まいことみっちゃん

片桐バウムクーヘン

第0章:プロローグ

「例えば」-Bad Ending-

これは例えばの話。

「例えば」

とあるコンビニで若い女が呟いた。

「――例えば、今私がここで麦茶を買ったとしたらどうなると思いますか?」

その呟きは偶然隣に居た客へと向けた質問だった。

「…………」

話しかけられた客は怪訝そうにするでもなく不快そうにするでもなく、ただただ無表情だった。唐突に質問を投げかけてきた女を、力の感じられない黒い黒い瞳でまっすぐに見た。

「黒髪の、ポニーテールの、そこのあなたに聞いています。例えばここで私がこの麦茶を買ったとしたらどうなりますか?」

若い女はもう一度問う。隣に並ぶ見ず知らずの客へ。つややかな黒髪をポニーテールにした無表情で無感情に佇む女子高校生へと、問いかける。

「どうなるんでしょう」

女子高校生は何を思うこともなくゆっくりとそう答えた。

「私はここで大好物の牛乳を買うことができるはずです。でも私は苦手な苦手な麦茶を買ったとします。そうすればどうなるでしょう」

若い女は右手に牛乳を、左手に麦茶を持ち、再度質問を投げかけた。

「…質問の意味がちょっとわかりません」

やや間をおいて女子高校生はそう口にした。

若い女は女子高校生の黒い瞳を見つめ語り始める。

「同棲していた彼が好きだったんです――麦茶。でも、私は牛乳が好きで、麦茶が嫌いだったんです。彼とは幼稚園からの付き合いでした。家が隣で家族ぐるみで仲が良かった小学校も中学校も同じでした。彼の手にはいつも麦茶がありました。それは高校に行って、私と少し距離が開いたときも、何も変わりませんでした。いつも遠目に見ていた彼の手にはいつも麦茶がありました。大学に行って私と付き合って、大学院に行って幸せな生活をして、彼の生活にはいつもいつもいつも麦茶がありました。そして大学院を卒業した頃、私はプロポーズを受けました。『毎日キミの好きな牛乳を飲む。麦茶を飲むのは辞める。だから俺と結婚してくれ』――彼はその日から麦茶を一切飲まず、牛乳を飲みました。あれだけ毎日飲んでいたのにもかかわらずずっと毎日かかさず、牛乳を飲みました。そんな彼は先日、不幸な事故で星になりました。私は、私は彼の人生から麦茶を取り上げてしまった。だから、最後に麦茶を彼に飲ませてあげればよかったなって。それから私は思うんです。一人残された私は思うんです。彼の好きな麦茶を買おうって」

自分の半生を簡潔に、一言一句詰まらずに語った若い女は女子高校生の目を見つめた。

「彼はもう麦茶を飲めない。だから残された"私"がこの先の人生で、彼の代わりに麦茶を飲もうって、そういうお話ですか?」

続けてすぐに女子高校生は答えた。

「あはは。それは、違います。これはただのお供えです。彼の大好物を持っていくのか、私の大好物を持っていくのか、どっちがいいのか。そういうお話です。だから、ここで私が麦茶を買ったとしたら、どうなると思いますか?」

若い女は軽い調子で最後にそう問いた。

問われた女子高校生は虚ろげに天井の古い蛍光灯を見上げるとやがて、買い物かごにメロンパンを大量に詰め始めた。

そして、それをじっと眺めていた若い女の目を、黒く吸い込まれそうなほどただ黒く、それでいて力のこもった瞳見やり、口を開く。

「そうですね――」




*****************




とある日の昼下がり。

「みっちゃん」

袋いっぱいのメロンパンを手に持つ黒髪の女の子がひとりでに語りかける。

「例えば、例えば私がみっちゃんのフリをして、みっちゃんみたいに、笑って過ごせばどうなるんだろう」

淡々と呟いた。

「そう、例えば」

そう例えば、

「みっちゃんみたいに、元気に笑って明るくなればどうなるんだろう」

親友が重い病気により死んだ世界があったとして。

「ねぇ、みっちゃん」

いつもの元気な返事はなかった。

「ねぇ、みっちゃん」

いつもの笑顔はなかった。

しばらくして誰かの真似をするかのように、少しぎこちない笑顔を向けた。そして、自分の後頭部に手を回し、ポニーテールを作り上げている白いリボンを解いた。

それから、彼女は立ち上がった。唯一無二の親友が眠る墓標の前へ、メロンパンとリボンを置き、両手を合わせ黙祷する。

目を開くともう一度親友へと笑顔を向け、すぐに振り返り歩き出した。その先へ続く未来へと、彼女は歩き出した。

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