじゃん?」

「えええっ!?」

「なんでそんなに……って、まさか……」


 その顔が、みるみる赤くなる。


「も、もしかして、高校1年生だと思ってたのかなーっ!?」


 その言葉に、強くうなずいた。


「ちょっとーっ!」

「ご、ごめん……なさい」


 慌てて謝る僕に、彼女は唇を尖らせる。


「で、でもさ、若く見えるってことは、リオちゃ……樟葉さんは歳を取っても若いってことだよ……です」

「ん……そうなのかな?」

「う、うん! だ、だから、悪いことじゃないと思います、です」

「ふーむ、そっか~……そういう考えもあるのね」


 その顔に笑みが戻る。

 どうやら、機嫌も良くなったようだ。

 ホッと胸を撫で下ろす。


「あ、ところで……」


 と、そのとき、彼女が再び僕を見る。


「ま、まだ何か……!?」


 僕は、ゴクリとツバを飲み込んだ。


「や、別に、敬語じゃなくていいよ」

「……え?」

「あたしも恋愛免許1年生だし、それになんか使い辛そうにしてるしさ~」


 そう言うと、フフフと笑った。


「そ、それは……」

「それに、もう今更じゃない?」

「う……まぁ……」


 思わず口ごもる。


「そんなわけで、これからよろしくね!」


 彼女は笑顔で言うと、ハンバーグの最後の一切れを頬張った。


「ごひほうはま~」


 と、食事終了の挨拶らしき言葉を言いながら、食器を乗せたトレイを持って立ち上がる。


「ほれじゃね~」


 そして、手をヒラヒラと振り、口をモゴモゴしながら歩き出した。


「食べながら喋るなよな~」


 去っていく背中に、声を投げる。

 もちろん、聞こえないくらいの大きさで。


 彼女は食器を返却口に置くと、そのまま食堂から出て行った。


「変な年上……」


 リオさんが出て行った扉を見つめながら、僕もハンバーグを口に放り込んだ。






 夕食、そして入浴を済ませた僕は、1人部屋に戻った。


「今日は色々あって疲れたな……」


 ベッドに、無造作に横になる。

 そのとき、ポケットの中のスマホが振動した。


「ん……メール?

 この揺れ方は、家族だな」


 果たして、それはエリカからのメールだった。


『お疲れ様、お兄ちゃん!

 頑張ってる~?』


 気遣ってくれるその文は、やはり嬉しいものだ。


「うむ、お土産ポイント高いぞ」


 僕は微笑んだ。

 メールには、まだ続きがある。


『今朝、クッキーと傷薬の袋、間違えて持ってたでしょー。

 エリカ、クッキー食べちゃうからね』


「ちょ……間違えたの、僕のせいかよ」


 心の中で、お土産ポイントが音を立てて下がり出す。


『美味しいクッキーだったから、お兄ちゃんにも一応報告でした!』


「しかも、もう食べてんじゃん……」


『それじゃ、お兄ちゃんも頑張ってね~!』


「ったく……」


 思わず、ため息が漏れた。


「エリカといい、樟葉さんといい……

 家でも外でも、僕の周りは騒がしいなぁ」


 苦笑いが浮かぶ。

 僕は仰向けになると、エリカに返信を始めた。


 でも、快適に動く親指は、次第に鈍くなり……




 そして、その指が止まったとき、深い眠りの中に落ちていた。

 返信途中のスマホは、次の指示を待つかのように、手の中でしばらく光を放っているのだった……




―――




 そして夜が明けた。

 今日は、1時限目から技能教習。

 朝食を食べた後、全員で教習室に集まることとなっていた。


「おはよ! 朝ご飯も美味しい~♪」


 何故か僕の隣に座ったリオさんは、やはり嬉しそうに卵焼きを頬張っている。


 そしてミサキは……

 遠目から時々、僕の方を見るだけ。

 朝の挨拶を交わした後は、これと言って何もない。


 でも……

 時々こっちを見るってことは、気にはかけてくれてるのかな……






 朝食を済ませた僕たちは、予定通り教習室に集まった。

 教官は、全員揃ったことを確認すると満足げにうなずく。


「さて、今日から教習人形を使っての指導が始まるわけだが……」


 教習人形――

 恋愛は頭で分かっているだけでは意味がない。

 頭で理解し、そして行動することが大切となる。


 そのため、正しい行動が出来るように、教習人形と呼ばれる人形で実技練習をするのだ。


 僕は、教習室の後ろに目を向けた。

 そこには様々な人形たちが、椅子に腰をかけた形で待機している。


「人形は人工知能で制御され、こちらの呼びかけにも、本当の人間のように応え、行動する」


 教官は得意げに言う。


「そして、人形を起動させる鍵はこれだ」


 教官は、1枚のカードを高々と掲げた。


「これを、人形の首の後ろに差し込むのだ」


 そう言いながら教官は、1体の人形の前に立った。

 黒髪が美しいその人形の髪を持ち上げ、首の後ろにカードを差し込む。

 ややあって、パソコンを立ち上げたときのような音が、部屋の中に響き渡った。


 固唾を飲んで見守る中、人形の瞳がゆっくりと開く。

 それと共に、うつむいていた上体が起き上がる。


 電源が入り、体内のバランサーが起動したからだろうと思うけど……

 詳しいことは、わからない。


 教官は前に回ると、そっと手を差し出した。


「一緒に来て頂けますか?」


 人形は教官を見つめる。

 そして、その口がゆっくり動いた。


「――ハイ」


 教官の差し出した手を掴み、人形は立ち上がる。

 その様子に、満足げにうなずく教官。

 人形と手を繋いだまま、教官は最初の場所へと戻った。


「――というわけだ」


 不意に拍手が巻き起こる。


 おおおおお!

