誘い

 夜明けと共に魔物の攻撃はおわりをつげた。

 ドーデンの町は深刻な打撃を受けていた。火を吐くドラゴンにより、町のほとんどの建物は燃え上がり、朝焼けの中ぶすぶすといぶる木材の煙がただよっている。

 戦いで半数の兵士が傷つき、あるいは死亡していた。あちこちで倒れた兵士らがうつろな目でぼんやりとあたりをながめ、戦いに参加した魔物使いたちも被害を受けていた。かれらの使う魔物たちも戦いで傷つき、哀しげな声で啼いている。

 ふらり、とドーデン王は立ち上がった。

 かれの半身は返り血でどす黒くそまり、手にした剣は刃こぼれがひどい。魔物を撃退するための槍は半分くらいから真っ二つにおれ、もはや使用に耐えないほどだ。

 朝になって避難していた町の人々がようやく戻り始めてきた。はやい段階から町の住民の避難はすませていたため、魔物に殺された人数は案外とすくない。しかし壊滅的な被害をうけた町の様子に、人々は絶望の表情を浮かべていた。

 ひとり、ふたりと人々はドーデン王のまわりに集まり始めていた。

 王はゆっくりと住民の顔をながめていた。

 人々は王の言葉を待ち受けている。

 ゆっくりと息を吸い込み、王は口を開いた。

「町のみんな、見たとおり町はほとんど破壊されてしまった。あなたたちの家は焼かれ、もはや住むところもないありさまだ」

 町の人々は王の言葉にうつむいてしまった。

 しかし、と王は言葉をついだ。何を言い出すのか、と人々は王を注視した。

「しかしあきらめることはない。このドーデン王あるかぎり、町はふたたび蘇るであろう! 余は約束する。町が元通りになるまで、今年、そして来年は無税とする! その分は町の再建に使って欲しい。また、もともと収入がなく、家を再建する余裕のないものは申し出てもらいたい。我が国庫から特別支出を認め、住む家を提供し生活の再建を手助けするであろう!」

 わああっ!

 王の言葉に人々は熱狂した。

 人々の熱狂に王はうなずき、肩からたらしたマントをひるがえし、馬にまたがる。

 喚声の中、王宮へと戻っていった。

 人々の歓呼の声を背中に受け、王はゆっくりと馬を御している。

 しかしその顔に浮かぶのは明日への希望ではなく、町を蹂躙されたことによる支配者としての怒りであった。

 

「そちがジャギーと申す男か?」

 通報により、ジャギーが町の南門の閂を開けていたと告発を受け、ドーデン王は町中にジャギーを指名手配していた。ほどなくジャギーは兵士たちに発見され、ドーデン王の前へ引き出されたのだった。

 謁見の間にはほかにパック、ファング、タルカスも呼ばれていた。ギズモ教授も出席を要請され、目立たない場所にひっそりと立っている。

 床にすわらされたジャギーは、王を見上げへらへらと笑いを浮かべている。

 王はジャギーの目をのぞきこみ、眉をひそめた。

 とても通常の精神状態にあるとは思えない。

 どんよりとしたうつろな目、げっそりとやせた肩は服の上からでもわかるほど骨ばっていて、しきりに身体を揺らし、くすくすと笑い声を上げていた。

「ファング、そちの兄に間違いないか?」

 はい……と、ファングは蚊の鳴くような小さな声で答えた。

 いたたまれない気持ちだった。兄のジャギーが魔物を引き入れるため、町の南門を開いたのは間違いない。その兄が捕らえられ、王の眼前に座らされている。反省の色があるならともかく、まるで王をなぶるかのような薄笑いを浮かべている兄に、ファングは目をそらした。

「なぜ、そんなことをしたのじゃ? なにが不満なのじゃ?」

 王はジャギーに穏やかに語りかけた。激昂して、一思いに切り殺してもだれも文句は言えないところである。しかし王は怒りを押し殺し、平静な顔色をたもっている。

 ゆっくりとジャギーは顔をあげた。

 唇を舐める。

 ごくり……喉仏が動き、唾を飲み込んだ。

「ドーデン王よ……」

 はっ、と王は身構えた。

 ジャギーの口から発せられた声は、どこか暗闇から聞こえてくるようで、不気味な響きをもっていた。居並ぶ廷臣たちも怖ろしげに身を引く。

「この世界を統べる魔王より一言申し上げる……」

 王は剣を抜き放った。

「そちは誰じゃ? ジャギーの口を借りて余に話しかけるのは?」

 くくくく……、とジャギーは押し殺した笑い声をあげた。

「さすが英明の誉れ高いドーデン王。この男を通じて、声を届けているのをはやくも察したか……。わらわは魔王の一の配下、ラフレシアと申す……王に申し上げる。ミリィはわらわが預かっている!」

