第12話『視線』

「もー、びっくりしたよー」


 ミサキは笑う。


「俺も、びっくりした」


 そう言って笑顔を返す。


 適性試験後の休み時間。

 偶然の再会を喜びあう僕たち。



「でも、梨川くん……恋免にあまり興味なさそうだったけど、やっぱり受けるんだね」

「うん……いつかは取るものだしね」


 本当は伯父さんの誘いと、母さんの強引さが無ければ来なかったんだろうけど……


「ふふっ、知ってる人がいて嬉しいな」


 そんな僕の心に気付かず、無邪気に笑う私服のミサキ。

 白色のワンピースに身を包んだその姿は、まるで夏に降る雪のように涼やかで……

 だけど、その涼やかさとは裏腹に、僕の胸は激しく高鳴っていく。

 見慣れた制服にはない魅力が、そこにはあった。




「ねぇ、梨川くん……」


 不意に、ミサキが見つめてきた。


「この広い世界で、私たちが巡り会うなんて……」

「そうだね……運命、ってやつだね」


 僕は、ミサキの言葉を奪う。


「運命……」

「だとしたら、僕は罪深いことをした」


 そう言って、額に手を当て、頭を左右に振る。


「こんな素敵な人を、1人で待たせていたのだから……」


 その瞬間、僕の手を包む温もり。


「大丈夫……」


 それは、優しいミサキの手だった。


「大丈夫……まだ、間に合うよ」

「ミサキ……」

「ああ、ガク……」


 近づく顔。

 唇が静かに触れあ……




 ――じゅるっ。


 い、いけない、いけない!

 つい妄想に浸ってしまった……!

 ミサキの私服姿が、あまりにも可愛い過ぎるのがいけないんだぜ!