 教習人形のことはテレビとかで知ってはいたけど……

 やはり、生で見るのとはワケが違う!


 幼い頃、初めてロボットアニメを見たときのような感動が、そこにはあった。


「うむ――それじゃ、各自人形を起動させ、教習室の外に出てもらう」


 僕たちに、起動させるためのカードが配られた。


「カードに記載された番号と同じ番号の人形を選び、起動させててくれ」


 カードに目を落とす。

 そこには01番と書いてあった。


「え~と……」


 視線を巡らせる。


「あ、あれか!」


 そして、左肩に01と番号が入った人形を発見した。

 人形は、教習室の隅で静かに瞳を閉じている。


「これか……」


 僕は、その前に立った。

 長い髪を縛っている、女性型教習人形。

 少しうつむいて瞳を閉じるその姿は、まるで居眠りをしている少女のようだ。


「あ、この子、どことなくミサキに似てるな……」


 優しいその顔に、少し嬉しくなった。


「……って、見とれてる場合じゃないや」


 周りはもう、人形たちを起動させている。

 手を取り、教習室から出ていく者もいた。


 僕は、慌てて人形の背後に回る。


「えっと……これだな」


 首の裏にあるカードの差し込み口。

 そこに、ゆっくりとカードを差し込む。

 起動音が響き渡る。


「これで……いいのかな?」


 僕は、人形の前に回り込んだ。

 人形の瞳が静かに開いていく。


「おおおっ!!」


 心の中を、先程の感動が走り抜けた。

 人形は、ゆっくり上半身を起こし、そして僕を見つめてきた。


「や……やあ」


 咄嗟に手を上げ、挨拶をする。

 そんな僕に、人形は小首を傾げる。


「ほら、まだ廊下に出てない者は早くしろー!」


 廊下で教官が叫んだ。

 ミサキやリオさんをはじめ、他の皆も、廊下で僕たちを待っている。

 まだ教習室に残っている者は、ほんの数名だった。


「急がなきゃ!」


 僕は、慌てて人形の前に手を突き出した。


「ほらっ、行こう!」


 人形は、大きな瞳でその手を見つめる。

 そして、再び僕の顔を見た。


 人形の口が、ゆっくりと開く。


「――イヤ」

「なっ……!?」


 その予想外の言葉に、思わず言葉を失った。


 い、今、“イヤ”って言ったよな……

 聞き間違いじゃないよな!?


 そうこうしているうちに、教習室から1人、また1人といなくなる。


 今のはいきなり過ぎたのかな……?

 よ、よし、今度はもう少し丁寧に……


 僕は、深呼吸をした。


「ほら、今日はいい天気だよ。青空の下を、僕と散歩してみない?」


 その言葉に、人形は首を巡らせ窓から空を見た。

 そして、再び僕に向き直る。


 小さく可愛らしい口が、ゆっくりと開いた。


「――イヤ!」

「んがー!?」


 二度も続けてフラれた!

 人形と言えど、気分は良くないぞ!


「き、君は、外に出たくないの!?」

「――イヤ?」


 僕の問いに、人形は首を横に振る。


「じゃ、じゃあ、僕と一緒に外に行こうよ!」

「イヤ!」


 むっき――――!!


 教官が、教習室をのぞき込む。


「おーい、残ってるのは、お前だけだぞ~」

「きょ、教官~~!」


 僕は、泣きそうになりながら叫んだ。


「俺の人形、嫌がってばっかです!」

「イヤイヤイヤ――」


 そんな僕を嘲笑うかのように、人形は手を左右に振る。


「梨川……お前、機械音痴か?」

「いや、そんなことは……」

「イヤァ~」

「なんでお前は照れてるんだよ!」


 頭をかく人形に、思わずツッコミを入れる。


「ふぅむ、困ったな……

 コイツが使えないと、今、他に余ってる人形はないぞ」


 教官は、腕組みをした。


 そのとき――


「あ、あの……」


 不意に響く声。

 ミサキが、人形を伴って教習室の中に入ってきた。


「どうした、後藤?」

「あの……良かったら、私が梨川くんとペアになりましょうか?」

「えっ……!?」


 おずおずと言うミサキ。


「私の人形も……ちょっと調子悪いみたいですし……」

「調子悪い……?」


 僕たちは、ミサキの人形に目を向けた。


「ヘイヘイヘイ~♪」


 何も命令していないはずの男性型教習人形は、何故か1人で踊り続けている。


「……これは、2機ともメンテナンスが必要だな」


 教官は、ため息をつく。


「仕方ない、今回は2人でペアになってもらおうか」


 えっ? えっ? えっ?


 その言葉の意味を理解出来ないうちに、僕の手を柔らかで温かな感触が包む。


「ご……後藤さん……」

「よろしくね」


 微笑むミサキ。


「よ、よろしく!」


 僕の胸は、激しく鼓動し続けた。


「それじゃ、行こう」


 そう言って、ミサキは廊下に向かって歩き出す。

 握られた手に引っ張られるように、その後をついて行く。

 喜びと驚きと緊張で、頭の中は真っ白だった。


 その時間の教習は、手を繋ぎ教習コース内を歩くというものだ。

 教官が、信号や交差点など、各場所で様々な注意点を説明していたけれど……


 頭には、全然入って来なかった。


 ミサキの柔らかな温もりだけが……

 僕の心の中いっぱいに広がっていた。




―――




 人がいなくなり、不意に静けさが訪れた教習室。

 窓から入り込む太陽が、室内を照らす。


 その陽の光を浴びて、浮かび上がる2つの影。

 そこには、先程の教習人形が並んで座らされていた。


 そっとたたずむ、2体の人形。

 それはまるで、静かに寄り添う恋人同士のようだった……

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