「ミリィ!」

 ドーデン王とパックが同時に叫んだ。

「パックより報告のあった、ミリィを攫った魔女がそちか? なぜ、彼女を攫ったのだ」

「魔王が呼んでいる……王よ、そこのパックという若者をともない、来るがよい」

「余に魔王のもとへ来いと申すのじゃな? 言うまでもない。ミリィを取り戻すため、余は地の果てまでも追いかけるだろう」

「それは重畳……地の果てなど遠いところへ行く必要はない。魔王はそれほど遠い場所にいるわけではない。馬で数日とばせばすぐ着くところにいる……」

「どこじゃ、そこは?」

「パックとミリィが目覚めた洞窟……その奥深くが魔王の居城である! 来るがいい……わが主人、魔王がそなたたちを待ちわびているのだ……」

 洞窟……と耳にして、パックとドーデン王は顔を見合わせた。

「待っておるぞ……ドーデン王、そしてパックよ……!」

 声はちいさくなっていく。

 王は一歩踏み出した。

「待て! まだ聞きたいことが……!」

 しかしジャギーはそこでちからつきたかのようにがっくりと首をたれ、そのまま横倒しになった。ファングが駈け寄る。

「兄さん!」

 あおむけに床に横になったジャギーはぼんやりと目を開いた。ファングの顔を認めたのか、目の焦点があっていく。

「ファング……」

 唇がかすかに動き、妹の名前を呼んだ。

 ファングは膝をつき、兄の顔を覗きこむ。

 と、ジャギーの顔色が変わった。

 ぐ! と、両手が胸板をおさえる。

 そのまま痙攣をはじめた。

「兄さん、どうしたの?」

 ファングはジャギーにとりすがった。

 ぐああああ!

 ジャギーは怖ろしい叫び声をあげ、床に寝そべったまま全身を震えさせた。

 く──!

 ふいにかれの身体からちからがぬけていく。

 ファングはみたび叫ぶ。

「兄さん!」

 ふらり、と立ち上がる。

 顔色が真っ青だった。

「死んでる……」


 ぐっと握った手の平をラフレシアは開いた。

「お役御免……余計なことを喋らせるわけにはいかないからね、気の毒だが、一足先に地獄へ行ってもらうよ」

 彼女の側にミリィが床に横たわっている。

 床はむきだしの岩面であるが、滑らかになっている。

 ほのかな蝋燭の明かりが洞窟を照らし出していた。

 ミリィの目覚めた、あの洞窟の内部であった。

 そこにラフレシアはミリィと、ミリィについてきたヘロヘロを連れ込んだのだった。ヘロヘロは横たわったミリィにぴったりと寄り添い、ぶるぶると震えている。

 だれもいない洞窟の空間にむけ、ラフレシアが話しかけるのを、ミリィは恐怖におそわれながら見ていた。それは奇妙な眺めであったが、ミリィにはラフレシアがなにか怖ろしいことをし遂げたのを直感していた。

「ジャギーという人を殺したのね……あなたの命令で町の南門を開けさせて、その褒美が死なのね。なぜなの?」

 ラフレシアはミリィにふりむいた。

「さっき言っただろ。余計なことを喋らせるわけにはいかないからね」

 ミリィはあたりを見やりつぶやいた。

「ここはあたしが目覚めた洞窟なのね。魔王がここにいるの?」

「そうさ、いまからあんたを魔王のもとへ連れて行く」

「どうして? それならあたしが目覚めたとき、すぐに連れてくればいいじゃない? なぜこんな手間をかけるの?」

 うふふふ……と、ラフレシアは不気味に笑った。

「いまにわかるよ……いまにね! さあ、そんなところにいつまでも寝ころんでいないで、お立ちよ!」

 ぎくしゃくとミリィは立ち上がった。操り人形のような動き方である。

 くい、くいとラフレシアは指を立て先に歩いていく。その後を引きずられるようにミリィは歩いていく。

 ラフレシアのかけた魔法により、ミリィの身体は彼女の意思に反し動いていくのだった。

 その後を心配そうにヘロヘロもついていった。

「ひとつあんたに教えてあげよう。あんたを取り戻しに、ドーデン王とパックのふたりがここへやって来ることになっている」

「ふたりを殺すためなの。これは罠?」

「そうさ、罠さ。ただしふたりを殺すためじゃない」

 ラフレシアは歩きながらくるりとふりむいた。

「死ぬのは魔王のほうさ。ふたりには魔王を殺す役目を果たしてもらうことになっている」

 ミリィはあっけにとられていた。

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