 どこかの誰かさんの口癖を心で真似ながら、僕は開きっぱなしだった口元を拭いた。


「……ねぇ、梨川くん」


 そのとき、不意に名前を呼ばれ我に返る。

 慌てて顔を上げると、僕を見つめるミサキと目があった。


「な、なに?」


 妄想と同じ展開に、思わず声が上擦る。


 でも……

 彼女の視線は、僕の顔から足元へと移っていった。


「それ、置いてこないの?」

「それ?」


 同じように視線を移す。

 そこには、僕のスポーツバッグがあった。


「あ、ああ……」


 僕は、ため息をつく。


 そりゃそうだ。

 現実に、あんな展開有り得ない。

 第一、そんな幸せ展開、まだ心の準備が出来てないよ……


「どうしたの? ため息なんてついて」

「な、何でもないよ!」


 ジッと見つめてくる視線に、慌てて答えた。


「いや、荷物はこれだけだし、部屋に置いてくる時間はないから、今日の教習が終わるまで持って移動しろって言われたんだ」

「そうなんだ~」


 ミサキはうなずく。

 そのとき、構内にチャイムの音が鳴り響いた。


「あ、もう休み時間終わりか」

「うん、これから一緒に頑張ろうね!」


 微笑むミサキ。

 この顔が見られただけでも、合宿に参加したかいがあったってものだ。


 ありがとう、母さん……

 ありがとう、伯父さん……

 あと、ついでにエリカ……


 僕は、心の中に3人の姿を思い浮かべた。






 次の時間は、学課教習。

 ここでは、数時間かけて恋愛に対する心構えや恋愛法に関することを学ぶ。


 そして、それと平行するように、実技の方も学んでいく。

 実技の内容は、エスコートの仕方とか、危険察知や、その回避のやり方など。

 教習所内のコースを巡りながら、1つ1つ学び、合格出来れば教官にハンコを押してもらえる。


 学課33時間、実技38時間。

 順調に進んでいけば、この時間で晴れて卒業となる手筈てはずとなっていた。


「それでは、今から動画を見ます」


 学課担当の教官が言う。

 ほどなくして、モニターに恋愛免許に関する動画が流れ出した。


『恋愛に関する様々な問題を抱える現代。私たちは正しい恋愛をするため――』


 モニターから流れる声をよそに、そっと隣に視線を移す。


 僕の瞳に映るもの。

 そこには、真剣な表情でモニターを見つめるミサキがいた。

 真摯しんしなその瞳に、思わず釘付けになってしまった。






 それから数時間が流れ……

 現在、夜の6時半。

 この時刻を持って、本日の教習は終わりを迎える。


「ん~……!」


 僕は、凝り固まった筋肉を伸ばそうと背伸びをした。


「えっと……ミサキは……」


 背伸びをしながら、さりげなく辺りを見回す。


「あ、いた! ……けど」


 ミサキは、同い年くらいの女の子たちと楽しそうに話していた。

 おそらく、実技教習のときに同じグループになった子たちだろう。

 楽しそうに笑いあう様は、僕なんかが入り込む余地はないように見えた。


「……仕方ない、1人でご飯食べよう」


 僕は、教習室を出て宿舎の方へと向かう。


 しばらく歩くと、敷地の外れに男子宿舎と女子宿舎が見えてきた。

 共に、三階建ての白い建物だ。


 そして、両方の建物に挟まれるようにしてある、同じ壁色の平屋。

 そこが入浴施設やコインランドリー、ホール等がある他目的棟だ。

 食堂も、この中にある。


 以前遊びに来たとき食べた和風ハンバーグ定食。

 それが絶品だったことを、ふと思い出す。


「……と、その前にバッグ置いて来ちゃうかな」


 そうつぶやきながら、男子宿舎へと向かった。

 部屋の鍵は、伯父さんからすでに預かっている。


 宿舎の入口をくぐり、階段へと向かう。

 この宿舎に、エレベーターなどという物は存在しない。


 僕は、歩いて三階の自分の部屋を目指した。

 三階は、高いだけあってなかなか眺めは良い。


「ふぅ……」


 部屋の前に到着した僕は、一息つくと鍵を開けて中に入る。

 中は、6畳ほどのワンルームになっていた。


 前にテレビで見た、ビジネスホテルに似てるな……


 そう思いながら、机の上にバッグを置いた。


「とぅっ!」


 そして、すぐ側のベッドの上に、勢い良く横になる。


「んあ~~~~!」


 少し固めのベッドに身を委ねると、一日の疲れが口から漏れ出した。


 部屋は全て個室。

 それがとても嬉しい。

 僕は、そっと瞳を閉じた。


 今日は色々なことがあったな……

 母さんに駅まで送ってもらって……

 エリカに渡された紙袋の中身が違ってて……

 でも、そのおかげで、転んだ女の子の手当てが出来たんだよな。


 僕は、小さく笑った。


 でも、それでバスに乗れなくて、教習所に遅刻して……


 だけど……

 ミサキに会えた……


 まぶたの裏に、ミサキの姿が浮かび上がる。


「私服、可愛かったなぁ……」


 優しい笑顔のミサキ。

 その微笑みを思い浮かべながら、僕は眠りの園に落ちていく……


「――って、ダメだよっ!!」


 思わず、飛び起きる。


「まだ、ご飯も食べてないじゃん!」


 昼にパンをかじって以来、何も口にしていない。

 今、食べなかったら、空腹で夜中に目を覚ますことだろう。

 僕は鍵を掴むと、部屋を飛び出した。






 食堂に入ると、合宿生たちが、当然ながらすでに夕食を取っていた。


「あんたが一番最後だよ」


 コップを棚に並べている従業員のおばちゃんに急かされて、慌てて食事を受け取る。


「えっと……」


 人だかりの中、ついつい目はミサキを探してしまう。


「あ、いた!」


 ほどなくして、ミサキの姿を発見。

 ミサキは、先程の友達と楽しそうに食事を取っていた。


「あ……あそこ空いてる?」


 ミサキの隣は、誰も使用していないようだった。


「隣、座れるかな……」


 小さくつぶやく。

 その声が聞こえたかのように、不意にミサキがこちらを向いた。

 僕と視線が合うと、笑顔を浮かべて手を振る。

 そして、その手が隣りの空席を指し示した。


 ミサキの口が、以前の声無き声のように、ゆっくりと動く。


『あ・い・て・る・よ』


 その動きを認識した瞬間――


「ねぇ……」


 不意に、服の裾が引っ張られた。


「え……?」


 思わず振り返る。

 そこには、同い年くらいの1人の少女が座っていた。


 戸惑う僕に、彼女は言う。


「あたしの隣、空いてるよ」


 見れば、そこも空席のようだった。


「え? や……でも……」


 僕は、ミサキの隣りに……


 そう言葉を続ける前に、彼女の口が動く。


「席、空いてるとこないんでしょ? ほら、隣に座って」


「ね?」と、肩くらいで切り揃えられた髪を揺らして、明るく笑う彼女。

 その笑顔に、不覚にも胸が高鳴った。


 いやいやいや――

 僕にはミサキが……


 顔を上げ、ミサキの方に視線を向ける。


 でも……

 ミサキは、すでに友達に向き直り、談笑しながら食事を取っていた。


 その姿に、僕の心に少し寂しさが沸き起こる。


「どうしたの?」

「あ……いや……」

「遠慮しないで座って」

「は……はぁ……」


 半ば強引な彼女に断念し、僕はその席に座ることにした。

 食事の乗ったトレーを、テーブルに置いて椅子を引く。


 座る直前、もう一度だけミサキに目を向けた。


「あ……」


 そのとき、こちらを振り向いたミサキと目が合った。

 ときが止まる気がした。


「ミサキちゃん?」

「あ、ううん、何でもないよ」


 自分を呼ぶ友達にそう答え、ミサキはまた話に戻っていく。


 僕は視線を戻し、ゆっくりと腰掛けた。


「ふぅ……」


 口から自然とため息が漏れる。


「あ、もしかして、もう先約があった?」


 僕のその様子に、隣の彼女が申し訳なさそうに言う。


「あ……いや、大丈夫」


 とっさにそう答える。


 でも……

 振り返ったミサキの顔が、心に蘇る。


 そのミサキの目は……

 少しだけ寂しそうな色に見えた……


 でもそれは――

 ただの勘違いかもしれなくて……


 確かめる術もなく、僕は夕食を口に運んだ。


 口いっぱいに広がる懐かしい味。

 今夜の夕食は、僕の大好きなハンバーグ定食だった……

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