回想
「パック──! どこにいるの?」
少女の声が草原をわたっていく。あたりは一面の花畑だ。遠くに白い館が見え、やわらかな日差しが明るく照らしている。
花畑の真ん中に、ひとりの少女が腰をおろし、あたりを見回している。
赤い髪、青い瞳。
ミリィだった。
館の方向からひとりの少年が近づいてきた。召し使いのお仕着せを身につけ、ひっそりと足音をたてず歩いてくる。その顔はパックそのものだった。かれは少女とほぼおなじくらいの年頃に見える。少年を見つけた少女の顔がほほ笑んだ。
「お呼びでございますか? お嬢さま」
「そうよ! これを見て」
そう言うと少女は手に持った花環を持ち上げた。あたりの花をつんで編み上げたものだ。少年はひっそりと笑った。
「すばらしいお手並みでございますね」
少年の言葉に、少女はぷっと頬をふくらませた。
「もう──、あなたって、いつもそう。もうすこし年相応の態度できないの?」
「わたしは召し使いでございますから、これ以外の態度は……」
「もういいわっ!」
ぷん、と少女は横を向き、立ち上がった。
「帰る!」
「お供します」
「いいわよ、あたしひとりで帰るもの。あんたはあたしのために、その辺の花を摘んできて。あとで部屋に飾るから」
かしこまりました、と少年は頭を下げた。ぷりぷりと怒って少女は館に足を向けた。
少女が立ち去ると、少年はゆっくりと腰をおろし、花畑に手をさしのべた。
かれは黙々と花を摘んでいた。
ふたりとも成長を重ねていた。ミリィの身体つきはふっくらと女らしいものに変わり、パックは背が高くなり、肩幅もひろくなっている。家族がそろって朝食をとっているとき、パックは給仕をしている。服装も執事のものになっている。
「お嬢さま、お茶をもう一杯いかがでしょう」
ミリィのカップが空になっているのを目ざとく見つけたパックが提案する。ミリィは優雅にうなずいた。
「ええ、お願い」
かしこまりましたとパックは頭を下げ、ミリィのカップに紅茶をつぎたした。
ちらりとふたりの目が合う。ミリィは砂糖壷から角砂糖をトングで掴み、ふたつカップに入れた。スプーンでかきまわし、カップを口に運ぶ。
しずかな時間が流れていた。
やがて食事が終わり、両親はおのおのの部屋へひきとる。
あとにはミリィとパックが残された。ミリィはパックの持ってきた乾燥した果物の菓子をつまみながら紅茶を飲んでいる。ときどきパックが彼女のためにこまごまとした用をするだけで、ふたりとも無言である。
ついにミリィが口を開いた。
「パック、知っているかしら? あたし、今年で十六になるのよ」
「存じております、お嬢さま」
「来年は十七だわ」
はい、とパックはうなずいた。
「そうしたら、あたしは許婚と結婚することになっているの。あたしより十も年上よ」
「おめでとうございます」
「ちっともおめでたくはないわ。一度も会ったことのない相手と結婚するあたしの気持ち、わかって?」
パックは無言だった。
ごちそうさま、とミリィは立ち上がる。そのまま部屋を出て行った。あとに残されたパックは無言で食卓をかたづけていた。ふと、その手がとまる。
ぎゅっと拳が握り締められていた。
館の図書室でパックは本を眺めていた。
そのうちの一冊に目がとまる。
抜き出し、中身をぱらぱらとめくる。書かれている字は見たことのないもので、いまは使われていない古代文字だった。しかしパックの顔は真剣だった。食い入るようにその字をおい、むさぼるように読み進む。
やがて顔を上げたパックの目は暗く輝いていた。
「夢こそが鍵だ……ひとは夢を見る、しかし目覚めれば夢は消えてしまう……その夢を固定することが出来れば……」
ぶつぶつとつぶやく。
ふと図書室の机を見る。机にはちいさな額縁が置かれている。額の中の絵は、ミリィの肖像だった。たくみな筆さばきで、ミリィの顔が生き生きと描かれていた。その絵を取り上げたパックは優しげな眼差しで見つめていた。
白い衣装につつまれ、人々は口々に彼女の美しさを誉めそやす。
「きれいだわ、ミリィ。本当に世界一の花嫁ね!」
「まったくだ、花婿は世界一の幸せ者というわけだな」
「おい、こちらを向いてくれ。その顔をとっくりながめてみたい」
「恥ずかしいのよ、そっとしてあげましょう」
ブーケを手に持ち、うつむき加減で人々の賞賛を浴びるミリィは興奮で頬を赤らめていた。
今日は彼女の結婚式であった。招待客はつぎからつぎへと彼女に結婚のお祝いの言葉をかけていく。背後にパックがいつもの執事の服装で、ひっそりと立っている。やがて招待客は式場へと案内され、部屋にはふたりだけが残された。
「お嬢さま……」
パックが声をかけた。
ミリィはどきん、と身を震わせた。
くるりとふりむき、パックに顔をむける。
ふたりの目が見つめあった。
「パック、あなた……」
ミリィは驚いていた。いままでパックから声をかけたことは一度もない。ミリィが話しかけない限り、パックはいつも押し黙り、返答をするときは最小限の言葉ですませている。そのパックが、今日にかぎってじぶんから話しかけてきたのだ。
パックはまっすぐミリィを見つめている。これも初めてのことだ。
「お嬢さま……いや、ミリィ」
ミリィの唇が震えていた。なんとパックはじぶんの名前を呼んだのだ!
「あなたを愛しています」
ミリィは顔をそむけた。
「言わないで!」
「お嬢さま……ぼくはずっとあなたを愛しておりました」
「やめて! あたしはこれから結婚するのよ」
「だから申し上げているのです。お願いです、どうかぼくと一緒にどこかほかの町で暮らしませんか? あなたには不自由をおかけしません。ぼくが全力であなたをお守りします」
「下がりなさい、あなたのいまの言葉は聞かなかったことにします」
ミリィは全身で拒否をあらわしていた。パックの肩がさがった。
ふたたび執事特有の無表情にもどり、一歩さがる。
「失礼いたしました」
がちゃり、と扉が開き父親が顔を出した。
「ミリィ、さあ出かけよう! 花婿も待っている」
ミリィは立ち上がった。父親がその腕をとり、ふたりで式場へと向かう。
彼女はいちども振り返らなかった。パックは無言で見送っていた。
その日からパックの姿は館から消えていた。
パックは町から町へと放浪を続けていた。さまざまな場所で働き、なにがしの金をためるとまた旅に出た。目的は古代の魔術の研究であった。
そういった魔術をつたえる人物や、古代の廃墟を徘徊し、かれは知識を深めていった。
やがてパックは目的の魔術を完成させる目処を手に入れたのだった。
それには五十年かかっていた。
かつての少年は、いまや年老いた老人になっていた。
かれはその魔術を実行した。
だれもこない洞窟で、パックは眠りについた。
かれだけの夢、かれだけの世界を夢見て。
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